ほんとう
「キミの好きなブランドのバーゲンの葉書が届いているけれど」
郵便物を取りに行って、持って帰って来たものの中から進藤宛のものを見つけて手渡したら、
彼はさっと一瞥してそのまま側にあったゴミ箱に捨ててしまった。
「いいのか?」
「何が?」
「だってキミ、そこのシャツやアクセサリーが好きだったじゃないか」
「んー、もう飽きたからいいんだ」
最近はこっちのコレの方が好きでと言って、二、三日前和谷くん達と出かけた時に買って来た
シンプルなシャツの裾を引っ張って見せる。
「こっちのが肌にぴったりくるって言うか着心地がいいんだよな」
今捨てたばかりの葉書のブランドだって好きになった最初は似たようなことを言っていたくせ
にと苦笑する。
「本当にキミは飽きっぽいな」
一緒に暮すようになって初めて知ったのだが、進藤は意外にも熱しやすく冷めやすい所があ
るのだった。
着る物に限らず何かを好きになってしばらくの間はのめり込むけれど、一定期間が過ぎると
すっと冷めてもう振り向きもしなくなってしまう。
「そんなことねーよ、単に新しもの好きなだけだって」
それにずっと同じもんばっかりだとつまんないだろうと、彼の言い分もわからないでも無いけ
れど、飽きられたモノ達は気の毒にと思わずにはいられない。
音楽もテレビ番組も漫画も雑誌もみんなそう。
食べ物もそうで、つい最近まではピザに凝っていて自分で窯焼きに近い焼き方が出来るオー
ブンまで買って来たのに数回使っただけでもう作るのに飽きてしまった。
「冷蔵庫の豆乳も飲まないなら捨てるよ」
「あー…待って、勿体ねーからシチューにでも入れるから」
「…賞味期限がもう過ぎているかもしれないけど」
「だったら捨てちゃっていいや」
そして物に執着しない。好きで居る間は執着して集め続けるけれど飽きてしまったら惜しげも
無く人にあげてしまったり捨ててしまったりする。
「なのに囲碁は飽きないんだな」
彼が捨てた葉書を拾い上げ、念のためにと細かく手で裂いて捨て直していると、寝転がって
いた進藤は起きあがって、ぼくの手元をじっと見詰めながらぽつりと言った。
「…飽きるわけねーじゃん」
囲碁だけは飽きない。絶対に飽きることなんか無いと、その声音には思いがけない程の真剣
さと熱が籠もっていたので思わずくすっと笑ってしまった。
「なんだよ、信用してねーのかよ」
「信用しているよ。それにもし飽きてしまうようならぼくが困る」
ぼくはキミと打つことがこの世の何より楽しいというのに、キミがそれに飽いて別の世界に行っ
てしまったら困るんだよと言ったら進藤はふて腐れたような顔をした。
「そりゃ…おれ、ガキの頃から飽きっぽいけどさ」
本当に好きな物は飽きたりしないんだと、実際出会った最初の頃から持ち続けている小物など
もあるのでそれは本当のことなのだろうと思う。
「それに…」
「それに?」
「おまえはどう思ってるか知らないけど、おれ、おまえにも飽きたりなんかしないから」
ぎゅっと立っているぼくの手首を掴んでそう言う。
「自分でも不思議だけど、碁とおまえにだけは絶対に飽きねーんだよ」
飽きることが無い。飽きることが出来ない。いつまでも色褪せる事無く好きで好きで仕方無い
のだと。
「ありがとうと言えばいいのかな?」
「違う、自分も同じだって言えばいいん!」
進藤はぼくをじっと見詰めて繰り返し言った。
「おまえはおれに飽きたりする?しねーだろ? それともこんな飽きっぽいバカは嫌いなの
か?」
「だってキミはぼくにも碁にも飽きたりしないんだろう?」
だったら同じ。同じようにぼくもキミに飽きたりしないよと言ったら進藤の目がすっと細くなっ
た。細められて笑ったような形に変わった。
「マジで?」
「うん」
好きで好きでたまらない。
出会った時から今でも変わらず。
一生きっと飽きることの無い、キミはぼくの―。
「おまえはさ、おれの『ほんとう』なんだよ」
ふいに真面目な顔になると進藤が言った。
「おれにとっては碁とおまえだけが『ほんとう』なんだ」
他の何とも違う大切なものなのだから飽きないと、聞きようによっては非道く傲慢な言葉だ
なと思った。
(でも、進藤らしい)
「…ぼくにとってもキミだけが『ほんとう』だよ」
例え何十年経ったとしてもきっとこの気持ちは変わらない。
飽きっぽくて、子どもっぽくて、いい加減でぼくの気持ちを残酷にかき乱すことも多いけれど、
それでも進藤が好きで好きでたまらないのは彼がぼくにとって『ほんとう』だからなのだろう
とそう思う。
「飽きられたらいいのかもしれないけれど、どうしても飽きることなんか出来ない」
「なんだよ、おれになんか不満でもあるのかよ」
「無いよ、無い。キミに飽きることなんか絶対に無い」
ゴミ箱に捨てた粉々に千切った葉書を見詰めながら思う。
キミにとってはぼくが。
ぼくにとってはキミが。
得ては捨て、捨てては得てもそれだけは持ち続けずにはいられない、掛け替えの無い、変
わることの無い永遠の存在なのだ――と。
※信じて貰えないかもしれませんが私は本来は熱しやすく冷めやすいタイプです。それでも自分でも不思議に思うくらい
好きという気持ちが全く変わらないのは、私にとってヒカ碁が…ヒカルとアキラが「ほんとうに好き」なものだからなのだと
思います。一生に一度(かどうかわからないけど)そういうものに出会えたことを幸運だと思います。
2008.12.10 しょうこ