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引っ越しの日の空は見事な程の冬晴れだった。

長い時間をかけて別れる、またよりを戻すを何度と無く繰り返し、散々悩んだ末にぼく達は、
二人で住むという選択肢を選んだ。


もちろん仮の巣のつもりは無く、だから賃貸では無く分譲でマンションを買ったのだった。



「これでもう別れられないな、おれ達」

進藤はそう言って笑ったけれど、もちろん別れるつもりなど無いから二人で住むことを決めた
のである。


そしてそれは長い間、お互いにとって別れを考えさせる原因にもなっていた双方の親へのカミ
ングアウトをも意味していた。


結果はもちろん許し―てもらえる筈が無く、ぼくも進藤も両親から縁を切られてしまった。

なのでマンションを購入するに当たっての保証人には彼の場合はお祖父さんがなり、ぼくは苦
笑しつつも緒方さんがなってくれたのだった。



『もう二度と家の敷居は跨ぐな』

『お前を息子とはもう思わない』

だからこの先もし進藤と別れることがあったとしても戻ってくるなとまで言われてしまった。

いつも何かにつけ味方になってくれた母も今回ばかりはぼくを庇う側には居られなかったよう
で、引っ越し屋が最後の荷物を運び出すその時まで部屋に閉じこもり泣いていたのだった。





「おれんとこも同じ」

部屋で落ちあった時に進藤が言った。

さすがに同じ日に引っ越しをすることは出来ないので、彼は一日先に引っ越していたのだが、
出てくる時の状況はぼくとほぼ同じだったらしい。


「なんかもー、自分達が死んでも家も土地もおれには残さないからとまで言われた」

仕方ないよな、おれ小さい頃から勝手ばっかりやって来たけど、今回のこれは親が許せる限
界を超えることだからと、苦笑するように眉間に皺を寄せて笑う進藤にぼくも胸が痛くなった。


もう二度と彼のご両親がぼくに微笑みを向けることは無く、ぼくの両親が彼に微笑みを見せる
ことも無いのだ。


そしてそれぞれがそれぞれの親不孝な息子のことを嘆き悲しみ続けるのだろう。


「まあ―しゃーないよな」
「…うん」


親を泣かせても誰を傷つけても、それでも別れられないとぼく達は悟ってしまったのだから。

「…で、少しは片づいたのか?」

覚悟していたとは言え、やはり親を裏切ったという後ろめたさからぼく達の会話はどうしても
しんみりとしたものになってしまう。


けれどせっかくの新しい生活のスタートがあまりに湿っぽいのも辛くて、ぼくは話題を変える
ために彼に言った。


「昨日の午後にはもう引っ越しは終わっていたんだろう?」

「終わったは終わったけどさー、おまえの荷物が来ないうちに下手に色々置いちゃうと後で困
ると思ってほとんど何もしてない」


だってまだおれ達、どの部屋を寝室にするかすら決めてないじゃんと、引っ越す寸前までの色
々で、決めておかなければならないこともまるっきり決めていなかったことを思い出して笑って
しまった。


「そうだね。東側の八畳間を寝室にして玄関横の五畳半の部屋をキミの部屋。反対側の六畳
の和室をぼくでどうだろう」


「いいけどそうすると客が来た時におまえの部屋に泊めることになっちゃうぜ?」
「いいよ別に。どうせ寝室はキミと一緒なんだし」


それに誰か泊まりに来ることはたぶんきっと無いはずだからとぼくが言ったら彼もそうだなと頷
いた。


これからは二人の仲をひた隠しにするつもりは無い。なので友人知人の多くが離れて行くことも
あり得たからだ。


「あ、そう言えばおまえになんか荷物が来てたんだった」
「荷物?」
「うん、なんかミカン箱くらいの箱でさ…」


そう言って進藤がぼくに手渡してくれたのは中くらいの段ボール箱で、送り主はぼくの両親だっ
た。



「なんだろう…」

出て行く時にすら声もかけなかった。その人達が予め今日に届くように荷物を送っていたとい
ことがぼくを不安にさせた。


「バクダンだったりして。開けたらバーンってさ」
「そんなことあるはずないだろう」


渡すなら別に宅配便で送らなくても、今日出る時に手渡すことは幾らでも出来たはずで、それ
をわざわざ送って来たということは、その僅かな時間すらぼくの顔を見るのが嫌だったのか、
それとも箱の中身が親と子を完全に分けるようなものなのかもしれない。



