ポーカーフェイス




重いものがあるからと頼まれて、母の買い物について行った。

「ごめんなさいね、お休みなのに」

母はしきりと申し訳ながるけれど、別に休みだからと言ってどこに出かける用事は無かったので
気にしないでいいのにと思う。


「それで今日は何を買うんですか?」
「西瓜をね、買おうかと思って」
「西瓜…ですか?」


そろそろ店先に並びだしてはいるものの、まだ今は5月で西瓜の季節とはとても言えない。

「明日にはまたあちらに戻ってしまうでしょう? だからその前に美味しい西瓜を食べて、それで
行きましょうと思って」


久しぶりに日本に帰って来ている母は、まだ一週間しかたっていないにも関わらず、父と共に明日
には忙しなく中国に帰ってしまう。どうやらその前に日本の西瓜を食べたいということらしかった。


向こうにも西瓜はもちろんあるけれど、昨年食べたらあまり美味しく無かったようなのだ。


「じゃあ、次に戻って来るのは秋ぐらいなんですか?」
「途中、何回か戻っては来ると思うのだけど、夏にあちらで大きな催しがあるし、それに最近二人、
お弟子さんをとったから、お父さん、しばらくは付きっきりで見ていたいようなのよ」
「弟子を…」


父が海外で有望な若手を見つけては育てているという話は聞いている。

「そのうち誰か連れて戻って来るかもしれないわね」
「それよりも海外棋戦で顔を合わせる方が先かもしれませんよ」


少し前だったなら寂しい気持ちになったかもしれないけれど、今は不思議と何も思わない。ただ、
ああ自分は父の「育てなければならない子ども」では無くなったのだなと、そう思うだけだった。


それはある意味父に認められたということなので棋士としては喜ばしいことなのかもしれない。

「お父さんは今日はどこに行っているんですか?」
「練馬の窪塚さんの所に行っているわ。窪塚さん、体調を崩して自宅療養をされていてね。だから
励ましに行かれたんだと思うわ」
「そうですか」



ゆったりと話ながら近所のスーパーに行く。

両親が今のように海外と日本とを行き来する生活をしていなかった頃は来客もひっきりなしにあった
し、お弟子さんもたくさん居たので、近くの八百屋や酒屋に注文して届けてもらっていたものだけれど、
今は居ても親子3人なので、食料品などはこうしてスーパーに買いに来るようになったのだった。


「八百屋さんよりもお品は良くないけれど、でもお安いからいいわよね」

綺麗に陳列された食品を眺めながら失礼なことを無邪気に言って、母はどんどんぼくの持つカゴに夕
食の材料などを入れて行った。


「今日は何にするんですか?」
「そうね、少し冷えるからすき焼きか湯豆腐にしようと思っているんだけど」


どちらがいいかしらと小首を傾げて考えている。

「ぼくはどちらでもいいですけど、お父さんはどうなんでしょう?」
「お父さんは…そうねえ、お父さんは湯豆腐って言うかもしれないけど…でもやっぱり今日はすき焼き
にしましょう」


