その時ぼくは彼に撃たれる
ぱあんと響く銃声で、撃たれたぼくは横たわった。
ぺったりと地面に頬をつけ、そこから見る景色はどんなものだろうか?
空の色、土の色、触れる地面の感触は果たして一体どんなものなのか。
試したくて、試したくて、でも結局それは出来なかった。
「ふうん、なんで? 一回くらいやってみれば良かったのに」
一度でいい、撃たれて倒れたふりをしてみたかった。
そうぽつりと語ったぼくの話を黙って聞いた後で、進藤は食べかけのアイスのスプーンを
銜えながらふごふごとした声でそう言った。
「やっぱ出来なかったん? そういう行儀の悪いことは」
「やらなかったわけじゃない。隙を見て何度もやってみようとは思った」
でも結局出来なかったのだとぼくは言い訳めいた口調で進藤に話した。
幼い頃、家には父のお弟子さんが居て、他にもたくさんの大人達が出入りしていた。
ぼくは半分放っておかれ、でもそれでいて決して一人にはならなかった。
芦原さんや緒方さん、その他手の空いた人達が忙しい母に代わっていつも誰かしらぼく
の側についていたからだ。
「そもそも一人で外になんか出られなかったし、だから一人になったのを見計らって廊下に
寝そべってみたり、庭に寝そべってみたりした」
でも次の瞬間には驚いたような声と共に大きな手に抱き起こされてしまうのだ。
『大丈夫? アキラ』
『すみません、側についていたのにちょっと目を離した隙に転んでしまわれたようで…』
どの人も皆ぼくに謝り、父や母に謝った。
両親はそれでその人達を責めるようなことは決してしたりはしなかったけれど、ぼくは子ども
心にも申し訳なく、やがて一切そういうことをしなくなった。
「だって、ぼくが寝そべったら、誰かがそれに負い目を感じることになるんだから」
おちおち試してみることも出来やしないと、言うぼくの話に進藤は可笑しそうに手を打って笑
った。
「おっかしい。最高! それってやっぱりおまえがイイトコのぼっちゃんだからだって」
おれなんか外でも家でも転がってても、マジで階段から転げ落ちた時だって、誰にも心配さ
れなかったと言うのでそれは日頃の行いが悪いのだと言ってやった。
「もう少し大きくなったらさすがにずっと周りに人が居ることは無くなったけれどね」
近所の誰もが自分を知っている、塔矢先生の息子だと皆が知っている状況で、意味も無く
家の内外で寝そべってみることなど出来なかった。
「学校の行き帰りとか公園なんかでよく誘惑にかられたけれどね」
もし万一、そんな場面を知っている人に見られたらと思ったら出来なかったのだ。
「それでも部屋で寝そべるくらいは出来るじゃん?」
「部屋で寝そべったって、それは寝ている時と変わらないじゃないか」
ぼくはふいに撃たれて倒れた人のように、地面の感触を知りたかった。普段絶対に見ること
が無いような景色をこの目で見てみたかったのだ。
「だから百歩譲って廊下で寝そべるのでも良かったけれど、行儀の悪いことをするのも許し
て貰えなかったからね」
「おまえって色々難儀だなあ」
勝手に遊びに来て、勝手に自分で買って来たアイスを先に一人で食べていた進藤は、あっ
という間に食べ終わってしまうと、とんと縁側から庭に飛び降りた。
「来いよ」
「え?」
「おれがおまえのこと撃ってやる」
今ならおれ達二人っきりだから、そんなバカなことやっても咎めるヤツはいないぜと、言われ
てカッと顔が赤く染まった。
「嫌だよ、そんな」
「だってそのままおまえ、一人になっても今更出来なくなっちゃったんだろう」
だったら今、それをやっちまった方が後腐れが無くていいからと、強引に腕を引かれて庭に
下りた。
「バン!」
ぼくの胸に人差し指で狙いをつけて、進藤はニッと笑って短く言った。
「ほら、倒れろ」
「倒れろって言ったって」
そんなこと真面目にやられると恥ずかしくてしたくても出来ない。
「あー、もう面倒臭いな」
