ゆびさき



カラフルな折り紙と、それをゆっくりと折る白い指。

何度も折り方を書いた紙を見直している真剣な横顔を見つめながら、ヒカルは可愛いなあと
心の中でつぶやいてしまった。




「先生、これ折れる?」

ことの始まりは子ども向け囲碁イベントの休み時間だった。

多面打ちでの指導碁を終え、他の若手と交代で休憩に入った時、ぼんやりと会場を眺めてい
たら、小さな女の子が一人折り紙を持ってヒカルの元に走って来たのだ。


「あ、はるかちゃんだっけ? 何?」

初心者向けの簡単な解説をした時に一番前の席に居た五歳くらいのその少女は、その後、遊
びを兼ねた勝ち抜き戦に参加して早々に負けてしまったらしい。暇になって休憩スペースで折
り紙をしていてヒカルを見つけ、一緒に折ろうと誘いに来たのだ。


「いいよ。何折るん? 鶴?」

鶴や兜ならヒカルでも折れる。小さい子ども向けのスペースでは既にたくさんの子ども達が折り
紙に興じていて、袖を引っ張られるようにして連れて来られたヒカルも鶴を折るつもりで色鮮や
かな色紙を手に取った。ところが思いがけずダメだしが出たのである。


「違う。鶴なんかはるかでも折れるもん」

言って差し出されたのは手本として置いてある折り紙の折り方を書いたプリントで、彼女はその
中の「睡蓮」を折りたいらしいのだった。


「睡蓮って…何? ハスの花?」
「そう、何度折っても上手く出来ない」


もどかしそうに言って差し出された折り紙は、なるほど確かに睡蓮には見えない。けれど格闘し
た後が実によく皺だらけの紙に現われていてヒカルは思わず微笑んでしまった。


「いいよ、お兄ちゃんが格好良く折ってやる!」

そして折り紙を手に折りだしたものの、思っていたよりずっと「睡蓮」を折るのは難しく、ヒカルは
何度もやり直すはめになったのだった。





「…進藤、何をやっているんだ?」

どれくらい没頭していただろう、ふと頭上から声をかけられてヒカルは顔も上げずに答えた。

「見りゃわかんだろ。折り紙折ってるんだ」
「それはわかる。でも何を折っているのかわからなかったから聞いたんだ」


声の主はアキラで、顔も上げないヒカルに明らかに不満そうな顔をしたけれど、ヒカルの手元
に興味を惹かれたのか、いつものようにキツイ言葉でそれを正すことはしなかった。


「…積乱雲」

しばらく見つめた後、ぽつりと言う。

「それか、爆発した鶴。それとももしかして、栗のイガか?」
「言ったのがおまえじゃなかったら喧嘩売ってんのかって殴ってる所だよなあ…」


指先はまだ折り紙と格闘したまま、ヒカルはやっと目を上げてアキラを見た。

「何が?」
「ウルトラ失礼ってこと。でもおまえ、マジでそう思うから言ってんだもんな」


ヒカルは苦笑したように笑うと、折り終わったらしい折り紙をつまみ上げてアキラに見せた。

「これで完成。なんに見える?」
「…今まで言ったものじゃないのか? じやあ…」


ものすごく真剣な顔で考えた後にアキラはぱっと顔を輝かせて言った。

「腐りかけの葉ボタンだ!」

睡蓮! と即座に頬を赤く染めたヒカルが訂正した。

「睡蓮…随分前衛的な…」
「ほんと、マジでおまえで無かったらこの場でぶん殴ってる」


おれこれ折るのに1時間以上かけたんだぞ、非道すぎると恨めしそうな言葉に、アキラはや
っと自分の失言に気がついた。


「悪かった。どこからどう見ても睡蓮には見えなかったものだったから」

ああ、こうしてだめ押ししちゃうのがこいつの非道い所でもあり、天然で可愛い所でもあるよ
なと思いつつヒカルはため息をついてアキラに隣の席に座るように促すと、折り紙と折り方
を書いたプリントを渡した。


「…なんだ?」
「おまえも折ってみろって、結構難しいから」


「なんでぼくが?」
「無邪気に非道い言葉でおれのプライドを傷つけたから。だから精神的慰謝料の代わりに
おまえが上手に折ってくれよ。そうすりゃおれもお役御免になるから?」


「お役御免?」
「頼まれたん、可愛い女の子に『上手く出来ないから折って』って」


そしてイベントが終わる時に手渡しすることになっているのだと言ったらアキラは少々呆れたよ
うに笑っていたその顔から笑いを消すと、黙って椅子に座ったのだった。


「何? 折る気になった?」
「どこの誰にあげる約束をしたのか知らないけど、こんな爆発したようなものをあげるわけには
いかないだろうからね」


ぼくが折るよと言うのを聞きながらヒカルは密かにほくそ笑んだ。

わざと相手の年齢をわからないようにぼかして言ったので、アキラはその見もしない相手に焼
き餅を妬いたのである。ヒカルの折ったものを渡してはなるものかと対抗意識を燃やしている。


