花火
じっとりと汗の浮く蒸し暑い河川敷に、葦を抜けて爽やかな風が通った。
川面を行き交う屋形船がおかしな程ぴたりと進むのを止めて、予めそう決めてあった
かのように一斉にエンジンを切る。
聞こえの悪いスピーカーからハウリングが聞こえた後にぼそぼそと何か聞こえてざわ
めきと拍手が起こった。
「始まるのかな?」
「ん、もう時間だし」
1畳分のレジャーシート。その上に肩がつくほどにぴったりとくっついて座っていたおれ
達は、ざわめきに押されるように空を見上げた。
再びさわと風が吹く。その風が耳をかすめて行くのと同時にひゅと何かを打ち上げる音
がして、暗闇に白い光の筋が立ち上った。
「始まった」
シートに置いたおれの手に重ねるように手を置いていた塔矢が指を絡めるようにしてぎ
ゅっと強く握って来た。
ぱあっと夜空一面に大きな光の花が開き、遅れてドンと空気を震わせる音が響いた。
「綺麗だな…」
一瞬で散り、ぱらぱらと細かな火の粉に変る、その残像が残っている内にもう次のもの
が打上がり、ひゅ、ひゅと独特の音が耳をくすぐる。
「体に響くね」
ドン、ドドンという大きな花火の打ち上げ音は、遠くに居てはわからないが、こうやって真
下で聞くと体に響く。
体というか心臓を直接震わせられるようで、年よりや病人には少しキツいのではないか
といらぬ心配をしてしまう。
「うん、すげえ直に来るな」
いつもと違い会話はワンテンポずれたようにとぎれとぎれに続けられる。それは休み無く
打ち上げられ続ける花火に目を奪われているからで、けれどしばらくしてふと目線を下ろ
したおれはぎょっとした。
塔矢が微笑みながらおれをじっと見つめていたからだ。
「なんだよ、何見てんだよ」
「キミを―すごく嬉しそうな顔をしていたから」
かわいいなあと思ってと、言う塔矢の頬は赤い。
「おまえ…酔ってる?」
「いや? ビールの一缶や二缶で酔っぱらったりなんかしないよ」
けれど実際は花火が始まるのを待ちながら、他に日本酒やワインの小瓶も開けたりし
ているのだ。
「ほら、おれなんか見てないで花火見ろよ」
次はたぶんスターマインだぜと、いつまでもおれを見つめ続ける塔矢に、照れ隠しに見え
もしないプログラムを開いたら、いきなりぐいと顎を掴んで上向かせられた。
「―な」
何するんだと言う間もなく、塔矢の顔が迫って来て、柔らかい唇がおれの唇をそっと塞い
だ。重ねられ、その温かい舌がおれの舌に誘うように触れて全身に一度に鳥肌が立つ。
「ばっ―」
ドンと、一際大きく夜空に開いた花火の明かりに我に返る。
「バカかおまえ、こんな所でっ」
いつもは人前で手を繋ぐことさえ嫌がるくせに、発狂でもしたのかと軽く睨んだら、塔矢は
怯んだ様子も悪びれた様子も無く、ただにこにこと微笑んだ。
「大丈夫、みんな上ばかり見て、ぼく達のしていることなんか見ていないから」
だから幾らキスをしたって平気だよと言って再び身を乗り出しておれに口づける。
2度目のキスはさっきよりも大胆で長く舌も絡められたので、おれは臍から下に熱が集まり、
固く強ばってくるのを押さえられなかった。
「…いい気分だ」
けれど塔矢はそれを知ってか知らずか相変わらずとろんとした目でおれに微笑みかけてい
る。
「隣にはキミが居て、花火は綺麗でお酒も美味しい」
まるで天国だなと無邪気に笑われてふいに腹立ちにも似た衝動が襲った。
「知らないぞ、もう!」
そんな可愛く微笑んで、普段は絶対させないキスをこんな大勢の中で自分から堂々とした。
それでおれが我慢出来るなんて思うなよと、再び上向かせようと手を伸ばしてくるのを振り払
い、反対におれからキスをしてやった。
「…ん」
激しく吸い、絡める舌に塔矢が苦しそうに声を漏らした。
「…ん……う……ん」
ドン、ドンと花火は上がる。
一人や二人、空を見ていないひねくれものが居るかもしれないし、花火の切れ間にうっかり
おれ達を見てしまうヤツも居るかもしれないけれど、もうどうでもいいやという気分だった。
見たけりゃ見ろ。うらやましさに死んでしまえ。そんなバカげた思いが沸き上がったのはおれ
も結構酔っぱらっていたということなのかもしれない。
(いや、違う)
こいつに酔ったんだ。
らしくなく触れてくるこいつに理性のタガが軽く吹っ飛んでしまったのだと。
「…さっき食べた焼きイカの味がする」
ようやく離してやって、どうだと顔を近づけたら、くすくすと笑ってそう言うので、もう小憎たらし
くて愛しくて、そのまま頭を抱えるようにして再び何度も口づけてしまった。
シートの上、体を支える手が寄れて、シートも醜くめくれあがる。行儀良く座っていたのが今
はもう押し倒さんばかりになっていて、気がつけば浴衣もかなり着乱れていた。
「――――もう」
幾らなんでもやりすぎだと、さすがに少々正気に戻ったらしい塔矢に軽く胸を押されても頑と
しておれは離さなかった。
「進…ど………」
「うるさい、黙れ」
汗が首筋を伝って幾つも流れる。
どれくらいそうしていたのか、辺りが急に昼のように明るくなってようやくおれは塔矢を離し
た。
「…スターマイン」
第1部の山場、三千発の連射花火は視界一面を光で覆って、それからふっと唐突に消え
た。
残ったのは闇と、ざわざわとした人の声と、焦らされたようなもどかしい体の中の熱。
「進藤…」
おれを呼ぶ塔矢の声がいつもよりずっととろけるように甘い。
「進藤…」
浴衣の袖をねだるように引かれて、おれは闇の中で微笑んだ。
「―ん」
わかってる。
大丈夫。
おれもおまえと同じだから。
そして―――。
まだ花火は半分も終わっていず、楽しみにしていた仕掛け花火も見ていなかったけれど、
もうそれ以上我慢することが出来なくて、おれ達はそそくさと荷物をまとめると、皆が空を
見上げる中、急くように土手を離れたのだった。
※で、結局家まで我慢出来なくて途中の公園のトイレなんかでしちゃうんですよ。ケダモノですね(笑)
2007.8.8 しょうこ