ふいに呼び止められて、幻かと思った。

「あれ?塔矢じゃん。これから碁会所に行く所?」
「違う…帰る所だ」


呼び止めたのは進藤で、まるで何も無かったかのように話しかけてくるのに少しばかり驚いた。

「へー早いじゃん。なんか行事でもあった?」
「今日は中等部の入試だったから」


年が明けると学校は受験関係で早く終わる日が多くなる。今日はたまたまそういう日で、ぼくは
昼からずっと碁会所で常連のお客さんたちの指導碁をしたりしていたのだった。


「キミは……?」

学校から直接行ったのでまだ制服姿のぼくと同じ、彼も中学の制服を着ている。

でも時間的にはもうとっくに授業は終わっているはずで、一体何をしていたんだろうかと疑問が
そのまま顔に出たらしい。


「ああ、おれも今日学校早く終わったからさ、道玄坂に行ってたん」
「道玄坂?」
「うん、おれの行きつけの碁会所」


ここん所ずっと行っていなかったから、おっさんたちと打ってきたのだと言われて、自然に眉が
寄ってしまった。


(……うちには来ないって言ったくせに)

春までうちの碁会所には来ないと言ったくせに他所の碁会所には通っているのかと思ったら非
道く不愉快な気持ちになったのだ。


「そこ……強い人が多いの?」
「強い人って言うか……んーワイルド?」


なんとなく並んで歩きながら、進藤は笑いを含んだ声で言った。

「おまえんとこの碁会所みたいな上品な感じじゃないけどおもしろいよ」
「ふうん……良かったね」


そうか、キミはぼく以外にも打つ相手はたくさん居て、うちの碁会所に来なくても全然平気なわけ
なのだと、更にむっかりに拍車がかかった。


「いつかさ、おまえも一緒に行かねぇ? おまえのファン多いからきっとみんな喜ぶと―」
「行かない。大体キミはぼくとは春まで会わないんじゃなかったのか?」


そういう有言不実行なのはどうかと思うと言ったら、進藤は悪びれた様子もなく言った。

「おまえに会わないなんて言ってねーよ。おまえんとこの碁会所に行かないって言っただけだ」

だからこうして話してても別にいいんだよと、なんて自分勝手なことを言うのだろうとぼくは少し
ばかり呆れてしまった。


「キミは良くてもぼくは嫌だ」

よく理由がわからないことでいきなりふて腐れられて、以後ずっと彼との一局のお預けをくっている
ぼくとしては、彼のこういういい加減な所はたまらなかった。


「キミの方が春まで会わないって言ったんだから、ぼくも春までキミには会わない。今はうっかり話し
てしまったけど…あんな啖呵を切ったんだから、キミが北斗杯の選手になるまでは、もうぼくはキミ
とは口をきかないよ」