アキラは自分では気がついていないようだがそういう傾向があり、なのでヒカルはわざと煽って
器用なアキラに睡蓮を折らせることにしたのだった。


ぼかしたとは言え、五歳の女の子に嫉妬してくれるアキラの気持ちが可愛いという思いと、長い
時間をかけて折った折り紙をけなされたことへの意趣返し。


その両方を同時に胸に秘めたままヒカルは折り紙を折るアキラの器用そうな指先をじっと見つ
めた。



「…それ何?」

そして、少しして折り上がったものを見つめてヒカルは悪いと思いつつ笑ってしまった。

「なんだ。何に見えるって言うんだ」
「えーと…爆発したアサガオ?」


器用であるはずのアキラが織り上げた睡蓮はどうしたことか、ヒカルが折ったものと大差の無い
前衛的にものだったのである。






「しっかし意外〜」

黙々と折り紙を折りながらヒカルはぽつりとつぶやいた。

「おまえ絶対折り紙なんて目ぇ瞑ってても折れるタイプだと思ってた」
「どういう意味だ」


やはり黙々と折り続けているアキラは、ヒカルの言葉に頬の真ん中を赤く染めて横目でじろりと
ヒカルを睨んだ。


「おまえが意外に不器用で嬉しいって話」
「失礼な! 折り紙は経験が浅いというだけだ」


アキラの話では、幼稚園でもほとんど皆と団体行動は取らず、一人遊びをしていることが多い子
どもだったらしい。


なので折り紙もほとんど折った記憶が無く、元より同い年の友人が一人も居なかったこともあっ
て、遊びに折り紙を折るという経験もしたことがなかったらしい。


「ほんっと意外! 龍でも虎でも折れそうな顔してんのに」
「顔は関係無いだろう!」


もう既に囲碁イベントは終わりの時間に近づいていた。

回りで折り紙をしていた子ども達もそれに飽きて会場内を走り回ったりお絵描きや別の遊びに興
じ始めている。


そもそもヒカルを折り紙に誘った少女もとうに飽きてどこかに行ってしまったし、ヒカルとしてはそ
っと席を離れて睡蓮を折るのをやめてしまっても良いはずなのだった。


でもそれをしないのは、キレイに折ってプレゼントすると約束したことと、いつの間にかヒカルより
必死になって折り紙を折っているアキラを眺めるのが可愛くて仕方が無いからなのだった。


(こいつ、ほんと負けず嫌い)

ヒカルに笑われたことが余程悔しかったらしく、アキラは黙々と幾つもの睡蓮の出来損ないを作
り続けている。


「…ここの角度が悪かったのか? それともここでちゃんと折り目を付けなかったから」
「あのー…おまえ最後に『有段者チャンピオン大会』の表彰することになってるんじゃなかったっ
け?」
「何?!」


顔を上げもせずに尖った言葉で返されて、ヒカルは思わず吹き出しそうになるのを必死で堪え
た。


「だからさ、この後まだやることが…」
「脇でぐちゃぐちゃ言っているくらいならどこかに行ってくれないか。もう少しで完璧に折れそう
なんだ」


いつの間にかアキラは目的が変わってしまっている。

ヒカルの折り紙を正体不明のライバルに渡すのを阻止するためでは無く、折り紙を完璧に折
るということに意識が集中してしまったらしいのだ。


「そんな言い方ねーだろ。閉会式の準備もあるから言ってんのに」
「キミは棄権か?」
「え?」
「ぼくはもう少しでどこからどう見ても睡蓮にしか見えない完璧な折り紙を折れそうだよ。でも
キミは爆発した鶴のままなんだね」


ということは折り紙はぼくの方が上手いということになると、その言葉にヒカルの頬はさっと赤
く染まった。


アキラの目的は「折り紙を完璧に折る」から更に代わり、「ヒカルよりも上手く折る」「ヒカルに
絶対勝つ」になってしまったらしい。



「んなわけねーだろ。おれのが完璧だって!」
「どうかな、段位だってぼくの方が上だし、去年の成績だってぼくの方が―」
「関係ねーだろ、それ!」


ヒカルはムッとした顔で折り紙を掴み取ると、今まで以上に没頭して折り紙を丁寧に折り始め
たのだった。





黙々と。

ただひたすらに黙々と。


後五分で打つのをやめてくださいとアナウンスが流れるのも無視し、一つでも多く、少しでも相
手より上手く睡蓮を折りたいと手を止めることが出来なかった二人は、結局閉会式の準備に
は参加せず、始まってからようやく芦原や緒方に見つかって引きずられるように休憩所から
連れ出された。