だったらおまえもおれを撃てと、無理矢理指を引っ張られてそれを進藤は自分の胸に突き
つけた。
「ほら、撃ってみ。『バン』って」
「…………」
恥ずかしい。恥ずかしくて耳まで赤くなっているのがわかったけれど、言うまで離してくれない
のもまたよくわかっていたので小さい声でぼくは言った。
「…ばん」
「わーっ、やられたあ」
大げさに言って笑いながら、進藤はぼくの手を握ったままゆっくりと地面に崩れ落ちた。
ぼくも引かれてそのまま斜めにスローモーションのように崩れて行った。
庭の椿の濃い緑。
柿の木と蔓梅もどきと、それから名前も知らない草。
ゆっくりとゆっくりとそれが斜めに動いて行って、それから天地が逆になる。
「………どう?」
随分しばらく経ってから進藤がぽつりとぼくに聞いた。
「撃たれたヤツの気持ちちょっとは解った?」
「…………うん」
銃で撃たれた痛みなんかはわからない。
その時にどんな心持ちがするのかなんて、そんなこともわからない。
でも、倒れた時にどんな景色が見えるのかだけはよくわかった。
「地面が…気持ちいい」
ざりっとした土と小粒の砂利と、ぽやっと生えた草の匂い。
そんなものが肌を通して感じられて、たまらなく心地よいとぼくは思った。
「なあ、おまえどうして『撃たれて倒れた人』の真似なんかしてみたかったん?」
「さあ……よく覚えていないんだけど、たぶんテレビで観たんじゃないかな」
ドラマか映画か何なのか、そもそものきっかけを覚えてはいないのだけれど、ぼくはきっと何
かを見たのだろう。
そしてそれがとても印象的で同じようにしてみたいときっと幼心に思ったのだ。
「ありがとう、進藤」
「ん? 何が?」
横たわるぼくとは違い、のびのびと庭に大の字に手足を伸ばす進藤は、顔だけをぼくに向け
て、うっすらと笑った。
「おれ、別に何もしてないじゃん」
一緒に遊んで寝そべっただけと、でも一体どれだけの人がこんなバカなことを真面目に聞い
て、一緒にやってくれるだろうか?
「おかけでずっと心にかかっていたことが無くなった」
もうこれからは、地面を見ても寝そべってみたいと、じりじりと思うことは無いだろうと言ったら、
そんなもん? と言った。
「うん、『そんなもん』だ。見たかったものが見られて満足したからもうそういう衝動はきっと起
こらないと思うよ」
「ふうん」
まあそれならいいやと、言って進藤は気持ち良さそうに目を閉じる。
「進藤」
「何?」
「どうしてこんなことに付き合ってくれたんだ?」
深い意味は無く、ただふと思ったことを口にしただけだったのだけれど、思いの外長い沈黙が
起こった。
「進藤?」
「おれも」
「え?」
「おれも昔、ずっと…まだガキだった頃、同じこと思って寝そべってみたことがあるから」
でもおれは一度で満足なんかしなかったぜと、言ってゆっくりとぼくを見た。
「何度もやった。呆れる程やった」
親も近所の大人も見慣れてなんとも思わなくなるくらいやったと言われてぼくは大きく目を見
開いた。
「………そう」
「うわ、反応薄い」
「いや、そんなことも無い」
少し感動していただけだと、彼の方に腕を伸ばしたら、進藤はいきなり両腕をぼくに伸ばして
ぼくを抱いた。
「またやろう」
「え?」
「こういうバカなこと、おまえも考えてたってわかってすごく嬉しかったから」
だからまた時々、誰も見ていない場所で二人きり、お互いを撃って倒れようと抱き込まれて、
ぼくはむせながら言った。
「ぼくがやるとでも?」
「やるだろ?」
他人には見せられない子どもじみた愚かな遊び。
でも――。
湿った土の匂いと、普段は見られない低い視点。
そして何より、 禁断の気配がたまらないので、きっとぼくはまたやるだろうとぼんやりと思っ
た。
二人きり。
誰も見ていない場所で。
ぼくはキミに銃で撃たれる。
※つまりはまあ、そういうクソガキだったと。季節がちょっとズレているのはご愛敬ということで。
2009.12.11 しょうこ