フェイント
進藤に失恋した。
手合いの後、一階で待っていてくれた進藤と二人でカフェに行き、その日の互いの結果を話しながら軽く夕食を食べた。
店の前はもうすぐに駅で、でもなんとなく話し足りなかったので二人で一駅分濠の上の道を歩くことにした。
そこでぼくはふいに気持ちがこみ上げて彼に好きだと言ってしまった。
「キミが好きだ。友人としてではなく、異性に対するものと同じ気持ちでキミのことを好きなんだ」
それまで饒舌だった進藤がぴたりと黙った。
「ダメだったらいい。ぼくと付き合ってくれないか」
「――――ヤだ」
進藤の返事は驚くほど早く、呆気無いと思える程にシンプルだった。
「ヤだから」
「そうか、わかった。ごめん」
その後は会話を日常に戻し、当たり障りのないことを話して帰ったと思う。
拒んだとは言え進藤は普通に話してくれたし、ぼくも取り乱したりはしなかった。
ただ拒まれたその瞬間から視界から色が消え、体中の感覚がどこか遠くに行ってしまったような感じになった。
麻痺したような鈍さの中、半ば自動的に足を動かして家に帰り、風呂に入った所でいきなり感情が戻って来た。
わっと声をあげて泣いたのは子どもの頃にすら無かったことで、でも止めることは出来ず、止めようとも思わなかった。
失恋した。
それがこんなにも辛いことだとはぼくは知らなかった。
好きな人に受け入れられない。拒まれるということはこんなにも全てを絶望させるものだったのだ。
泣いて、泣いて、湯が水に変わるくらい長い時間泣き続けて、それでも涙は止まらなかった。
翌日、棋院で会った時進藤はいつもと変わらなかった。
心なし素っ気無いかなという気もしたが、昨日の今日でこの振る舞いならばかなり上等な部類なのではないか。
みっともない真似はしたくなかったので気持ちを張り詰めて手合いに望み、けれど検討するまでの気力は無くて相手に
断って早々に棋院を出た。
自分ではそんなつもりは無かったが、かなり早い調子で進めてしまっていたようでまだ終わっていない人達も多かった
し、進藤も少し離れた場所で碁盤を睨んでいた。
今までは見るだけで胸が温かくなった後ろ姿も今では裂かれるような気持ちになる。
断ち切るように目を瞑って、ぼくはその場を離れたのだった。
歩いている時、ぼくは何も考えていなかったように思う。
ただ胸が痛くて、一歩歩くだけでもしんどくて泥の中から足を抜き出すようにして歯を食いしばって歩いていた。
それがいきなり腕を掴まれた。
「待てったら」
えっと思って振り返ると息を切らした進藤が立っていた。
「そりゃムカついてんの解るけど、でも呼んでるんだからシカトすんなよ」
「呼んだ? …ごめん。気がつかなかった」
進藤がぼくを引き留めたのは市ヶ谷の駅前で、もう少しタイミングがずれていたならばぼくは改札に入ってしまって
いただろう。
「マジかよ。おれ結構デカい声で呼んだぞ。それでも聞こえなかったってのかよ」
「本当に気がつかなかった。ごめん」
繰り返し言うぼくをじろっと睨め付けるように見てから進藤はあからさまにため息をついた。
「おまえ終わんの早すぎだし、検討もしないで帰っちゃうし」
「自分では早いつもりは無かったんだ」
「それでも早すぎ。おれ、もう絶対間に合わねーと思った」
そこまで言われて改めてぼくは進藤が今ここに居ることを不思議に思った。
「キミ…手合いは?」
「終わらせて来た」
「え? いや、でもいくらキミでもそんなに早く終わらせられる展開じゃ無かったと思うけど」
「それでも終わらせて来たんだよ、聞くな!」
不機嫌そうに言われて仕方無く口を噤む。
「そんなことより、おまえ帰る前にちょっと付き合え」
「え?」
「とにかくなんでもいいからちょっと付き合えって言ってんの!」
そして進藤は信号が青に変わったのと同時にぼくを昨日歩いた濠上の道に引きずって行ったのだった。
時間は昨日よりずっと早い。