「もうちょっと…もうちょっとで完璧な睡蓮がっ!」
「進藤くんは帰りの景品の交換と記念品の配布役をすることになってるんでしょ?」


それよりも準備に来なかったからキミの友達裏で怒ってたよと、芦原に言われながらも、まだ
手の中では折り紙を折っている。


「すみません緒方さん。でももう少しで進藤のものよりもキレイな睡蓮が」
「おまえは優勝者の発表をして、花束を贈呈する役目だろうが!」


このくそ忙しい中、「おまえは」「キミ達」何をやっていたんだと二人揃って怒られて、更にご丁
寧なことには閉会式が終わった後にも、社会人としての自覚が足りないと全ての段取りを仕
切っていた篠田先生にみっちりと叱られることになったのだった。






「…キミに嵌められた」

帰り道、げっそりとした顔で言うアキラにヒカルは口を尖らせた。

「なんだよ、おまえが勝手にムキになったんじゃん!」
「違う。折り紙を頼まれた女の子って…幼稚園児だったんじゃないか」


会の終了後、ヒカルを折り紙に誘ったはるかちゃんは母親と連れだってヒカルとアキラの前に
やって来た。


「折り紙出来た?」

彼女がにっこりと言った瞬間の、目を剥いたアキラの顔をヒカルは一生忘れられないだろうと
思った。


「出来たよ。がんばって折ったから」

そう言ってヒカルは自分が折った分とアキラが折った分、二つの睡蓮を少女に渡した。

「わあ、キレイ! ありがとう」

少女は大喜びで母親と帰って行ったけれどアキラはそれからずっと機嫌が悪い。嵌められた、
騙されたとぶつぶつと呟き続けている。


「おれ一度も五歳じゃないなんて言ってないぜ?」
「でも五歳だとも言わなかった…」


キミはぼくの気持ちを弄んだんだと恨めしそうに言われて笑ってしまった。

「そもそもおまえがおれの男心を傷つけたのが悪いんじゃん!」
「だってあれは本当に爆発した鶴にしか見えなかったし…」


「おまえの折り紙だって、爆発したアサガオにしか見えなかったって」
「キミのよりマシだ!」



なんだって? なんだと! と視線がかち合い睨み合いになって、でもすぐにぷっと二人揃っ
て吹き出した。


「…楽しかったよキミと折り紙出来て」
「うん、おれも久しぶりに折れて楽しかった」


言いながらお互いに捨てるのが忍びなく、ポケットに収めて来た「睡蓮」を取り出して眺める。

「キミの睡蓮、随分睡蓮らしくなった」
「おまえのも少なくともアサガオには見えないよ」


おれ達もうどこで誰に言われても睡蓮だけはばっちり折れるぜと言うヒカルの言葉にアキラ
も笑った。


「そうだね、それこそ目を瞑っても折れるかもしれない」
「おう。おれは折れる自信があるぜ?」


笑い合ってそれから互いの手の中に自分が折った睡蓮を落とした。

「たまにはいいな、こういうのも…」
「すげー怒られたけどな」


ぺろりと舌を出すヒカルにアキラも恥ずかしそうに舌先を覗かせる。

「…あんなに叱られるのはもう懲り懲りだけど…」

でもキミとなら叱られるのも楽しいかもしれないなと、貰った睡蓮を大切に胸に抱く。

今日得たもの。

折り紙で「睡蓮」を折る折り方。

ヒカルにはムキになる可愛いアキラ。

アキラには狡くて卑怯もので、でも愛しいヒカル。


「キミとすることはどんなことでも全て楽しい」

アキラの微笑みに今度は怒りや恥ずかしさでは無く頬を染めると、ヒカルも同じようにアキラ
の折った睡蓮を大切そうに胸元に抱きしめると嬉しそうに笑ったのだった。




※先日行った秋葉原の和風メイドカフェで皆で折り紙をしまして、私は「モモ」で己の不器用さを悟り「睡蓮」には挑戦
しなかったのですが、めるじさんと麻里乃さんはずっとお二人で折り紙をされていて、目の前で睡蓮が出来上がってい
く様は眺めていても楽しく、なんだかほのぼのとしていてとっても良かったんでした。
そしてその時に「ヒカルとアキラもこんな風に折り紙をしていたりして…」というような話も出まして、ものすごく「ムキに
なって睡蓮を折るヒカルとアキラの話」が書きたくなってしまったのでした(^^;


あの時一緒だった皆様、もし…もしも「ヒカアキ折り紙話」を考えていらっしゃった方がいましたら先に書いちゃってすみ
ませんでした〜〜(汗)その際にはどうか拙作のことは忘れて、気にせずアップしてください〜〜そしてどうか読ませて
ください〜(汗)お願いします〜〜〜m(_ _)m  2007.11.6 しょうこ