「珍しい」

そうぽつりと呟いて進藤がベランダの方を振り向いた。

「何?」
「今カラスが鳴いたじゃん? こんな夜中に鳴くなんて珍しいなと思って」


言われてみれば少し前、確かにはっきりとカラスが二、三度鳴くのを聞いた。

「カラスって夜は寝てるんじゃねーの? こんな時間に鳴き声聞くなんてヤな感
じ」


進藤はそう言って、じっと真っ暗な外を見る。

秋になり、涼しくなって窓を開け放つことが多くなった昨今、クーラー好きの進藤
が夜に閉め切っていた頃に比べて、物音は非道く良く耳に飛び込んで来るよう
になった。


行き交う車の音や歩く人の話し声、どこか遠くで救急車のサイレンの音などが聞
こえてくると、間に合うのだろうかと心配になる。



「…案外迷信深いんだな」
「だって気になるじゃん。普段鳴かないような時間に鳴いたらさ」


しかも鳴いたのはカラスだしと、カラスも随分嫌われたものだと苦笑してしまう。

「大丈夫だよ、都会のカラスは夜でも活動していることが間々あるみたいだし、
鳴き声を聞くって話も聞いたことがある。それに―」


よく似た鳴き声の別の鳥の鳴き声を聞き間違えることもあるそうだよとぼくが言
った言葉に、でも進藤はまだ口を尖らせて外を見詰めている。



「進藤…」

そんなに気になるなら窓を閉めてもいいよと、折角の涼しい風が入らなくなる
のは惜しいけれどと思いつつ言いかけた時に進藤がいきなり立ち上がった。


そして無言で窓を閉める。

「ちょっと蒸し暑くなるかもだけどごめんな」
「いや…いいよ」
「おれ…なんか…やっぱり嫌だから」


おれに何かある分にはいいけれど、万一ほんの少しの不幸でもおまえに降り
かかるようなことがあったら嫌だからと、拗ねたような顔のまま視線を逸らせて
言うのに胸を突かれた。


「進藤…」
「いいだろ、もう少ししたらまた開けてもいいから!」


カラスがどこか遠くに行ったら幾らでも窓を開け放ってもいいからと言う彼の
顔はどこか泣き出しそうにも見える。


「おまえ、子どもっぽいとか思っているだろうけど―」

言いかけるのを立ち上がり、ぼくは彼を抱きしめた。

「思わないよ、そんなこと」

キミがぼくを大切に思ってくれているのにどうしてそんな風に思うだろうか?

「嘘だ、絶対思ってるって!」
「思って無いよ、本当に」


ただもしカラスの声が不幸を呼ぶのだとしたら、ぼくはキミにもその不幸が降
りかかって欲しくは無いから今日はこのままずっと閉切ったままにしていようと、
胸に頬をすり寄せて言ったら、ぐっと喉の奥で咳込むような音がした。


「…ごめん、我が儘で」
「我が儘じゃないだろう」


ほんの少しの肌の震えで彼が泣いているのがわかる。



人との別れに本当に弱い。

時に病的と思える程に。

でもそれが遠い過去の傷に所以するものであるならば、ぼくはもうそれ以上彼の
傷を広げるようなことはしたくない。



だからどうか。

ぼくにも。

彼にも。

ほんの少しの不幸も降りかかることが無いように、ぼくは暗い窓の外を見詰め、
もう鳴いてくれるなと心でカラスに願ったのだった。



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※たぶん、最近人との別れがあったんですよ。その人は縁が近い人だったかもしれないし、そうで無かったかもしれないし、
でもそういうことがあるたびにヒカルはとても怖くなるのだと思います。


ヒカルは別れを知っているし、取り返しが付かないことがあることも知っている。
だから普段アキラのことをものっっっっすごく大切にしていると思うんですよね。べたべたするってことじゃなくて。
でもアキラが大切ならば大切なだけ時々怖くてたまらなくなると思います。


失ったらどうしようって思って。

2008.10.22 しょうこ