因果
両の手を高く鎖で引き上げられ、塔矢が磔られている。
たった一人、目を閉じたまま俯いているその顔は美しくて、でもそんなに綺麗な塔矢が罪人のように
扱われていることに非道く腹立たしい気持ちになった。
「助けてやる。おれが今助けてやるから」
そう駈け寄って鎖に手をかけたら、塔矢は閉じていた目を開いて、睨め付けるようにおれを見ると一
言素っ気なく言ったのだった。
「―いい」
キミに助けて貰おうなんて思わない。そんなことをされるくらいならぼくは死ぬと、それは傲慢なまでの
意志の強さだった。
「いいって、だっておまえこのままだったらマジで死ぬぞ」
「いいよ、それでも」
それでもキミに助けて貰うくらいならこのまま死んだ方がいいと、そして再び目を閉じる塔矢はやはり
とても美しかった。
「いいんだ…ぼくは望んでこうしているんだから」
「望んでって…」
「ぼくは優しさや安らぎや、そんなものは欲しく無い」
ただひたすらにいつでも厳しくキミと戦っていたいからと、触れないでくれと言う声は冷ややかだった。
冷ややかにおれを拒絶していた。
「キミも、だから感情に迷うな」
迷わずにぼくを殺しに来いと、それは厳しいけれど同時に誘うような言葉でもあった。
「ぼくはキミと殺し合いをしたい」
そういう愛し合い方をしたいんだと、そしてそう言った一瞬だけ唇の端がほんの少し持ち上がった。
「殺しに来い、ぼくを――」
キミの持てる力の全てでと、それが夢の中の塔矢の最後に言った言葉だった。
目覚ましのベルが鳴るほんの少し前に起きたおれは、むっとしたような気持ちで時計の天辺につい
ているボタンを叩いて下ろした。
「いけ好かない―」
ホンモノも頑なならば夢の中のあいつまでホンモノと寸分たがわず頑なだった。
頑なにおれを拒み、じっと冷たい目で見据えて来る。
「―何が殺しに来いだ」
実際に殺しに行ったならば、閉じていた目を見開いて鬼神のように襲いかかって来るつもりのくせ
にと思う。
「何がそういう愛し合い方をしたいんだ…だよ」
そんなこと言われなくてもおれ達は最初からこういう形でしか愛し合うことは出来ない。
打って
打たれて
勝って
負けて
殺して
殺される。
恋人同士としては真に因果だと言わずにはいられない。
「まあ…でも光栄に思うかな」
塔矢アキラ様に本気で殺意を持って貰えるのは、たぶん碁界でおれただ一人だろうしと、それだけ
は自惚れてもいいとそう思うから。
「まったく、抱かれてる時は可愛いくせに」
一旦腕をすり抜けると憎しみに近い気持ちしか抱けなくなる。
美しく頑ななおれの―。
(おれの塔矢はなんだろう?)
「…とっとと起きて仕度するかな」
もうとっくに起きて集中を高め、精神を研ぎ澄ましている誰かのために、おれも同じくらい気持ちを集
中させて事に立ち向かおうと思う。
「よーし、今日は朝飯しっかり食うぞっ」
ベッドから飛び起きてカーテンを開ける。
晴天とは言い難いが、雨では無い曇天に充分だと思う。
「卵と、明太子と、後なんかあったかなあ…」
振り向き様、鳴り出す前に止めた目覚まし時計に目をやって、あっかんべえと舌を出す。
それはいつだったかの年に塔矢に誕生祝いに貰ったものだったから。
「黙って殺されたりはしないからな」
精々おまえが喜ぶように真剣におまえを殺しに行ってやるよと、そうして寝室を後にする。
会わなくなって二ヶ月。
天元戦五番勝負の第三局目。今日はあいつが天元の地位を守りきるか、おれがそれを食い止めるか
のお互いに一歩も退けない大切な対局に遠方まで出かけるその日だった。
※それでもこの人達はこれでとっても幸せなんだと思います。真に因果。2008.12.8 しょうこ