「絶縁状かな…それとも勘当したってだめ押しで何か証書でも…」

法的に完全に勘当というものは出来たのだっけとつぶやくように進藤に話しかけながら、ぼく
はのろのろと包装を解いた。


そして出て来たものを見てほっと安堵した。

「ビデオテープ…」

入っていたのはぎっしりと詰まったホームビデオのテープで、他にはメモ一つ入って居なかっ
た。


「メッセージか何か?」

のぞき込んだ進藤がぼくに尋ねるように言う。

「まさか。たぶんこれはぼくの小さい頃とかを録ったものだと思うよ」

両親の寝室の棚に並べて置いてあったのを覚えているので間違い無いと思った。

「もう思い出もいらないってことなんかな…」

進藤がじっとテープを見つめたままつぶやくように言った。

「そんなことは…」
「実はさ、おれも同じことされたん」
「え?」
「昨日引っ越して来る時に黙って箱を一つ押しつけられてさ、ここに来て開けてみたらこんな
感じでビデオテープがたくさん入ってた」


こういうのって絶縁状よりもクルよなと、切ない彼の声にぼくもまた胸を抉られるような気持ち
になった。


「うちの親、几帳面でさー、『ヒカル三歳、はじめてのつかまり立ち』とか全部ラベルに書いてあ
るんだぜ」


泣き笑いのような顔で進藤が言った。

「『幼稚園、運動会。かけっこで一位』とか」
「…見てみたいな」
「え?」
「そういえばぼくは小学六年生より前のキミの姿を知らない。ビデオテープにそれが映ってい
るなら見てみたい」
「それを言うならおれだっておまえのちっちゃい頃を見てみたいって!」



きっとすげー可愛かったはずだからと、再び湿っぽくなりかけた空気はそれで緩み、ぼく達は
荷ほどきもほとんどしていない部屋で、段ボール箱に囲まれながらテレビの前に座ったの
だった。




最初に見たのは進藤のテープ。

彼が生まれた産院で、お母さんの腕に抱かれてお乳を飲ませてもらっている映像だった。


『ほら、ヒカル、お父さんが来たわよ』

彼のお母さんが柔らかそうな彼の頬を指でつつき、幸せそうに笑う顔が画面一杯に映し出
された。


「…かわいいね」
「カッコイイって言えよ」
「授乳中の赤ん坊にカッコイイって形容は出来ないな」



家に戻ってベビーベッドで寝ている所、おむつを替えてもらっている所。

今、真隣に居て缶ビールなんか飲んでいるのと同じ人間だとはとても思えない。

「何笑ってんだよ、次はおまえの行くぞ」

照れ臭いのだろう、自分のテープが終わるや否や、彼はぼくのテープを取り上げてデッキの
中に押し込んだ。


再生されたのはまだ生まれる前、大きなお腹で家の縁側に座っている母の姿だった。

『あら、あなたったら。私なんか撮っても仕方ないでしょうに』

今よりもずっと若い母は間近で映されて恥ずかしそうに微笑んでいる。


「おなかデカいな。あん中におまえが居るなんて嘘みたいだ」

ぽつりとつぶやく彼の言葉はそのままぼくの思いでもある。


『ねえ、どんな子が生まれるかしら?』
『…どんな子どもでもいい。元気ならば』



ぼくが授かったのは父と母が結婚してからかなり年月が経っていたという。

もう二人で生きていくものだと覚悟した頃にあなたを授かったのよといつだったか母に言
われたことがあるのだ。



『名前はなんにしましょうね』

ゆらゆらと温かい日だまりの縁側。今と少しも変わらない景色の中にぼくが居ないことが
なんだかとても不思議だった。



『そうだな。男だったらアキラ…女だったら…』
『考えていないんでしょう? あなたったらずっと男の子が欲しいって』
『そんなことは無い』
『ありますよ。そして自分と同じように囲碁の道に進ませたいんだわ』



