きずな



転がってきたボールを拾い上げ、子どもに手渡してやろうとしたら母親らしい女性が
飛んで来た。


「すみません、ありがとうございます」と丁寧な挨拶だったが、目は笑ってはいなくて、
ああ警戒されているのだなと思う。


家族も含め、皆で話し合って同性同士で結婚していることを隠さないで生きていくこと
を決めて数ヶ月、今もまだアキラはあからさまな好奇の目で見続けられていた。


ゲイというものの知識が乏しいせいもあるかもしれないが、珍しい生き物を見るように
見られたり、今のように犯罪者や病原菌のように扱われるのはやはりあまり嬉しくは
無い。


(いつになったら普通に接してくれるようになるんだろうか)

近所にはうち解けて理解してくれている人々も増えてきてはいるけれど、やはりまだそ
の数は少なくて、アキラはなかなか時折感じる冷たい視線に気持ちがくじけそうになる
ことがある。



「別にいいじゃん、それならそれで」

ぽつりと漏らした時にヒカルはしばらく黙った後で言った。

「もしどーしてもさ、おれたちが受け入れられないなら、それはそれでいいじゃんか。おま
えがここで暮らすのが辛いなら別ん所に引っ越してもいいし」
「キミは?」


キミは辛くは無いのかと、仕事上でもプライベートでもやはり自分と同じような目に遭って
いるはずのヒカルにアキラは問いかけた。


「キミは辛くは無いのか?」
「んー……あんま感じは良くないけどさ、それでもおまえと結婚出来ておれ嬉しいし、それ
を隠さずに暮らしていけているのは、隠さなきゃいけなかった頃に比べてすごく楽」


だからちょっとくらい嫌なこと言われてもまだまだへーきと、でもアキラは少し前の棋士の
懇親会で、ヒカルが年配の棋士に絡まれて頭からビールをかけられたことをちゃんと知
っている。


『気持ちが悪いホモ野郎』と、大声で怒鳴られて、でもヒカルは一言も言い返さなかったと
言う。


『男のケツが好きな変態だ』と、その棋士はヒカルがその場を去るまでずっと笑いながら
言い続けていたそうで、自分なら耐えられただろうかと、話を聞いた時アキラは思ったも
のだった。



「おれ、馬鹿だからさ、ヤなことあっても家に帰っておまえの顔見ると全部忘れちゃう」

だってこんなに大好きな相手と一緒に暮らしているのに他のヤツらが何言ったってクソく
らえだよなあと、笑って言えるヒカルをアキラはこの上も無く誇らしく思ったし、強いと思っ
た。


「強いキミが好きだよ」

強く無くても好きだけど、キミのためにぼくも強く在ろうと、それは結婚した最初からアキ
ラが決めていることでもあった。





「塔矢、ただいまっ」

せっかく買い物に出たのだからと、義母である美津子に頼まれた以外に思いついたもの
を買い足して帰る途中、アキラはヒカルにばったりと出会った。


地方での二泊の仕事を終えて帰ってきたヒカルは駅から出て、すぐに歩いているアキラ
を見つけたらしく人混みをかき分けるようにして走って来た。


「おかえり、結構早かったね。もう少し遅くなるかと思っていたけど」

思いがけず早く会えたことが嬉しくて、アキラの顔には微笑みが広がった。

「ん。早い便でも帰れそうだったからおれだけ先に帰って来た。緒方先生と芦原さんは夜
の便で帰るって言ってたからもっと遅くなるんじゃないかな」
「芦原さん、また緒方さんに引っ張られていっちゃったんだ。婚約者がいるのにね」


あまり緒方さんにばかり付き合っているとそのうち婚約破棄されてしまうよと、笑い合いな
がら歩く。


「なんか随分買ったんだな」

言ってアキラがいいと言うのにヒカルはアキラが持っている荷物のほとんどを浚ってしま
った。


「いいよ、キミは仕事帰りで疲れてるんだから」
「そんなの、おまえだって今日は研究会だったんだろ? だったら同じ。それにおれおま
えに早く会えて嬉しいからさ」


荷物くらい持たせてと、ヒカルの言葉にアキラは幸せが胸に満ちるのを感じた。

「今日はキミの好きなものにしたよ。唐揚げと、春雨の炒め物とそれから…」
「おれもおみやげ買ってきた。芦原さんたちに持たされたものもあるからさ」


楽しみにしててと言って歩いてしばらくしてふとヒカルが言った。

「なんかあった?」
「え?」


和やかな会話の本当に途中で、どうしてヒカルがそんなことを言い出したのかわからなくて
アキラはきょとんとヒカルを見つめた。


「何かって……」
「何かあったろ、今日。また誰かに嫌なこと言われた?」


ふっと、先程公園を通り抜けた時の出来事が頭をよぎる。

「どうしてそう思った?」
「どうしてって……わかるから」


おまえのことはなんでもわかるから、だから何かあったら隠さないで打ち明けてと言われて
一瞬アキラは言葉に詰まった。


どうしてヒカルはこうなのだろうかと、体の奥底から熱いものがこみ上げて泣いてしまいそう
になった。


いつも、いつもいつもいつも、一見鈍感で大ざっぱなようでいて、ちゃんと自分のことを見て
いるし、大切な所は決して外さない。


だから一緒に生きて行こうと思ったのだと、アキラは改めてそれを思い知った。

「ん……無くは無かったけど……でももう忘れた」

大丈夫だよと、アキラは溢れかかった涙を堪えてそう言った。

「キミが居るから大丈夫だ」

強がりで無くそう思う。

「―――わかった」

ヒカルもそれ以上は聞かず、また元のように会話は他愛の無いものに戻った。


居ない間のこと、出先でのこと、食べたもの、見たもの聞いたもの。

ささやかな家の中の出来事などを話しながら、気がつけばヒカルの手はアキラの手を握って
いた。


荷物全てを片手で持ち、そんな無理をして手を繋がなくてもと思わないでも無かったけれど、
伝わってくる温もりが嬉しくて、アキラもまた、強くヒカルの手を握り返したのだった。




※なんとなくプロキシ。正々堂々暮らしているのは、愛に恥じる所が無いからです。周囲と交流せずに二人だけの世界で
暮らしていたらそんなに傷つくことも無いわけですが、ちゃんと周囲に認めてもらって胸張って地に足をつけて生きて行き
たいと思っている人たちです。あくまで現実の中で生きて行こうと。戦いから逃げない人たちでもあります。
2006.2.20 しょうこ