「って、なんでそんなにぷりぷり怒ってんの?おまえ」
「キミがあんまりいい加減だから怒っているんだっ!」


怒鳴りつけたぼくに、進藤は怯まずにひょいとぼくの口の中に何かを放り込んだ。

「……なに?」

反射的に閉じた口の中、甘く固いものがカリっと歯に当たった。

「金平糖。道玄坂のマスターにもらったんだ」
「へ……え」
「なんか京都に旅行に行ってきたとかでさ、手作りの店のヤツなんだって」


ふいうちの甘さはぼくの怒りを進藤から逸らした。

「…久しぶりに食べるな、こういうの」
「うん、おれも。なんか色々色があってさ、みんな味が違うからおもしろいんだ」


機嫌が直ったと見たのか、進藤はポケットから小さな和紙で出来た袋を取り出すと立ち止まり、ぼくに
向かって「手を出せ」と言った。


言われるまま出した手に、ざらりと金平糖をこぼす。

「いいよ、キミがもらったものなんだから」

こんなにくれなくていいと言うのを進藤は聞き流して、一つ一つ掌の上の粒を指さして説明を始めた。

「この水色のはソーダ味でさ、こっちの白いのは薄荷。それでもって緑のはメロンで、この赤いのは苺
っぽい味なんだよな」


聞けばそこらの店で売っているものとは違い、ちゃんと果物の果汁が入っているものらしい。

それを手で揉むようにしながら砂糖と炒り、少しずつ星の形に作っていくのだという。

「本当だ、このオレンジ色のは蜜柑の味がする」

噛むと人工の香りでは無く、自然な柑橘の香りが口の中に広がった。

「な? 結構美味いよな」

道の端で一体何をやっているのだという感じだけれど、ぼくと進藤は立ち止まったまま、しばらく二人で
金平糖を食べ続けた。


「あ、今食べたやつ桜の味だった」
「桜?」
「ん。なんか季節限定ものでそういうのもあるんだって」
「へえ……食べたかったな」


掌の上にある中にはもうその淡いピンク色の粒は無い。

「ん? 食べる?」
「ああ……うん」


あるなら食べたいと顔を上げた時、進藤の顔が驚くほど近づいてきていることに気がついた。

「ちょ――――」

視線がすぐ間近で合う。

鼻がかすり、もう少しで唇に唇が触れると、そう思った時にぼくの手は彼の口を押さえ、押し退けてい
た。


「いや――――」

ほんの、数秒のことで、でも、押し退けなかったら彼の唇はぼくの唇に重なっていただろう。

ぐいっと、思い切り押し退けたのと同時に金平糖が手から落ちて勢いよく道路に散らばった。

「あ、ごめん」
「って――謝ってる場合じゃないんじゃないの?」


塞いだ指の下、彼の唇の動きが伝わり、ぼくは真っ赤になって手を離した。

「かっわいい。おまえもしかしてまだ誰ともキス――したこと無いんだ?」

にやりと笑うその顔は、人が悪く少し意地悪な雰囲気があった。

「なっ、無ければ悪いのか?」

恥ずかしさのあまり思わず怒鳴り返すのに進藤は笑う。

「――まさか、すげえおれにとっては好都合」

だっておれ絶対おまえの初めてになりたかったからと、進藤は言ってぼくの手をいきなり強く引くと、バラ
ンスを崩して前のめりになったぼくの唇にちゅっとキスをした。


「進―――!」
「これでおまえの最初のキス、おれの」
「なっ」


カーッと顔が赤く染まる。

「何を馬鹿なっ!」
「謝んないよ」


おれこれからも何度でもやるからと、掴んでいたままのぼくの腕を離し、右の掌を開かせた。

「春になったらまた碁会所にも行くからさ。ちゃんと…約束通り北斗杯の選手になって、おまえの前に現わ
れるから、そしたら…」
「そうしたら?」
「キスよりもスゴイこと一緒にやろう」


おれが教えてあげるからと、ぼそっと囁かれた言葉に思わず退きかけるのと、進藤がぼくの掌に金平糖を
こぼしたのは同時だった。


「じゃあ、また」

春なんかもうすぐだから覚悟しておけよと、人の手に山盛りに金平糖を残して笑いながら去って行く。

「待て――こんな勝手な――」

何が何度でもやるからだ。

何がキスよりもスゴイことをやろうだ。

まだぼくに好きとも何も言っていないくせにと、追いかけようとした掌から金平糖がこぼれそうになり慌てて
立ち止まる。


気がつけば足の下にはまださっきこぼした粒が散らばっていて、踏みかけたぼくは進藤を追うのをやめて
散らばった粒を眺めた。


色取り取りの細かな砂糖菓子は、短かったけれど久しぶりに会った進藤との時間の甘さを思い出させる。

そう、ぼくがどれだけキミに会いたいと思っていたのか果たしてキミはわかっているのだろうか?

わかっていなかったとしたら腹立たしいし、わかっていたのだとしたらもっと腹立たしい。

「キミは……なんて狡いんだろう」

そしていつもぼくは、そんなキミに振り回されてしまうのだと、諦めに似たようなものを感じながら、手の上に
ある金平糖の山の中から一粒桜色のを拾い上げた。



「早く来い……春」

憎らしいけど誰よりも会いたい、彼とまた向かい合い打てますように。

そう祈るように思いながら、ぼくは小さな粒を口の中に放り込んだのだった。



拍手に書いた「俺様」な進藤さんが結構好評だったので、俺様で書いてみました。まだ色々と未満ですが、この彼
だと一足飛びに強引に最後まで持っていってしまいそうです。
翻弄されるアキラさんがかわいそうということで「四月まで来ない」から北斗杯までの中間くらいのエピソードでした。
2006.2.18 しょうこ