そこでテープは終わり、今度はぼくが自分のテープと彼のテープを入れ替えた。


今度映っていたのは彼の小学校の入学式で、桜の花の下、真新しいランドセルを背負っ
て立っている彼はなぜか足の膝小僧から血を流しているのだった。


「転んだんだよ。学校行って、なんかハイになっちゃっていきなり校庭走り回って入学式
が始まる前にコケた」
「キミらしい」



本当に進藤らしい映像だった。運動会、その他の行事その全てには元気で走り回ってい
る彼の姿がある。



「こうして見るとおれってすげー落ち着きの無いクソガキな」
「今でも大して変わってないよ」
「なんだと?! じゃあてめーのも見てみようぜ」



おまえはきっと心細くて泣いたクチだよなと言われて、でも実際に映っていたのはただ嬉
しそうに笑いながら和装の母の手を握りながら歩いているぼくの姿だった。


「…あ、打ってる」

色々な行事ごとの合間にふっと唐突に映し出されたのは父の部屋で父と打っているぼく
で、全く記憶が無いので驚いた。


「この頃に打ち始めたん?」
「いや…初めて碁石を持ったのは二歳の頃だって聞いているけれど…」


ぱちり、ぱちりと小さな手で石を置く。するとふと父の顔がこちらを向いてそれで映像は
唐突に終わった。


「たぶん、父に怒られたんだ…」
「隠し撮り?」
「打つ時には邪魔になるからって、小さい頃のものは打っている写真すらほとんど無い
から」


散りやすい子どもの気を少しでも逸らすことが無いように父にきつく言われていたので
母は打っているぼくを撮ることも、録ることも出来なかったのだ。


「でも…録らないではいられなかったんだなあ…」
「……………うん」


例え父に叱られようとも、それでもぼくの打つ姿を映さずにはいられなかった。

どんどん変わっていく子どもの成長する姿を母は記録せずにはいられなかったのだ。


「次はおれ…」

夏休み、雪の日、お正月、節分。

彼のテープにもぼくのテープにも自分すら覚えていない自分の姿と思い出が残されてい
る。


『ヒカル、ほら、笑って』

笑った方が少しはマシに見えるわよと、彼のお母さんの声が被さっているのは、彼の新
入段の免状授与式の朝らしいスーツ姿の映像で、それを見た瞬間ぼくはいきなり涙が
溢れて来てしまった。



愛されている。

彼がご両親に愛されて、大切に育てられて来たことが痛む程強く、映像を通して伝わっ
て来たからだ。


『本当に行かなくていいの? 一人で行けるの?』
『いいんだよ、格好悪い。学校の行事じゃないんだから親が来るヤツなんかいないっ
て!』


ぶっきらぼうに言って背を向けて部屋を出て行く彼の姿でテープは終わる。

「…やっぱスーツはさ、おまえのがガキの頃から似合ってたよな」

彼の声に顔を上げると、彼はテープを入れ替えてまた別のぼくのテープをデッキに入れ
ていた。


「進藤…」
「おれ…格好悪い。ガキ丸出しで……」


言う彼の目も濡れている。

「進藤、ぼくは…」
「しっ、ほら中学生のおまえ可愛いじゃん」


それは卒業する少し前くらいだろうか、庭で庭木に水やりをしているぼくの姿が映し出さ
れていた。


『…なんですか?お母さん』

ホースを持ったまま驚いたように振り返るぼくに母の声が静かに被さる。

『あなたも大きくなったのねぇと思って』
『そんな、いつまでも子どもだったらお母さんだって困るでしょう』
『そうねぇ。でももう少し子どものままで居てくれても良かったわね』



私、あまり良いお母さんじゃなかったものねぇと、そしてそれに『まさか』と返すぼくの笑顔
でテープは終わる。


『ぼくにとってお母さんはいつだって良いお母さんだった』

お父さんも――と。

これはさすがに記憶にある。でもてっきりすぐに消したものだとばかり思っていたのだ。

「―塔矢」
「何?」


段ボール箱の山の中、真っ暗になったテレビの画面を眺めながらしばらくぼく達は無言
だった。


けれど随分経ってから彼の左手がぼくの右手の上に重ねられて、そのまま包み込むよう
にしてぼくの手を握った。


「おれ―おれ、おまえのこと一生大切にする。絶対に、絶対に死ぬ程シアワセにする」
「うん―」


彼は言いながら泣いていて、その彼の言葉にぼくもまた我慢して堪えていたものがふっと
切れて声をあげて泣いてしまった。


「ぼくも――ぼくも絶対キミをシアワセにするから――」


こんなにも、こんなにも愛されて育った。

そして今も愛されているぼくたちは、愛してくれたこの人たちのためにも絶対にシアワセに
ならなければいけない。



「好きだよ―おまえが」
「ぼくもキミが―好きだ」


ご両親が愛し慈しんだキミをぼくは攫ってしまったんだからと言った言葉を進藤が遮った。

「それは―おれだよ。おれがおまえを攫ったんだ」

ごめんな、でも好きと。

離れたくても離れられない業の深い親不孝なぼく達は、互いの肩に顔を埋め、手をしっか
り握り合ったまま小さな子どものように泣いた。


許せなくて、でもそれでも許してくれた、ぼく達を産み、育ててくれた人達のことを想いなが
ら。


いつまでもいつまでも流れる涙を拭うことなく、互いの肩に顔を埋めて泣き続けたのだった。



※私はビデオを撮りません。旅行に行っても写真もほとんど撮らない方です。でもきっとヒカルやアキラの両親は愛情をこめて
たくさん撮ったんだろうなあと。二人とも大切に育てられ愛された子どもという気がとてもします。


ビデオの再生の形式はメーカーや機種によってそれぞれだと思いますが、まあそこらへんは気になさらずに。
2007.12.24 しょうこ