ピアス



その日の朝、にこりともしない仏頂面で現われた塔矢は、おれを見ると更に渋い顔をして
声もかけずに通り過ぎた。


「何? また喧嘩かよ」

ちょうど話をしていた和谷にからかわれて、「まあそんなとこ」と曖昧に返す。

「おまえら本当、飽きないよなあ」

「別に好きで喧嘩してるわけじゃないって!」
「まあそんなことはいいからさ。で、結局そのピアスはどういう心境の変化でつけたんだよ」


中段された話に戻って和谷が言う。

「ああ…これは……まあ」

ぎこちなく右耳に触れながら、「なんとなく?」と言ったら苦笑された。

「いいけどさ、それきっと後で篠田先生に怒られるぜ」
「え? マジ?」
「マジマジ。棋士は人に不快感を与えるような格好は禁止だからとか言われてさ、前にお前
みたいにピアスして来たヤツが居たんだけど、その時すっごく絞られたんだよな」


「うわっ、知らなかった。ヤバっ…」
「まあ、でもいいじゃん。進藤は怒られ慣れてるから」


もう一度や二度そういうことが増えたって平気だろうと、からからと笑って肩を叩く。

でもおれは笑えなかった。実はこのピアスは塔矢とお揃いでつけているものだったから。

お揃い…正確にはひと組のピアスを二人で分け合ったと言った方が正しい。





この前の休日、おれは塔矢と二人で出かけ、通りがかった宝飾店を冷やかしている時に
指輪を見つけた。


それは所謂ペアリングと言うヤツで、デザインもシンプルだったので、これなら塔矢もつけ
てくれるんじゃないかなとふと思った。


なので恐る恐る買おうかと言ってみたら、そんなものはいらないときっぱりとはねつけられ
てしまったのだった。



『指輪? そんな物をつけていたら打つ時邪魔じゃないか!』

それがあまりに容赦ない言い方だったので、おれはついカッと頭に来てその隣にあったピ
アスを衝動買いしてしまった。


『そんなもの…どうするんだ、キミ』

『邪魔になるものがダメって言うなら、これならいいだろ』

おれと一緒にこのピアスをしてくれよと差し出したら塔矢はみるみるうちに恐ろしい形相に
なった。


『どうしてぼくが!』
『恋人同士だろ、おれら』


なのにそれらしいものは何一つ無い。おれのことをマジで好きなら片耳にピアスくらいして
くれたっていいじゃないかと言ったら塔矢の顔は更に険しいものになった。


『そんなものでぼくの愛情を計ろうって言うのか』
『そんなもんも何も、おまえの愛情なんかおれには知りたくてもわからないんだから、たま
にはカタチにして見せてくれてもいいだろっ!』


とにかく、おれのことをマジで好きなら次の手合いにこれをして来てくれと、ほとんど無理
矢理押しつけるようにしてそのまま別れて帰って来た。



塔矢は少なくともその場で投げ捨てたりはしなかったと思う。

でも元々ピアスの穴なんて開けていなかったし、して来てくれるかどうかは賭けのようなも
のだったので当日までおれはじりじりと待つことになった。


(…それで蓋を開けてみればこうだもんな)

ほんの少し期待していたけれど、塔矢は結局ピアスをつけて来てはくれなかったようだ。

それどころかこの間別れた時のまま、根深い怒りのオーラを漂わせながら現われたのだ
った。



「まあ…結果的には良かったんだけど」

もし万一おれの我が儘を聞いてピアスをして来てくれていたら二人揃って怒られるところ
だった。


でもそう思う反面、割り切れない気持ちも残る。

自分が言い出したことだから当然と言えば当然なのだけれど、おれはピアスをつけるため
に、わざわざ加賀に頼んで穴を開けてもらい、今日ちゃんとして来たからだ。


そして塔矢もおれがして来ることはわかっているはずで、だったらどんなに嫌だったとしても
本当におれのことが好きなら、つけて来てくれるものではないかとそう思ってしまうからだ。



(結局おれだけ痛い思いして、叱られて…一人で損じゃん)

