至上
望んで望んで、それをついに手に入れることが出来た時の気分というものはどんなものだろうと、
ずっとそう思っていた。
ぱちりと石を置いた後、長い長い沈黙が起こった。
盤を挟んだ向こう側で進藤が気が遠くなるような手数を考えているのは見なくてもわかって、まだ
ぼくとしては二、三手抗ってくるだろうと思ったのに、進藤は大きく息を吸うと「ありません」と一言
言ったのだった。
「…畜生」
顔を上げると進藤は俯いていて、膝に置いた手は力の入れすぎで指の関節が真っ白になってし
まっている。
小刻みに震える肩にどれ程悔しいだろうかと思い、でも同時に自分が得たものを考えて溢れる程
の喜びに満たされた。
「まったく…畜生…。悔しいけどおまえの勝ちだよ」
いつか彼とタイトルを賭けて戦いたい。
そう願っていたその願いは棋聖戦で初めて実現された。
苦しく長い対局の後、ぼくの前にあるのは敗北に震える最愛の男と、際どい差で、それでも翻され
ることなく勝ちを手に入れたぼくの手筋。
「…進藤」
「来年は勝つ! 絶対に勝つ!」
ぼくの言葉は彼の耳には入っていなくて、彼の目もぼくのことを見てはいない。
彼の中に今在るのは殺意にも近いぼくへの憎しみだけで、でもそれが例えようも無く嬉しかった。
一生に一度出会えるか出会えないかの永遠の敵。
その敵に出会えたぼくは希に見る幸せ者だと心から思った。
「ありがとうございました」
「ありがとう…ございました」
取材を受けるぼくの目の前で彼は無言で立ち上がると、座布団を蹴るようにして部屋を出て行
ってしまった。
(でも、それでいい)
それでこそぼく達なんだとそう思う。
一生、たぶん死んでもきっとぼく達は愛し合いながら同時に深く憎しみ合う。
それを因果と言う人も居るかもしれないが、ぼくは敢えて「幸運」と呼びたい。
彼もたぶん同じ想いで居ることを祈って、ぼくは投げかけられる記者の問いに対して「最高の一
局でした」と語ったのだった。
※一生が戦い。それが私の理想のヒカアキです。 2008.11.3 しょうこ