風のように



その日塔矢は上機嫌だった。

いつもは来ない若手の飲み会にやって来て、かぱかぱとすごいスピードで注がれるままに
酒を飲み、いつになく饒舌で笑顔の出し惜しみもしなかった。



「おい、おまえ飲み過ぎじゃねえ?」
「いや、このくらい全然平気だよ」


まだ飲んだうちにも入らないくらいだと言われて、うわばみめと心の中で軽く毒づく。

確かにこいつは酒が強い。

小さい頃から大人に囲まれて戯れに酒宴で飲ませ続けられて来たせいか、おれなんか相
手にならないくらい酒に関しては強いのだ。


「でもそれでも今日、ピッチ早すぎるって、なんか嫌なことでもあったのかよ」

らしくない。あまりにもらしくない行動に心配になってそう言うと塔矢は眉を顰め軽くおれを
睨んでこう言った。


「心外だな。キミがたまには若手の集まりにも出ろって言うから出てみたのに」
「いや、そりゃ確かに言ったけどさ―」


こんなにハイテンションでかっ飛ばして飲めとは一言も言わなかった。

「そんなに飲んだらおまえ一人じゃ帰れないぞ」
「そうしたらキミが送ってくれるんだろう?」


確かそう言っていたじゃないかと、実際にそんなようなことを言った覚えもあるのでため
息をつく。


「そりゃーさぁ…飲んでつぶれてもおれが連れて帰ってやるってのも言ったけどさ」

まるでそれ前提のようなこの飲みっぷりはなんなんだろう。絶対こいつ今日嫌なことが
あったんだとおれは思わずにはいられなかった。


緒方センセーに苛められたとか、やりたくない仕事を押しつけられたとか。

(それともまた塔矢先生のことで陰口でも叩かれたのかな)

こいつはちゃんと実力で強いのに、父親である塔矢先生の七光りと言われることも多い
のだ。


「でもそれにしちゃ…マジで楽しそうに飲んでるよなあ…」

わかんねーヤツと思いながら、二次会、三次会と進むにつれ、やはり塔矢は言動が怪
しくなり、最後はおれの肩にもたれて眠ってしまったのだった。




「じゃ、塔矢は進藤が送り届けるってことで!」

最後まで飲んでいたのは和谷を含めてほんの数人。その誰もが決して塔矢と仲が良い
わけでは無いので自然にそういう流れになった。


「そりゃいいけど…おい、塔矢、おまえ大丈夫? これからタクシー乗るけど、もし気分悪
くなったらすぐに言えよな」
「タクシー? 冗談じゃない。ぼくはちゃんと電車で帰れる」
「ってその電車がもう終電過ぎてねーんだってば」


大変だな進藤、がんばれよと甚だ無責任な激励を背に、おれはタクシーを捕まえると塔矢
を先に押し込んで一緒に後部座席に座ったのだった。



「どこまで?」
「あ、えーと…」


とにかく塔矢を先に帰さないとと塔矢の家の住所を言うと、塔矢はとろんとした目を急に
開いて「嫌だ」と一言きっぱり言った。


「せっかくキミと会ったんだからこのままキミの家まで行く」

行ってせめて一局だけでも打つんだと、でもそう言いながら再び瞳はとろんと閉じる。

「あーはいはい、わかったわかった。今度いくらでも打ってやるからな? じゃ、運転手さ
ん今言った住所でいいですから」
「なんだと! ぼくはキミの―」
「あーもう。わかった。わかったからおまえちょっと黙ってろ」


なだめつつ、走り出した車にほっとしておれはシートに身を沈めた。


いつもどちらかと言えばベロベロに酔って人に介抱されるのは自分の方なので、逆の立
場に立たされて、おれは非道く疲れてしまったのだ。


そうでなくても塔矢のピッチの速さにつられて、いつもよりずっと飲まされてしまっている。

「うー…おれ明日起きられっかなあ…」

ぽつりと小さく呟くと、塔矢が「ごめん」とやはり呟くように言った。

「あ、いやいいよ。悪い気にすんな」
「でもごめん。迷惑をかけた」


そしておれに寄りかかって来ると、そのままおれの手に自分の手を重ね、ぎゅっと握って
来たのだった。


(えー?)