でも当たり前だが景色はそのままなので、ぼくは嫌でも昨日のことを思い出して抉られるような気分になった。
「…どこまで付き合えばいいんだ?」
葉の落ちた桜並木の中を進藤は無言で歩く。
壕の水の上には枯葉が漂い、その合間を縫うようにして水鳥が泳いで行くのをぼくは歩きながらぼんやりと目で追った。
もしかしたらこれから徹底的な拒絶を言い渡されるのかもしれない。そう思うと辛かった。
「…進藤」
呼びかけた時、ぴたりと進藤の足が止まった。
「この辺りだったよな?」
「何が?」
「昨日、おまえがおれに告ったの」
きょろきょろと周りを見回して、それからいきなりぼくを真正面に見据える。
「おれ、おまえのこと好きだよ。だから付き合って」
一瞬ぼくは眉を顰めた。
言われたことは解ったが、その内容がどうしても理解出来なかったからだ。
「…え?」
「だーかーらー、付き合ってって言ってんの! 昨日お前が言ったのと同じだって」
「でも、キミぼくと付き合う気は無いって…」
「そんなことひとことも言ってねーだろ。おれはただ、お前に言われたのが癪だったから」
進藤は拗ねたように口を尖らせて斜め横を向いた。
「おれだってお前のことずっと好きだったんだって! いつか言おうって思ってたのにお前の方が先に言っちゃうから
さぁ」
悔しくてつい突っぱねてしまったのだと言われてぼくは膝の力が抜けるのを感じた。
「…そんなくだらない理由で」
「くだんなくねーよ! だってああいうのって先に言った方が主導権握れるような所あるじゃんか。おれ、おまえに碁でま
だ勝てて無いのに、その上レンアイまで先手取られるなんて絶対我慢出来ないから―」
思い返してみれば確かに進藤は『ヤだ』としか言ってはいない。ぼくと付き合う気が無いとは言っていないのだ。
「だからって…」
呆然とするというのはこういうことだろうか。気がつけばぼくは砂利だらけの道にへたり込んでいた。
「ぼくは…キミに嫌われたんだと思ったんだ。少なくとも受け入れられることは無いんだって」
そのくらいぼくの告白に対する進藤の返事は素早かったから。
「なのに今更そんな―」
こみ上げてくるものはあるのに涙が出ない。昨日あまりに泣き過ぎて涙が涸れてしまったのだ。
「悪かったよ」
俯いたぼくの前に進藤が跪いた。
「すげえ非道いことしたって自覚はちゃんとある。もしあれが逆だったらきっとおれ立ち直れないと思うし。だからおまえ
が腹の虫が治まらないなら気が済むまでぶん殴ってくれていいから」
だからおれと付き合ってくれないかと言われてぼくは彼の顔を見た。
自分勝手なプライドでぼくを一晩泣かせ、改めて自分優位に告白のやり直しをしてぼくに承諾を迫っている。なんて自己
中心的な男だろうかと思った。
でも、それでも救いがたいことには、両思いで嬉しいと思っている自分が居る。
「…鼻の骨が折れるまで…殴ってもいいなら」
しばらくたってぼくが言うと進藤は黙った。
そういう返事は予想だにしていなかったらしい。
「…マジかよ」
呻くように呟くと視線を彷徨わせ、それから観念したように目を瞑った。
「どうぞ! いいからもう、殴りたいだけ殴れよ!」
「うん。そうさせて貰う」
ぼくの言葉に進藤はびくりと肩を持ち上げた。どうやら彼の中に居るぼくはそんなに暴力的では無かったらしい。
「でも気が済んだら本当におれと付き合えよ?」
「――――うん」
念を押すのにまず一発。
腕を振り上げて拳を叩き込もうとした頬にぼくはそっとキスをした。
「キミ、きっと後悔するよ」
ぼくなんかを好きになったことをきっと後悔すると思うと耳元に囁いた後、ぼくは今度こそ遠慮無く彼を思い切り殴りつ
けたのだった。
※でもその一発で気が済んでしまったのでアキラは結局一度しかヒカルを殴っていません。
主導権云々はアキラは考えたこともありませんでしたが、この一件で体勢的な主導権はヒカルに、精神的な主導権はアキラが握るようになったのではないかと思います。
2014.10.12 しょうこ