身勝手だとは思いつつ、おれはどうしてもそう思わずにはいられなかった。


「おい、もう行こうぜ」
「ああ」


悶々としている内に10時になり、おれは和谷に促されて手合い場に入った。

入る時にちらりと篠田先生に見られたような気がして思わずしゃんと背筋が伸びる。

(やっぱりピアスはNGなんだ)

そう思うと塔矢がして来なかったことに改めてほっとして、でも一人で叱られる情けなさに
自然に顔が俯いてしまった。


(あーあ)

こんなんじゃおれ負けちゃうかもしれないなと、更に情けないことをぼんやりと考えていた
ら強い視線に気がついた。


じっと、焦げる程の強さでおれを見ている目。

顔を上げると塔矢が部屋の奥で、立ったままおれを見詰めていた。

ずっと先に入っていたはずなのに、塔矢は座りもせずにこちらを向いて仁王立ちのように
して立っている。


「塔―」

思わず声をかけようとした瞬間、塔矢はふっと視線を外し、いきなりおれに背を向けて座
った。


(なんだよあい―)

「つ」と思う前に絶句した。

座る瞬間、塔矢はおれに見せつけるかのように左手で髪を掻き上げた。

ごく自然な動作だったけれど、指の間、こぼれる細い髪の下におれは銀色に輝く小さな
ものを見つけたからだ。


形のいい耳に輝いていたのは石付ではないプラチナのピアス。間違い無くおれがあいつ
に押しつけたものだった。


「…してくれたんだ」

呆然と突っ立ったままおれは塔矢を見詰めた。

頑として振り向かず、もう対局に集中しているらしい塔矢の背中は相変わらずおれを拒
絶しているかのように見えた。


その顔はきっと仏頂面のままで、もしおれを見れば睨み付けることだろう。

(でも、それでもしてくれた)

鬼のように怖い顔で怒りながら、おれの我が儘をきいてくれたのだと思ったら身が震え
る程に嬉しいと思った。


「塔―」
「進藤くん座りなさい」


気がつけばもう皆座っていて、部屋の中で立っているのはおれだけになっていた。

「早く自分の場所に座って。それからキミは今日、終わった後帰らないで残っていて下
さいね」


お話ししたいことがありますからと篠田先生に言われて、ああやっぱり叱られるのだと
肩をすくめながら慌てて座る。


ばあか、遠くで小さく和谷が言うのが聞こえたけれど、でも不思議ともう情けない気持ち
にはならなかった。


(だって―)

ちらりとも振り向かない塔矢が、実はおれに無茶苦茶甘いのだと知ってしまったから。

怒っているくせにピアスをしてくれて、怒っているくせにそれをちゃんとおれに見せてく
れた。


「…おれってもしかして、凄いシアワセ者?」

仁王立ちになっていた塔矢の姿を思い出してくすりと笑うと、聞こえたはずは無いのに
塔矢はそっと左耳に触れた。


おれとお揃いの小さな銀色に輝くピアス。

切りそろえられた髪の下、それがあると知っているから、だからおれはシアワセだ。

猛烈に強烈にシアワセだと思った。

「ようし…」

今日は押せ押せで中押しで勝ってやる。

そして篠田先生にお小言を貰いに連れて行かれる前に、鬼のような形相の塔矢をしっ
かり抱きしめてやるのだとそう心に決めたおれは、さっき塔矢がしていたように右耳の
ピアスにそっと触れると、大きく息を一つ吐き、晴れ晴れとした気持ちできちんと座り直
したのだった。



※今日は冬まつりですね。来られない方のために今年はこの話を贈ります。こんなもので代わりになるとは
思いませんが少しでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。
そして蛇足、篠田先生に呼び出しをくらったのはヒカルだけですが(アキラは髪で見えない)わざわざ馬鹿正
直に「篠田先生、ぼくも彼と一緒にお話を伺うべきだと思います」と言って鼻息荒く一緒に説教くらうアキラが
居るわけです。ええ。幸せバカップルということです。
2009.12.30 しょうこ