「お人形」



「泣けよ!」
「笑えよ!」
「悔しかったらなんか言い返してみろよ!」


おれは「お人形さん」なんかいらないんだからなと叩き付けるように言われてムッとしたけれど
言い返せなかった。


「…誰もがキミみたいにはっきりと気持ちを口に出来るなんて思うな」

感情を抑えてそう返したけれど、それでも少し語尾は震えた。

「出来るだろ。誰だってほんの少し正直になれば」

今のおまえみたいに自分の気持ちに嘘ついて、自分を守るの必死になって、それで大切なモン
傷つけるよりもマシだと、じっと見据えるようにして言われた言葉は胸の奥深くに突き刺さった。


「…非道いことを言う」
「おまえのが非道いだろ」


おれと別れて結婚するなんて、そんなことどうして言えるのかわからないと、進藤の声は激しかっ
たけれど、その響きは泣いているようだった。




今年の初め、父が倒れて今度こそ次は無いと言われた。

今までにも何度か入退院を繰り返し、それなりに二人とも覚悟は出来ていたのだろう、そのことに
ついては父も母も動揺した様子は見られなかったけれど、最後の心残りが自分のことだと言われ
て正直ぼくは狼狽えた。



「――――――え?」
「別に無理強いをしているわけでは無いが、もし出来るならおまえが伴侶を得て、落ち着いた所を
見てみたい」



今まで一度もそんなことを言ったことは無かったのに、父に部屋に呼ばれてそう切り出された時に
ぼくは何も返事が出来なかった。


「自分がこんなバカな親だとは思わなかったが…」

人並みに息子の結婚を見届け、孫を腕に抱いてみたくなったのだと言われて、ああ父も年を取った
のだなと思った。


元々ぼくは遅くに出来た子どもで、得られないかもしれないと言われていたこともあって溺愛された。

そういうことを表に出す人では無かったから、それはほとんど囲碁を教えるという形でのみ現われた
けれど、今の自分ならそれが父の自分への最大級の愛情の示し方だったのだということがよくわかる。


自分が命をかけたものだからこそ、それを子どもにも伝えたい。父にはそんな想いがあったのだろう。
自分が手渡せる最高で唯一のものを父は愛する者に与えたのだ。


だからぼくにも漠然と、父から貰ったものを誰かに手渡したいという気持ちはあった。

受け取った大切な物をぼくも愛する者に譲りたい。それは頭で考えたというよりも身のうちから生じる
衝動のようなものだったかもしれない。


けれど進藤を生涯の伴侶に選んだ瞬間にそれは叶えられないこととなり、ぼくは漠然と囲碁を志す人
全般に手渡して行けたらと考えたのだが、父は血の繋がりでそれを見たいと願ったらしい。




「…でもぼくにはお付き合いをしている方もいませんし」

今はそういう気持ちにはなれないのだと、動揺しつつもやんわりと回避しようとしたぼくに、父は引き下
がらずに見合い写真を差し出した。


「おまえの性格は良くわかっている。だから無理には勧めないが、もし今他に誰も交際している相手が
いないのだったらそういう機会を作ってもいいのではないか」


これで決めろというわけではなく、父親がそう望んでいることを頭に置いてこれからを生きては貰えな
いだろうかと言われて、ぼくは強く断ることが出来ずにその見合いを受けたのだった。