仰天した。

今まで塔矢がおれにそんなことをしたことは一度も無い。

手どころかこんなふうにもたれかかってくるなんてこともしたことは無かった。

気軽に人に触れたり、触れられたりするのが塔矢はとても嫌いだったから。

(あ、いや…酔っぱらってるからだよな)

眠くてこいつよくわかって無いんだと、それとももしかしたら本当は気分が悪くて心細い
のかもしれないと頭の中で色々考える。


「塔矢、大丈夫? 気分悪いんじゃねえ?」
「いや、気分はいいよ。ものすごくいい」


そしてすーっと眠ってしまう。

さらりとした髪がおれの肩から背中に流れ、柔らかい頬がおれの肩に押しつけられる。

(温かい)

こいつ子どもみたいに温かいんだなあと思ったら、ぎゅっと胸を掴まれるような気持ち
になった。


ラジオもついていない静かなタクシーの中、すうすうと塔矢の寝息だけが車内に響く。

握った手からも温もりが伝わり、それがたまらない程に心地よかった。

(ずっと…こうしていたい)

こんなにも無防備なこいつと、いつまでもこうやって手を繋いでタクシーに乗って居たい
と。


けれど途中僅かに渋滞したものの、やがて無情にもタクシーは塔矢の家の前に着いて
しまった。





「おい」

心の底から惜しいと思いつつ揺さぶって起こす。

「おまえんちに着いたぞ、起きろよ」
「ぼくの…家?」
「鍵持ってるな? 入れるよな?」
「キミの家に行くって言ったのに」
「だーかーらー、おれんちに来たって仕方ねーだろう。もうとっとと帰って寝た方がいいっ
ておまえ」


おれは運転手に待っていてくれるように頼んで塔矢を下ろし、それから肩を貸してやりな
がらなんとか玄関まで連れて行った。


「ほら、玄関まで来たから鍵出せ、鍵」

けれど塔矢は相変わらず半分眠っているようで要領を得ない。

「あー、もう、おまえんちの鍵だってば!」

仕方無く勝手にポケットを探って鍵を取り出し玄関を開ける。

「ほら、この先大丈夫だな? 自分の家だからちゃんと部屋までたどり着けるよな?」

このままここで寝たりすんなよと言って中に押し入れたら、塔矢はぎゅっとおれの服の袖
を掴んだ。


「キミの家に泊まらせてくれないなら、キミが泊まって行けばいい」
「はぁ?」
「どうせ家にはぼくしか居ないし…二人きりだよ?」


とろんとした目で見詰められておれは頬が赤くなるのを感じた。

これは…もしかして誘われてる?

二人だけだから何をしてもいいって暗に言ってる?

そう思いかけて頭を振った。

(違うよ、こいつ男じゃん。そんなこと考えてるわけなんか無い)

おれはこいつを好きだけど、こいつはそんなんじゃないんだからと、邪念を振り払うよう
にしておれは言った。


「もう、おまえタチが悪い酔っぱらいだな。二人きりでもなんでもおれは泊まんないって
の。こんな酔ってちゃまともに打ったり出来ないし」


おまえも本当にもう布団に入って寝た方がいいよと、言った瞬間、塔矢が掴んでいたお
れの袖をぱっと放した。


「…お人好し」

そして急にしゃっきりと立つと、それまでとはまるで違う、まるっきり素面の顔で言ったの
だった。


「あれくらいでぼくが酔うとでも本気で思ったのか?」

本当にキミは救いようの無い位鈍感だなと、失礼極まりないことを言ってから苦笑したよ
うに笑う。


「いつまで待ってもキミは全く動こうとしないから、ぼくの方から仕掛けたのに」

無駄だったねと、そしてぴしゃりと目の前で戸を不機嫌に閉め、ご丁寧に鍵まで閉めて
しまった。


「おやすみ、進藤」

タクシーでもなんでも乗って早く家に帰るといいよと、そこまで言われて飲み込みの悪い
おれにもどういうことなのかやっとわかった。


「鈍い、鈍いって、おまえこそはっきりと言えーーーーっ!」

送り狼になっちゃいけないと必死で我慢して耐えたおれの男心はどうなると、引き戸の
向こうの送られ狼に向かって思わず吠える。


「とにかく! そういうことならおれ泊まるからな、それでもっておまえが後悔してもなんで
も、もう知らないからな!」


おまえがそのつもりならばもうちょびっとも遠慮なんてしてやらねえと、その言葉にぼんや
りと見える影は少しだけ動揺したように動いたような気がした。


「今、タクシー断って金払って来るから、逃げんなよおまえ!」

それでもってちゃんと鍵開けて待ってろよと、その言葉にまた影は動揺したように揺れた
けれど立ち去ることはしなかった。


「逃げないよ」

大股にタクシーに向かって歩くおれの耳に塔矢の声が追いすがるようにか細く響く。

「…そんな卑怯なことはしないから」

だから早く戻って来て抱きしめてくれと、これもまた初めての言葉を耳にして、おれは首筋
が赤く染まるのを感じながら、風のように素早外に出て、たたき割らんばかりの勢いでタク
シーの窓を叩いたのだった。



※がんばれ!  2009.11.21 しょうこ