孤独



目の縁一杯まで溜まっていた水は、小さなため息一つでゆっくりとこぼれ落ちた。

首筋まで温かい水が流れて、アキラはようやくそれが涙だと気づいた。

(苦しい)

胸が苦しくてたまらない。

目を見開いたまま、瞬き一つせずに一体どのくらいの時間天井を見つめ続けたのだろうかと
思ったら悲しさが生々しく蘇って来た。




「だったらいいよ、勝手にしろよっ!」

荒々しくそう言ってヒカルが出て行ってから、アキラはずっと畳の上に寝そべり、手の指一本す
ら動かすことも出来ずに天井の板目を数えていた。


喧嘩はいつものこと、ヒカルが怒りにまかせて家を飛び出して行くことも、それそこいつものこと
だったのに毎回毎回懲りもせず、胸が張り裂けそうになるのはどうしてだろうと思う。


(進藤のわからずや)

最初は一体何が原因だったのか、気がついたら言葉も荒く言い争っていた。

「一体何が不満なんだよ、一体、おまえは何を怖がってんだよ」

ヒカルは険しい顔でアキラをそう問いつめたけれど、その時はどうしても言えなかった。



「…ぼくはキミが怖い。キミと別れることがたまらなく怖くて仕方ない」

ほんの一度の諍いで壊れてしまいかねない。そんな恐れがアキラにはずっとあって、だから喧嘩を
して目の前からヒカルがいなくなるたびに千切れるほどの悲しさと痛みを味わってしまう。



「好きになんか…ならなければよかったのか」

世界がまだ自分一人だけのものだった頃、進藤ヒカルなど知りもしなかった頃に戻りたい。

せめてこの気持ちを自覚してしまう以前に戻ることが出来たならば…と考えて知らず失笑してしま
った。


「嫌だ、そんなの」

彼を好きにならなければ、こんな不安定な感情に気持ちを揺さぶられることも無い。なのに好きに
ならないという選択肢はいくら考えても自分の中には無いのだった。


「この…気持ちを知ることなく生きるなんて」

それは知ってしまった今では死んだのと同じだとそう思う。



甘く

熱く

切なく

痛く


今もこうやって自分に涙を流させているけれど、その痛みを知らなければ今の自分はここには居
ない。



こんなにも切望して、こんなにも脆い。

命を懸けたこの想いの行く先は彼にも自分にもわからないけれど、知らないよりは知って良かった
のだとそう思う。



「進藤……」

(帰ってきて強く抱いて欲しい)

貪るような激しいキスをどうか自分にと、声にならない声でつぶやくと、アキラは震える肩を自分自身
の腕で抱くようにして再び涙をこぼしたのだった。




※喧嘩してカッとなって出て行くのは常にヒカル。アキラはどんなに激しい喧嘩をしても二人で住むその場所から出て行くことは
ありません。例え喧嘩をした勢いでも「出て行く」ことが出来てしまうヒカルのことをアキラは密かに恐れていて、小さな不信感を
抱いています。だってアキラには「出て行く」という選択肢は無いから。


でもヒカルに言わせると「だから余計おまえのが怖いんだよ。出て行く時は本当におれと別れる時だから」と、アキラはこう言われ
ると「だから出て行くという選択肢はぼくには無いって言っているだろう」と激しく反論しますが私はヒカルの気持ちもなんとなくわ
かります。2007.7.23 しょうこ