指切り鬼
初めて待ち合わせてあいつの家の碁会所で打った後、いざ帰るという段になって塔矢が
おれに言った。
「進藤、キミは今度はいつ来られる?」
「んー…明日は森下先生の研究会があるから、金曜日くらいかな?」
「わかった。じゃあぼくも金曜日に来ることにするよ」
ごく当たり前なことのように言って、塔矢がスケジュール帳にメモをしようとしたので、おれ
は慌ててそれを止めた。
「あ、でもまだわからないし、おまえだって何か予定が入るかもしれないだろ」
「でも、今のところは来られるんだろう?」
「そりゃそうだけどさぁ」
それでも急に学校で居残りを食う場合だってある。だから携帯を持っているならその番号
かメアドを教えてくれと言ったら何故か塔矢は戸惑ったような表情になった。
「悪いけど…携帯電話は持っていないんだ」
「え?」
「まだ中学生なのにそんな贅沢品は必要無いだろう?」
世の中には幼稚園児の頃から持っているヤツだってたくさん居るというのにイマドキ珍しく、
塔矢は頭から携帯電話は「大人の持ち物」だと思っているらしい。
「じゃあ…急に予定が変わった時とかはどうすれば…」
「その時はその時で仕方無い。約束してキミが来なければそういうことなんだなと思うし、何
も無ければここで会えるし」
「いいけど…そんないい加減な約束で構わないん?」
「だって今日だってキミはちゃんと来たじゃないか」
携帯の番号も何も知らなくてもちゃんと会えた。だから平気じゃないかと言うのになんとなく
胸の辺りがこそばゆくなった。
「わかった。じゃあ金曜日な」
「うん―楽しみにしている」
そしてにこっと笑って塔矢が右手を緩く握り、差し出して来たのでおれはぎょっとした。
「なっ、なんだよ?」
「何って…約束」
指切りをしようと塔矢はおれに言ったのだった。
「なんで指切りなんか!」
「するだろう? 普通。ちゃんと約束をする時には」
って、こいつ回りの人間と一体どういう生活を送ってるんだとおれは思わず叫びたくなった。
(中三で指切りって…指切りって…)
あまりにも真面目な顔で言われたので突っ込むことすら出来やしない。
「さ、ほら」
しないのか? と促されて、おれは躊躇いながらも塔矢の小指に自分の小指を絡ませた。
「それじゃ約束。ゆびきりげんまん―」
小声で小さく歌う塔矢の顔をおれは思わずじっと見詰めてしまった。
(こいつ意外にキレーな声してやがんの)
そして顔立ちも相変わらず綺麗で整っている。
(怒るとまるで鬼みてーなのに…)
こうして歌っている顔はオンナみたいに可愛いと思う。
(いや、オンナよりずっと可愛いかも)
絡められた塔矢の指は細くて柔らかくて心地よく、続けられる歌声は快く耳をくすぐった。
(マジ可愛い)
こいつホントにこうしていれば可愛いんだよなぁと、気が付けばそんなことをしみじみと考
えてしまっていた。
「――指切った」
歌が終わり、塔矢が指を解こうとした時、咄嗟におれは自分でもわからないまま、絡めた
指をぎゅっと握り込んでしまった。
離したくない。衝動のようにそう思ってしまったからだ。
「進藤?」
「あ…いや、今ちょっと考えごとしててマジメにやんなかったからもう一回やらないか?」
慌てて繕った言い訳を塔矢は素直に受け止めた。
「なんだ、キミは意外に律儀なんだな」
「悪いかよ」
「考え事をしていても指切りは指切りだと思うけれどね。でもそれじゃもう一回、金曜日会う
のを忘れないように」
指切りと、小さな声で再び歌いだす。その顔をおれはまたじっと見詰めた。
(こいつこんなこと、他の皆ともやっているんだろうか?)
そんなことを考えながら、絡めた小指を揺らして『指を切る』。
「それじゃまた同じくらいの時間に」
「…うん、絶対遅れないで来るから」
「どうだか。当てにしないで待ってるよ」
くすくすと笑うその顔は無邪気で素直で明るかった。
「あ、そうだ。もし約束を破ったらその時はどうなるん?」
二度目の指切りも結局塔矢を見詰めていてちゃんと聞いていなかったので、ペナルティが何
だったのかおれは聞きそびれてしまっていた。
「なんだ、折角やり直したのに聞いていなかったのか」
「ごめん、いや、ちょっと余所見した隙にさ―」
「一生ぼくと打つこと――だよ」
席を立ち、市河さんの居るカウンターの方に歩いて行きながら塔矢は言った。
「もし約束を破ったら、キミはぼくと一生打たなくちゃいけないんだ」
怖い罰だろうと、振り返る顔に何故か頬が熱くなった。
「う―――うん」
(なんだそれ、全然ペナルティになんかなってないじゃないか)
驚きと照れくささと更に大きくなった胸のこそばゆさに一瞬返事が遅れたら、塔矢は何か勘
違いしたらしい、悪戯っぽい顔になって笑った。
「キミはもう指切りしてしまったんだからね。今更取り消そうとしても無駄だよ?」
「しねえよ、そんなの!」
するわけが無い。して欲しいと言われてもおれの方が逆に取り消しなんかしたくない気分だ
った。
「男に二言は無いんだから、もし約束破ったらおまえとちゃんときっちり一生打ってやるよ」
「そうか、それは嬉しいな」
にっこりと微笑む可愛い鬼。
この鬼に一生取り憑かれて、二人向き合って打ち続けるならそれはむしろ罰では無く、とび
っきりの人生の褒美ではないだろうかとそう思う。
「あ、でも…ちょっと待てよ? もしおれがちゃんと約束守ったらそれってどうなるんだ?」
「え?」
「逆におまえにペナルティがかかることになる?」
ふと思いついて言ったら、塔矢はきょとんとしたような顔になった。
「そうだね。言われてみれば…そう……なるのかな?」
よくわからないけれど、それじゃ、ぼくはどんなペナルティを負えばいい? と改めて尋ねられ
ておれは塔矢の目を見詰めながら思い切って言ってみた。
「おれと打つこと――なんてどう?」
瞬間、塔矢の目が大きく見開かれる。
「もしおれがちゃんと約束を守ったら、おまえはおれと一生打たなくちゃいけないんだ」
どうだ、それって怖いだろうとさっき塔矢が言ったことをそっくりそのまま返してやったら、塔矢
はしばらく黙った後でいきなりおかしそうに笑い始めた。
「…うん、そうだね。怖いペナルティだ」
でも同時にぼくにとってはとても嬉しいペナルティでもあるよと、笑いの合間に言われた言葉に
胸の奥が熱くなる。
「じゃあそれで約束成立ってことで、約束を破ったらおれは一生おまえと打つ」
「うん、そしてもしキミがちゃん約束を守ったなら、ぼくはキミと一生打つ」
指切りの約束を守っても打つことになり、守らなくても打つことなる。
どちらにしても、結局は互いを縛り付け一生打つことになるのだと、馬鹿で無邪気なおれ達は
随分長い間そのことに気が付かなかった。
「指切りげんまん―嘘ついたら」
会うたびに、そして別れの時間がくるたびに小指を絡めて繰り返される他愛無い呪文。
指切り鬼。
おれとあいつはいつの間にか約束をしなくても側に居て、指切りをしなくても一生打つ。互い
に互いが掛け替えのない、離れがたい唯一になっていた。
※単純に指切りするアキラが見たかった。それだけの話です。べりきゅーv
そしてこの二人の指切りは色々と間違っています。 2008.12,4 しょうこ