傷痕
「人間だってさ、寂しかったら死ぬと思う」
ぱちりぱちりと石を置きながら、ふいに手を止めて進藤が言った。
「なんだいきなり」
「んー…『兎は…』って言うけどさ、そんなの動物じゃなくたって、人間だって寂しさで死ぬんじゃないか
と思ってさ」
進藤の思考には未だついていけない時があるのだけれど、今回もどうしてこの盤面からそんなことを
思いついたのかさっぱりわからなかった。
「そうかな。確かに寂しさで心を病むことはあるかもしれないけれど」
それで死ぬとはぼくにはとても思えなかった。
「…寂しさで心が死んで、体も死ぬんだ。きっとそうなると思うよ」
なんでそう、そんなことをきっぱり言い切るのだと少しばかり瞳が剣呑になる。
「そういう後ろ向きな考え方はぼくは好きじゃない。寂しければ寂しいで気を紛らわす方法を考えたらい
いんだ」
「確かにそれはそうだけどさ、でも…もしおまえがいなくなったら、おれきっと絶対寂しさで死ぬと思うよ」
はっと胸を射抜かれたような気がしてぼくは進藤の顔を見つめてしまった。
「こんなふうに打てなくなったら。会えなくなって話も出来なくなったりしたら、きっとおれは生きてられな
い」
心から腐って、そこから体も腐って行くんだと、声には非道く深いものがあった。
「進藤…」
「こんな当たり前みたいに打っているけどさ、人との別れって結構突然来るもんじゃん」
それは年に似合わぬ物言いで、ぼくは少しばかり不安になる。
「まあ、だから―いなくなんないでねってことなんだけどさ」
イケメンのすげぇ強い棋士がどこかからひょっこり現われたとしてもおれのこと捨ててそっちに走らない
でねと急にころりと声の調子が変り、おどけたように言われてつい殴ってしまった。
「するか!」
「んー…でも、おまえ強いヤツに弱いからなあ」
おれより強くておもしろそうなヤツが出てきたら、ひょろひょろとついて行ってしまいそうだと進藤はぼくが
殴った場所を「痛ぇ」と撫でさすりながら苦笑のように笑った。
「そしたらおれもうお払い箱じゃん」
そうなったら兎じゃなくてもきっと死ぬよと、言われて大きくため息をついてしまった。
「―行かないよ。例えどんなに格好良くて強い人が現われたとしても」
キミより格好良くて強い人はぼくには居ないんだからと、言ったら進藤は黙った。黙ってから吹き出して、
それはそのまま顔中に広がる静かな笑みに変った。
「ん―――さんきゅ」
おまえの目って本当に色々曇ってるよなあと言って、でも嬉しそうにぼくの体を抱き寄せた。
いつの間にかぼくよりも高くなった背。
体つきもぼくより、ずっとしっかりと逞しくなったのに。
それでも未だその体の中には非道く脆いものがある。
それが何かはわからないけれど、捨てられてはぐれた兎のように、彼を孤独に震わせたくは無くて、ぼくは
しっかりと腕を回すと彼の体を強く抱き返したのだった。
※「5月はダメなんだ、5月は」進藤初段談。2006.5.4 しょうこ