そして…。

相手の女性は思いがけず良い人で、例えばもし自分に進藤が居なかったなら付き合っても良いと思え
るような人だった。


さすがに親というものは子どものことをよく見ているようで、好みのタイプの女性を選りすぐりで探して来
たらしい。


はっきりと断る理由も無く、父にも母にも背中を押され、ずるずるとデートのようなものを繰り返していた
ぼくは、とうとうはっきりと選択することを迫られてしまった。


おまえも相手と話が合うようだし、良かったら話を進めよう―――と。





「だからってそれでおまえはぽいとおれを捨てるわけだ?」

薄々とぼくが見合いをしたこと、その相手と会っていることに気がついていながらも進藤は何も言わず
に見守っていた。


それはぼくが自分を裏切るわけが無いという信頼に基づいてのことで、だからぼくが別れを切り出した
時、彼は逆上したのだった。



「おまえがその人を好きになったってんならいいよ」

おれよりもその人のことが好きになってしまって、それでおれを捨てるって言うなら腹は立つけど許して
やると。


「でも違うだろ、おまえ『嫌いじゃない』って程度だろう」

そんなんで捨てられちゃたまらないんだよと、実際に殴られたわけでは無いのにぼくは頬に殴られたよ
うな痛みを感じた。


それくらい彼の言葉は痛かったのだ。

「ぼくだって出来るならこんな話はしたくない。でも―」
「おまえんちの事情はわかったよ。いつかそういうこともあるかなって思っていたし。でもそれと結婚する
しないは別だろう?」


おまえのおれへの気持ちはそんなものだったのかよと言われてつい言い返してしまった。

「そんなわけ無いだろう」

ぼくはキミが好きだ、キミしか愛せないと思うと。

「だったらなんで親の言いなりになんてなんの?」

本当におれのこと好きだったら、こんな非道いこと出来ないはずだぜと言われて、全くもってその通り
なのでぼくは言い返すことが出来なかった。


「でも父が――もし本当に父の命が長くないなら」

最後に悲しい思いをさせたくない。それが例えまやかしでも、幸せな気持ちで逝って欲しい。

「じゃあもし、おれが見合いして結婚してもおまえ平気なん?」
「え?」
「おまえがおれを捨てて結婚するって言うんなら、おれは今日このままどこかの結婚相談所に登録し
て、誰でもいいから気のあった女と即結婚するぞ」


おまえより早く結婚して、おまえの結婚式には夫婦二人して出席してやると言われて絶句した。

「そんな無茶な…」
「それで親友代表としてスピーチしてやる。『おまえもおれ達みたいなシアワセな家庭を築いてくださ
い』って」
「やめてくれ!」


それは言葉だけのことで現実ではないのに、ほんの少し想像しただけでぼくは死にそうになってし
まった。


「そんなこと…耐えられない」
「だったらおれの気持ちもわかるはずだぜ?」


気持ちが離れたわけでも無いのに捨てられたらおれは生きてなんかいけないと、言われた瞬間涙
が溢れ出した。


「ごめん…ごめん、進藤」
「謝らなくていいから、今決めて」
「…」
「その縁談断っておれと生きるか、おれを捨てるのか」


言っておくけどさっきのは脅しじゃないからなと言われ、その思い詰めたような瞳を見た時に本気
だとわかった。


「そんなことしたらおまえもおまえの結婚相手も、おれの結婚するかもしれない相手も不幸にする
けど、それでもおれはそうする」


それくらい今怒っているからと、進藤は泣いてはいなかったけれどその内側では号泣しているのだ
と、それが声の端々から伝わって来た。


「お願い…おれのこと捨てないで」

頼むから「良い子」で「お人形」なおまえから卒業してくれと、折れる程強く抱きしめられてぼくは目を
閉じた。


「…帰ったら言う」
「え?」
「帰ったらお父さん達にキミのことを話す」


愛している人が居るからこの縁談は無かったことにして欲しいと、泣かせても殴られてもそう話をつ
けてくるからと言ったら進藤は更に強くぼくを抱いた。


「―――ありがと」

掠れるような小さな声。

その後に押し殺したような泣き声が続き、ぼくは彼がどれくらいぼくを愛しているのかを自分の愚か
さと共に、改めて思い知らされたのだった。



※ヒカルは親が枷にならない人。アキラは親が最大級の枷になってしまう人。どんな親でも子どもにはシアワセになって欲しいと願うものだし、
子どもも又、親に喜んで欲しいという気持ちがあると思う。でもだからって間違えちゃだめだよね。2007.7.29 しょうこ


いつも似たよーな話ばっかですみません(汗)でも好きなんですこういうの(^^;