遠い記憶
南向きの窓からは日の光が差し込み、心地よい風がカーテンを揺らしている。
珍しく何も予定の無いオフ、乾いた洗濯物の山を抱えて通りかかった塔矢がおれに向か
って言った。
『キミも暇なのだったら少し手伝ったらどうだ』
洗濯物は取り込んだけれど、まだ布団が干したままになっている、それくらいキミがやる
べきだと身を屈め、塔矢は軽くおれを睨んだ。
『わかった。わかりました、すぐやります』
言って、でもおれは和谷から借りたビデオカメラでそのままずっと塔矢を追った。
『今日は天気が良かったからどれも綺麗に乾いている』
いつもこうだったらいいのにと、言っておれを振り返る顔は一瞬呆れたようだったけれど
すぐに笑顔になった。
『怒んないの?』
『言っても仕方ないだろう?』
まったくキミは新しいおもちゃを買ってもらった子どもみたいだと、苦笑しつつ液晶画面を横
切って行く。
『今日はこの後どうする?』
『どうって…もう三時だしどこか行くのもなんだよな』
『隣町に大きなショッピングモールが出来ただろう。一度見てみたいから良かったらあそこに
行かないか?』
『いいけど、おまえはそれでいいの?』
ものすごく久しぶりのオフなのにそういう色気の無いことでいいのかと尋ねたら、画面の中の
塔矢は再び近づいてきておれの額を指で突いた。
『その色気のあることを午前中にやってしまったから、こんな時間まで家に居るんだろう?』
『…そうでした』
咎めるような声はすぐに優しい笑い声になる。
『いいじゃないか、ショッピングモールでも。映画館も入っているみたいだし、キミの好きなブラン
ドも入っているみたいだよ』
夏服が少し足りないみたいだからそれを見立ててあげると、言ってそれから塔矢はベランダに
向い外を見た。
『雨は…大丈夫かな。でもこのまま布団までぼくに取り込ませるようだったら…』
色気のあることは当分お預けにするよと、言われておれは慌てて言った。
『やる、やります。いますぐやるからちょっと待っててって』
画面の中の塔矢は困った子どもを見るような顔でおれのことをじっと見つめている。
『まったく…ぼくなんか撮って何が楽しいんだか』
和谷くんに返す前にちゃんと全部消しておけよと、念を押すように言って塔矢は笑ってまたおれの
側に来た。
『こういうの、うちにも一台くらいあってもいいかな?』
ぼくたちも何か思い出を撮っておくといいよねと、胸の奥に染みるような優しい塔矢の声で映像は
終わる。
返す時に塔矢には嘘をついて、消さずにそのままもらったビデオテープ。それは後におれの大
切な宝物になった。
あまりにも生々しくて、切なすぎて一年に一度くらいしか見ることは出来ないけれど、そこには確か
におれと塔矢の生活が残されている。
「ほんと…自分たちでも買っておけば良かったよな」
まだ時間は果てしなくあり、おれたちの未来はいつまでも同じだと信じていたあの頃。写真すらまと
もに撮らなかったことを今更ながらに後悔する。
もどりたくて
でももどれない。
胸が張り裂けそうな程愛しい、何気ない日々。
「愛してる…塔矢」
いつまでもいつまでも変らずにおまえを愛しているよと画面に向かって囁いて、おれは胸の痛みを堪
えながらもう一度再生ボタンを押した。
『キミも暇なのだったら少し手伝ったらどうだ』
繰り返される、遠い過去の映像。
それは今はもう居ない塔矢がおれの側に居たという記録であり、おれたちが深く愛し合っていたとい
う決して消えない愛情の証でもあった。
※しつこく「鎮魂花」ネタです。久しぶりの更新がこういう話で申し訳ないです。ずっと昔に日記に書いたような気がしますが、
ある日遊びに行った時に実家の父がカセットテープを取り出してきて私と姉に聞かせてくれました。
それは何年か前に死んだ母と父が話している会話を録音したもので母には内緒で録音したらしく、くつろぎきった声で話してい
て、それがあんまりにもごく普通の日常だってので泣けて仕方ありませんでした。
なんていうか…特別なことよりもこういうなんでもない日常の方が愛しく大切なものであるのかもしれないと私は思いますです。
2006.6.16 しょうこ