ピンクなキミにブルーのぼく




妊娠して以来、不安感、苛々感がずっとある。

このままでは意味も無く進藤にヤツ当たってしまいそうだったので、一人で静かに棋譜を
並べて心を静めることにした。


「なあ、塔矢、今暑いから昼飯そーめんでいい?」
「いいよ」


碁笥の蓋を開け、冷たい碁石に指が触れるとすっと苛々が収まるような気持ちになった。

「薬味はさぁ、茗荷と生姜と小口ネギでいいかな」
「いいよ、なんでも」


今日はそう―先日のNEC杯の決勝にしよう。


「そうだ、暑いけど天ぷらも食べる?」
「いや、揚げるのが面倒だろうから別にいいよ」


パチリパチリと石を置く。この音がまた心地良いなと思っているとまた再び進藤が言った。

「でも、海老もイカも鱚もあるし、今探したらウドと青紫蘇もあったんだけど」
「…じゃあいいよ天ぷらも揚げて」
「やった! じゃあたくさん揚げるからな!」


これでしばらく静かになるなと、そう思っていたら再び声がかかった。

「なー、めんつゆはヤマキがいい? それともニンベンがいい? それともやっぱりつゆも
作った方が――」
「そんなものどっちでもいい!!!」


頼むからもうぼくに話しかけるなと思わず怒鳴ってしまったら、進藤は驚いたような顔にな
って、それからしょんぼり萎れてしまった。


「ごめん、うるさくして…」
「いや…こっちこそごめん。怒鳴るつもりじゃなかったんだ」


つゆはヤマキのやつでいいからと反省して優しく言ったら進藤は上目使いでおずおずと言
った。


「…じゃあ、ヤマキにする。それで柚胡椒はおまえ欲しい?」
「いや、いいよ薬味で充分」
「そっか。後それから」


デザートのフルーツはグレープフルーツが無かったのでもらい物のペリカンマンゴーでもい
いかとか、麦茶が間に合わなかったので水出しの紅茶でもいいのかとか色々と聞かれた。



「わかった。そんじゃおれ、天ぷら揚げてくるから」
「ああ…まかせたよ」


これでいい。これでこれでこれでこれでやっと棋譜並べに集中出来る。

「全部やってもらっているのに、怒鳴ってしまってすまなかった」
「いいよ、そんなん。おまえ普通の体じゃないんだし。それに…」


妊娠中って気が立って苛々するもんなんだろうと進藤はぼくを見て、鷹揚に笑ってこう言
った。


「うちの親も言ってたけど、とにかくなんでもないことでも、すごく腹が立ってしかたないん
だってな」


だから少しくらい八つ当たりされても許してあげなさいと母さんに言われたんだと進藤は
言うのだった。


「まあでもおれ、元々滅茶苦茶おまえのこと愛してるからさ。ちょっとくらいヤツ当たられて
も全然平気って言うかむしろ快感て言うか…」


だからどうか安心して苛々してと寛容な亭主面で言われてブツっと何かが切れた。

「きっ、きっ、きっ、きっ…」
「き?」
「キミが鬱陶しいから腹が立つんだああああああああっ!」


とにかくぼくを怒らせてくれるなと、半泣きになりながら訴えたというのに、彼は一人したり
顔で「わあ、本当に気が立つんだな」と感心したように言っているのでぼくはしばらくの間、
気が違ったように怒鳴り続けてしまいました。




※百点満点の亭主なんだけどちょっと鬱陶しいヒカルでした。まあ長い妊娠期間中にはこんなバカなことで喧嘩したりも
するだろうなと。ちなみにヒカルは大張り切りで「母親学級」なんかにも「来なくていい!」というアキラを押し切って参加
していたりします。2006,9.9 しょうこ