なんとなくそういう気分だからと言って、母は春菊や白菜などをカゴの中に入れた。

「西瓜は一番最後にして……あら、水ようかんがお安いわね。これ、食後にいただきましょうか?」

見れば売り出し品らしく、棚に山積みになっている。

「お父さん、水ようかんがお好きなのよねぇ」

元々あまり甘いものが好きで無い父が唯一好む甘味が水ようかんだった。

「食後には西瓜があるからいいんじゃないですか?」
「でも、こういうものも向こうでは食べられないから」


結局の所、母自身が食べたいのだろう。缶を手に取ると母は嬉しそうに味を選び始めた。

「お父さんはお抹茶の味にして、私は大納言。アキラさんは何がいいかしら?」
「じゃあ…ぼくも大納言で」


ぼくもあまり甘いものは好きでは無い。でもよく冷やした水ようかんは喉ごしが良くて結構好きだった。

「大納言ね?」

母の細い指が水ようかんの缶を掴み、ぽいぽいと三つカゴに入れるのを見ていたぼくは、その後にそっと
大納言を一つ追加した。


「あら?」

それを母が見とがめて、二つもお食べになるの? と不思議そうに聞いてきたので、ぼくは頬がカッと熱く
なるのを感じた。


「あ……いえ、これはぼくの分では無くて…」

言おうか言うまいか一瞬迷ってから、ぼくは明日進藤が来る予定になっているので彼の分も買ったのだと
言った。


「あらそうなの? 明日のいついらっしゃるの?」
「夜……手合いが終わった後に一緒に打つ約束になっていて」
「まあ…そう、夜にいらっしゃるの」


それじゃ、お会いできないわねぇと残念そうに言うのを聞いて、ぼくはどっと体中から汗が噴き出すのを感
じた。


「進藤さん、水ようかんがお好きなの?」
「こっ、この間、冷たい玉露と一緒に出してやったら美味しいって言っていたので」


それでまた喜ぶ顔を見たくてぼくはつい彼の分も買ってしまったのだった。



なんか おれ 茶とか ヨーカンとかってあんま好きじゃなかったけど

こういう冷たいの 美味しいな

熱くなるようなこと した 後だからかな?




思い出して更に顔が赤くなる。


彼は来る。明日来る。

夜に来るのはその前に両親が発つことを知っているからだ。

「進藤さん、泊って行かれるの?」
「あ……ええ、たぶんそうなると思います」


別に友人が泊りに来るなんてごく普通のことなのに、ぼくはすっかり狼狽してしまい、気がつけば指先が
細かく震えてしまっていた。


どうして入れ違いのようにして彼が来るのか母に見透かされてしまったようなそんな気がしたからだ。

「―残念ね、お父さんも進藤さんには会いたいって言ってらっしゃったのに」
「すみません」
「馬鹿ね。あなたたちにもあなたたちの都合ってものがあるでしょう?」


もう子どもじゃない、立派に独り立ちしている大人なんだからと、ころころと笑われて曖昧な笑みしか返せ
なかった。



「そうね、でも、じゃあそれなら」

もう一つ買わなくちゃと、母は言って更に一つ水ようかんの缶をカゴに入れた。

「一人で食べるより、きっと二人で食べた方が美味しいと思うわよ?」

こっちの三つは今日食べる用。こちらの二つは明日進藤さんと二人で食べる用と母は指さして言った。

「二日続けて食べたく無かったら、二つとも進藤さんにあげてしまえばいいわ」

進藤さん、アキラさんと違ってたくさんお食べになるからとぼくの内心を知ってか知らずか母は笑う。

「西瓜もお肉も余ると思うから、それも進藤さんに食べていただきなさいね」
「――はい」
「玉露も買って行きましょうか?」
「あ…それはもう買ってあるので」
「そう」


アキラさんは本当に進藤さんのことが大好きなのねぇと、苦笑のように笑われて心臓が止まるのではないか
と思った。


「この次はぜひ居る時にお約束してちょうだいね。アキラさんがお世話になっているお礼を言いたいから」
「――はい」


うなずきながらぼくはもう母の顔が見られなくなっていた。こんな動揺しまくりの挙動不審な息子を一体母がどう
思っているのか考えただけでも恐ろしかった。



気がついているのか

それとも気がついていないのか?


気がついているのなら何故それ以上追求しないのか不思議だったし、気がついていないのなら何故こんなにも
落着かない気持ちになるのかわからなかった。



母はただ穏やかに笑っているだけだというのに――。



それっきり母は忘れてしまったかのように進藤の話題を持ち出すことは無く、翌日父と共に出かけて行った。

考え過ぎだったのだろうかと、かなりほっとしながら進藤を迎え、二人で水ようかんを食べている時に気がつい
た。


西瓜とすき焼は、父でも無く母でも無く、彼の――――進藤の好物だったことに。



※結果的に言うと、ママは気がついていると。そういうことです。2006,5,2 しょうこ