つないだ手
良い時もあれば悪い時もある。
恋愛というのは大抵そういったものだけれど、おれたちの関係はそれだけでは済まず、
常に迷いと不安と罪悪感の中で揺さぶられていた。
その日、特別に何があったというわけでは無かったけれど、おれたちは泣き出したいよ
うな気持ちを抱えて人混みの中を歩いていた。
始まりは些細なことで、それに無責任な他人の言葉が加わっただけのことだったのだけ
れど、おれたちはもうすっかりと関係を続けることに自信が無くなっていた。
そうでなくても同性同士、こうして歩いていても手を繋ぐことも出来ない。
こんなにも愛し合っているのにそれは世間的には異端で、十も百もわかっていたそのこと
が、今は重くてたまらなかった。
もし今一言、どちらかが「別れよう」と言えばそのまま別れてしまうのだと思う。
足を止め、そこでどちらかが切り出しさえすれば何も無かったことに出来る。そういうタイミ
ングだった。
でも、おれは別れたく無かったし、あいつもまたきっとおれと別れたく無いと思っているはず
だった。
だからどちらも止まることも出来ず、週末の賑やかな街中を頼りない気持ちを抱えたままで
ずっとさ迷い続けているのだ。
もういい加減疲れ果ててきた頃、隣を歩いていた塔矢がいきなりぴたりと足を止めた。
「―もう」
あいつの方から切り出したかと、心臓をえぐられるような気持ちで振り返ったら、あいつは
何故か明後日の方を呆けたように見つめていた。
「もう、クリスマスになるんだね」
「え?」
つられるように見た先にはデパートの大きなディスプレイがあり、その中には銀と青を基調にした
大きなクリスマスツリーが飾られていた。
「だからこんなに賑やかなのか…気がつかなかった」
「って、ここの所ずっと街中こんな感じじゃんか」
クリスマスっぽい飾りはついているし、クリスマスソングも流れている。それに気がつかないなんて
よっぽどだと言ったら塔矢は苦笑したように笑って「見ていなかったんだよ」と言った。
「キミのことで頭が一杯だったから…」
キミだけを見て、キミのことだけ考えていたから周りのことなんか気に留めてもいなかったと。
その声は次には、はっきりと苦汁を滲ませたものになった。
「キミのことを考えなくなったら、今度はぼくは何を考えればいいんだろう」
こんなにも大きく心を占めているキミを失ったらぼくは何を見て、何を感じればいいんだろうかと、
あいつがつぶやくのを聞いた瞬間、おれは子どものように大声で泣き出しそうになってしまった。
だって、おれだって塔矢のことを考えなくなったら何を考えて生きていけばいいのかわからない。
塔矢のいない世界なんて考えることも出来ない。
おれにとって塔矢はそれくらい無くてはならないものになっていたから―。
「別に―別にいいじゃんか。ずっとおれのことだけ考えていれば」
「だって…」
さっきまでお互いに抱えていたのが「別れ」だったことは塔矢もよくわかっている。
だからおれが言った言葉に塔矢は大きく目を見開いた。
「いいよ。もういいよ。もうおれ悩むのやめた」
もう悩まないと言って、おれは下げられた塔矢の手を取ると指を絡め、ぎゅっと強く握りしめた。
「走ろうか」
「えっ?」
この人混みの中、ぶっちぎって走ろうと言ったら塔矢は驚き、うろたえたような顔をしたけれど、
かまわずにおれは走り出した。
「ちょっ…進藤」
ほとんど引きずるようにして、でもすぐにあいつも同じ速度で走り始めた。
年末で、しかも週末で夜でと混雑の条件の重なった街中をおれたちは人と人との合間をすり抜け
るようにして走った。
「きゃっ」
「危ねぇなあ」
時にはぶつかったりもして、怒鳴られたり、はっきりと男二人で手を繋いで走っているものだから
驚いた顔で振り返られもした。
「なんだあれ」
「酔っぱらいだろ?」
どの顔もどの顔もおれたちを奇異なものであるかのように振り返る。
でも走るうちにそんなことはどうでもよくなっていった。
奇異だと思うなら思え。
不快だと眉をひそめたければひそめればいい。
おれにとってはおまえらよりも今この手を繋いでいる塔矢の方が百万倍も大切なのだと、そう思った
らなんだか誇らしいような気持ちになった。
大好きな人と走っている。
こんな幸せが一体他にあるだろうか?
大好きな大好きなたった一人の人と、このまま走って行けるのだったらそれだけでもういい。
いいじゃないかと、思った時に少し後ろを走っている塔矢がぷっと吹き出すように笑った。
「塔―」
「気分がいいね」
「え?」
「みんなが驚いてぼくたちを振り返ってる」
それがおかしいと言って、そのまま笑い出した。
「うん。うん…そうだな」
明るく楽しそうな笑い声におれもつられて笑ってしまった。
「ほんと、すげーおかしい」
笑ったことで余計に不思議そうに見られたけれど、そんなことは本当にどうでもよくなってしまった。
走り抜ける、人の中を。
それはたまらなく爽快だった。
弾かれたわけじゃない。おれたちが望んでそれを捨てたのだと。
笑って
笑って
ひたすらに走って。
そうしてようやく疲れて止まってから、おれたちは抱き合って泣いたのだった。
これはお名前もわからないある方に。不快だったならば申し訳ありません。 2005.12,19 しょうこ