宵の星




切れていた牛乳を買いに出て、外の寒さに少し驚く。

帰宅した時にはまだ日が高かったからそんなに感じなかったけれど、暮れるとこんなにも
寒いものなのだと温かい室内から出たので余計にそう思った。


「もう…冬なんだな」

そういえば立冬も越したのだっけと、今更ながらにそう思う。



コンビニで牛乳を買い、暗い空を見上げながらゆっくりと戻る。

つい最近、同じ道を蝉の声を聞きながら歩いたような気がする。

秋になっても残暑がキツくて早く寒くなればいいのにと思ったのは、つい二、三日前のこと
のようだ。


なのにその道に今は枯れ葉が舞っていて、立ち並ぶ街路樹は丸坊主になりかかっている。

(本当に季節が過ぎるのは早い)

いや、早くなったと言うべきか。

幼い頃はもっとゆっくり過ぎていた時間が、今は日に日に早くなって行っているような気が
する。


そういうものだよと、年嵩の棋士達が苦笑のように笑いながら言っていたけれど、それを
最近実感することが多くなった。





「嫌だなあ…」

ぽつりと呟いた時、後ろから唐突に「何が嫌だって」と声がした。

「進藤! 驚かすな」
「え? だってもうずっとさっきから後ろを歩いているのに、おまえ全然気が付かないから」


手合い帰りの進藤は大人びたスーツ姿で、でも子どものようにへへへっと笑うとぼくの隣に
すっと立った。


「何? 買い物?」
「うん。シチューを作っていたんだけれど、牛乳が切れていたのに気が付いて買いに来たん
だ」
「あ、今夜シチューなんだ、やった!」


おれおまえの作るシチュー大好きと満面の笑みをぼくに向ける。

「おまえがシチュー作るようになると冬になったって思うんだよなあ」
「…そういうことを今考えていたんだよ」
「え?」
「もう冬になってしまったなって」
「冬…嫌いだったっけ」
「いや、季節が早く過ぎるようになったなと思ったから、それが嫌だなって」


まだわからないという顔をしている進藤に、苦笑しつつ言葉を足す。

「まだキミと会って、たった十数年しか経っていない。なのにそんなに早く時間が過ぎたら嫌
じゃないか」


ぼくはもっとずっと長くキミと一緒に居たいと思っているからと、そう言ったら進藤は一瞬黙っ
た。そして少し歩いてから口を開く。


「だったら百歳くらいまで生きればいいじゃん」
「ええ?」
「百歳でも二百歳でも三百歳でもさ」



大昔の仙人みたいに死ぬほどすごく長生きして、そして二人でずっと居ようと進藤に言われ
た時、ぼくの頭に浮かんだのは何故か中学生の時のぼく達だった。


お互いに学校の制服を着た彼とぼくは向かい合い碁を打っている。

永遠に、永遠に、時間も何もかも止まったような世界でぼく達は二人で幸福そうに微笑みな
がら交互に石を置いていた。



「…三百歳は無理だと思うけど、百歳くらいまでなら生きられるかな」

ふっと笑って呟くように言ったら進藤も笑った。

「二百歳だって余裕でイケると思うぜ?」
「無理だよ――」



笑いながら歩く夜の道は暗い。

寒々しい風が吹いていて、まだ息が白くなりはしないけれど、あっという間に凍るようになる
んだろう。


それすらも一瞬の夢のように移って行ってしまうのだろうけれど。



「できる、できる! 二百は無理でも百五十歳くらいまでは絶対に―」


おれとおまえなら生きられるよと、何の根拠も無く、でも自信たっぷりに言う彼の言葉は不
思議と心に響き、ぼくの体を温もらせた。



人の命は儚い。

本当に瞬く間の人生なのだと思うけれど。


「そうだね…がんばれば百十歳くらいまでは生きられるかもしれないね」
「な? そうだろう?」


にこにこと笑いぼくに手を差し出す、彼の手にそっと手を重ねながらぼくはその手が皺ば
って年を取ることを考えた。


お互いに年を取り、今のようでは無くなってもそれでもきっと心の中は初めて会った頃とほ
とんど変わらずにいられるのかもしれない。


微笑んで愛し合い、気が遠くなるような時の中を同じように共に過ごせるのならば―。



「―うん」


十年、二十年、三十年、四十年。

実際には後どれくらい彼と一緒に居られるのかはわからない。

でも例えば本当に百歳まで生きたとしたなら後七十年は一緒に居ることが出来るのだ。

二百歳なら百七十年、三百歳なら二百七十年。

お伽噺だとわかっていても、彼とならば本当に叶えられるかもしれないと思ってしまう。


「…がんばるよ」
「ん?」
「少しでも長生き出来るように頑張るから、キミも頑張って長生きしてくれ」
「当たり前じゃん」



寒い夜の道をぎゅっと強く手を握り合いながら歩く。

真っ暗な空には冴え冴えと、撒いたように星が輝き、吹く風は冷たい。

冬だなあ、本当に冬になってしまったのだなと、過ぎる季節の早さをやはりしみじみと感じ
ずにはいられなかったけれど、繋いだ手の温もりが温かく、とても心地よかったので、もう
それは何一つぼくにとって怖いものでは無くなっていた。




※だからなんだよと言われたら、ただそれだけの話なんですけれども。2008.11.24 しょうこ