嫉妬




「なあ、あの子らいいんじゃね?」

そう言って和谷くんが進藤の左脇を軽く小突いた。

「何が?」
「あれ、あの五人組、ちょっと良くねえ?」


顎で示したのは窓の外、地下鉄の入り口で待ち合わせているらしい若い女性の集団だった。

「おれは絶対真ん中、ああいうカワイイ感じの子がいいんだよなあ」

どれどれとすぐに冴木さんが応じ、「おれは右から二番目」と言った。

「ちょっとキツ目が好みかな」
「冴木さんはちょっとM入ってんじゃねーの? 進藤は一番左端だろ」


更に小突かれて面倒臭そうにそっちを見た進藤の目が、けれど一瞬細められ、ガラスの向
こうに居る全員を品定めするように見たのがぼくにはわかった。


(違う、左から二番目の子だ)

思った通り、進藤は少しするとニッと笑って和谷くんに耳打ちするように「ハズレ」と言った。

「あの中だったらおれは左から二番目がいい」

(ほらやっぱり)

進藤の好みは昔から変わらない。

自分で気が付いているのか居ないのかわからないが、側でずっと彼を見て来たぼくにはよ
くわかる。


背は小さめで髪の毛はセミロング。色白で顔立ちはあどけない。

ぼくとはまるっきり違うタイプの女性が彼の好みなのだった。


「塔矢は?」

おまえはどの子がタイプ? と進藤に無邪気に聞かれて「興味無い」と答える。

「えー? いくらなんでもあんだけいれば一人くらいはいいなってのが居るだろ」
「別に…」
「割とレベル高いぜ? おまえ結構むっつりだろう」


からかうように和谷くんに言われてムッとした。

「…馬の品評会じゃないんだから、そんな風に人を品定めするのは失礼だと思うよ」と言うと
全員が鼻白んだようになり、けれどすぐにまあ仕方無いかという雰囲気になる。


「まあ…そっか。塔矢はそーだろーなあ」

和谷くんの苦笑が全員の気持ちを代弁している。

くだけた所が無い。このくらいのお遊びに一々目くじらをたてるつまらないヤツと思っている
のだ。


そう、進藤でさえも。

空気を読めない。少しくらい軽口に付き合えと目で言っているのがよくわかった。

「合コンかな?」
「さあ?」
「人数向こうのが多いけど、カラオケ誘ったら来ると思う?」
「どうだろう。案外ノッてくるんじゃねーの?」


進藤は言いながらぼくの顔をちらちらと見る。

機嫌が良く無さそうだと察して様子を気にしているのとは別に、恋人の前でそういう話をして
いるというやましさがあるのだろう。ぼく達はかなり前からそういう関係になっていたから。


(別に気にせずカラオケでもなんでも行けばいい)

今日は皆で飲みに行く予定だった。

まだ来ていない門脇さんと越智くんを待つために駅前のカフェに入ったのだが、いくら誘われ
たからとはいえ来なければ良かったとぼくは後悔した。


(進藤のあんな顔を見るくらいだったら付き合いが悪いと拗ねられた方がよっぽど良かった)

ぼくと付き合っていて、肉体的な関係もあるのにも関わらず、実は彼の嗜好はノーマルだった。

だから本来は女性の方が好きで、男にはまるっきり感じないのだといつだったか話してくれた
ことがある。


もちろん好きな女性のタイプもあるし、もしぼくと出会っていなかったらきっと普通に恋愛して
結婚していただろうと、聞かされた時にはかなり傷ついたけれどぼくも同じだったので何も言
い返せなかった。


ぼくもまた嗜好はごくごくノーマルで、彼と出会わなかったらごく普通に見合いでもして結婚し
ていただろうと思うからだ。



「なあ、おれちょっと声かけて来ようか?」

いつまでもガラスの向こうに男っ気が無いのを見て取って和谷くんが腰を浮かす。

「やめとけよ、後で鉢合わせたら気まずいって」

進藤がさすがに止めたけれど、かなり乗り気の和谷くんは椅子から降りて向かおうとしていた。

「――帰る」

その瞬間ぼくもまた立ち上がって席を離れた。

「な、なんだよ塔矢」

驚いたらしくぼくを見る和谷くんには構わず、進藤を見て言う。

「こんなくだらないことで時間を潰すくらいだったら家でネット碁でもやっていた方がまだずっと
マシだからね」


悪いけど先に帰らせて貰うと、そして呆気にとられる皆に背を向けてさっさと店の出口に向かう。

「まったく、らしいよなぁ」

腐ったように言う声は和谷くんのもので、進藤は終始無言だった。

「ま、いいか。あいつ来ても盛り上がらないし」

手痛い一言を耳の端に聞きながら急ぎ足で店を出た。

早く―。

早くこの場から去らなければ泣いてしまうと思いながら。



「塔矢」

思っていた通りというか、たぶんそうするだろうと思っていた通り、すぐに進藤の声が追いかけ
て来てぼくの後ろに迫って来た。


「塔矢ってば、どうしたんだよおまえ」

ぴったりと後ろにつかれても振り向かず歩調を早め雑踏を抜ける。

本当は真っ直ぐに市ヶ谷の駅に入ってしまうつもりだったけれど、このままだと大勢の人達の前
で言い争いになりそうな予感があったので、交番の横から土手に入り、中央線を見下ろす公園
の中を影へ影へと人気を避けるように奥に向かった。


