雨
進藤ヒカルはわからない。
話していることも、やっていることも無茶苦茶で論理的では無い。
落ち着きもないし、思慮も浅いし、あれでどうして碁が打てるのだろうかと不思議に
思うことがよくあった。
そして今日、棋院に現われた進藤は背中がびっしょりと濡れていて、どうしてこんな
雨の日にあんなに濡れてやって来るのかがわからなかった。
(きっと面倒臭がって傘を持って来なかったんだ)
彼の家は知らないけれど、市ヶ谷の駅から棋院まではごく近い。傘を差さなくても平
気だときっとそう思っのに違い無いと思ったら呆れるのを通り越して腹が立った。
(昨日も一昨日も雨で、今週はずっと雨の予報なのに…)
台風が近づいて来て荒れ模様の天気に傘を持たずに家を出られるその神経がわか
らないと思った。
ところが夕方、棋院を出たぼくは道の先に進藤を見つけて驚いた。彼はちゃんと傘を
差していたからだ。
(でもやっぱり背中が濡れてる)
どうしてだろうと見詰めていたら、変な差し方をしているからだとすぐにわかった。まっ
すぐに差していればいいものを彼は歩きながらふいに傘を傾けて斜めにしたりしてい
るのだ。
何をやっているのだろうかと同じようにやって見たぼくは傘の表を水滴が流れ落ちる
のを見て理解した。
(これか…)
どうやら進藤は流れ落ちる水滴が面白くて、それ見たさに繰り返しているようなのだ。
だから本来かかっているべき背中が剥き出しになりびっしょりと濡れてしまう。
「子ども…」
バカみたいだと思いつつ、でもぼくは彼を真似て再び傘を傾けて見た。
淡く光に透けて見える、幾つもの流れる雨の滴はとても―悔しいけれどとても綺麗だ
った。
そして今、すっかり大人になった進藤は、背も伸びてスーツを着ているのにやはり背
中を雨に濡らしている。
「ほら、何やっているんだ、ちゃんと差せ」
背中がびしょ濡れじゃないかと直してやるのに苦笑したように笑う。
「うん、でもこうして斜めにするとさ」
雨が流れて綺麗じゃん? とぼくの目の前で傘を傾けて見せてくれる。
ころころと転がってひとつながりになって行く雨の滴はやはり綺麗で、でもそれを認
めるのは悔しかった。
「キミは…幾つになっても子どもだな」
「うん、そうだな。おれはまだ全然大人じゃないよ」
でも綺麗な物は誰よりも良く知っているぜと言われて抱き寄せられて傘を再び傾け
られる。
「ほら、もう一度よく見てみろよ」
言いながら傘の影でぼくに深く口づける。
目の端に転がって行く雨の粒が見えて、ああ綺麗だなとぼくは思った。
「どうだった?」
こんな街のど真ん中の、たくさんの人が行き交う公道の―。
なのに何事も無かったかのように傘を直してぼくを見る。
「綺麗だったろ?」
「…知らない」
進藤の言っていることは相変わらずわからないし、やっていることも無茶苦茶だと
思う。
思慮も浅いし、子どもっぽいし――。
(でも…)
彼の見せてくれる物はやはりとても綺麗だと思うので、ぼくは彼の手から傘を奪うと
傾けて、今度は自分から彼に深いキスを返したのだった。
※ちょびっとフォロー。この話の最初の頃のヒカルは佐為ちゃんと一緒に居ます。だから傘を傾けて見せていたのは
佐為ちゃんに見せてあげていたわけです。あの頃のヒカルはきっと色々な意味で街中の奇行子だっただろうなあと
思います。(^^;
そして大人になってもやっぱり懐かしくて同じようなことをしてしまうわけです。でも中身は大人なのですることが一味
違います。えーい大人になっちまいやがってという感じでしょうか。
でもそういうヒカルの「わからない」部分もアキラが惹かれてやまない部分なんだと思いますよ。
2008.10.20 しょうこ