「塔矢! いい加減にしろよ、おまえ」

ぐいと腕を掴まれて無理矢理振り向かされたのは公園が途切れる手前の遊具の奥で、都合良く
木陰がぼく達の姿を通りから隠していた。


「いきなり出て行っちゃうなんてさ、みんなびっくりしてたじゃん」

咎めるように言う進藤をぼくは睨み付けていた。

「キミこそいい加減にしたらどうだ? ぼくが居るのにあんなこと―」

あんなにはっきりと女性に気があるような様子を見せる。それでどれだけぼくが傷つくかわかって
いないのかとつい怒鳴ってしまった。


「悪かったとは思ってるけど…仕方無いじゃん。あそこでああ答えなければおかしいし」

自覚があるのだろう、進藤の答は歯切れが悪い。

「話に乗らなきゃ、じゃあどんなのがいいのかってもっと突っ込まれるじゃん」
「違う、そんなことを言ってるんじゃない」


わかっているくせに。

そんな気持ちがのど元まで迫る。

ガラス越しに彼女達を見た瞬間、彼は本気で彼女達を品定めしたのだ。

どれが自分の好みなのか、どの子だったら付き合ってもいいのか。

一瞬、本当に一瞬だったけれど目をすがめて足の先から頭の先まで走らせた視線。

あれは間違い無く雌を欲する雄の目だった。

「無意識なのかもしれないけど、キミは時々あんなふうに女性を見る。キミがノーマルなのはわか
っているけど、目の前でそれを見せつけられたら、いくらぼくだって…‥」


いい気持ちはしないと言った瞬間に不覚にも涙がこぼれてしまった。

ぼくの涙を見て少し怯んだ進藤は、でも少ししてどこか悔しそうな声音で言った。

「だってそれこそ仕方無いじゃん…おれ、男だし」

おまえだってそうだろうと。

「ぼく――?」
「おまえだってそうじゃん。おれがおまえのこと傷つけてるって言うけどおまえだっておれの前で全
く同じことよくしてるぜ?」


好みの子の前で雄の目になると言われて頬が赤く染まった。

「そんなこと…」
「あるよ、おまえわかって無いのかもしんないけどマザコンなんだもん」


おまえのお母さんによく似た、物静かで髪の長い頭がよさそうな子が好きだよなと言われて確か
に覚えが無くは無かったので俯いた。


「女の子がたくさん居て、おまえはいつも大抵無関心だけど、たまに本気で品定めしてんのがよ
くわかる」


この子だったら結婚してもいいかなって無意識に思っているのが側に居てよくわかるんだと言わ
れて唇を噛んだ。


「だってそれは―」
「それは仕方ないよな、おれら男でそういうのって本能だもん」


雄が雌を求める。それはごく自然な欲求で、それが本来あるべき姿なのだ。

だから本能は好みの女性を無意識に探すし、見つければ即反応する。

「でも、だからって結婚したいとか、好きだとかそういうことを思ったことは無い」
「おれだって同じだよ、あ、好みって思ってもそれ以上何も思わない」


なんにも感じないんだよと言って進藤はぼくをぎゅっと強く抱きしめた。

「おまえ以外誰にもなんにも感じない」

勃たねーんだもん、おまえ以外にはと言われて顔は更に赤くなったけれど胸の中は熱くなった。

「仕方ないじゃん。カワイイ子とか綺麗な子とか、いいなって思う子は居てもおれなんにも感じな
い。好きなのは…好きだってヤリたいって思えるのはおまえしかいないんだもん」



本能に逆らって好きになった。

どうして好きになったのかなんてわからない。

けれどあるべきものをねじ曲げてまで惹かれ合う何かがぼく達二人の間にはある。


「しょーがねーじゃん、おまえ以外だれのことも」

ずっと絶対に永遠に好きになんかなれないと、言われて肩に顔を伏せられて泣かれてぼくも泣
いた。


「ごめん」

ごめんねともうそれしか言えない。


どうしてぼくは彼を好きになったんだろう。

どうして彼はぼくでなければダメなんだろう。

わからないけれど、ぼくも彼を好きだから。

彼だけしか愛することが出来ないから―。

つまらない嫉妬で責めて泣かせた。仕方無いことを自分のことを棚上げにして罵った。


「ごめん、進藤」

キミが、キミだけが好きだよと囁きながらぼくもまた彼の体に腕を回し、人気の無い暗い公園
の隅でいつまでもいつまでも互いの肩にぼく達は涙をこぼし合ったのだった。



※業。    2009.3.30 しょうこ