病室
※へたれ注意



数ヶ月もの間一度も顔を見せなかったくせに、おれが入院したら、やっと塔矢はおれの前に現
われた。



「…和谷くんに連絡をもらって…大丈夫なのか?」

3日前、和谷の研究会に行ったおれは、会の後の飲み会でいきなり吐血しそのまま倒れた。

救急車で搬送される時、肝臓に何かトラブルが無いか聞かれたことだけは覚えているが、その
後のことはほとんど覚えていない。


覚えていることと言えば、手術の内視鏡が非道く太くて喉を圧迫して呼吸が苦しかったこと、後、
看護師さんに一人ものすごい美人が居たこと。


そして目を覚ましたら足元に久しぶりに見る両親が居たこと。

その後数時間眠って目を覚まして聞いた所では胃に2箇所出血した箇所があり、そこをクリップ
で留めて止血したということ。それで出血が止っているようなら10日弱の入院で済むらしいとい
うことだった。



「痛い?」
「え?」
「お腹…」
「別に切ったわけじゃないから痛くは無いよ。ただ、喉が渇いたかな」


冷暖房完備のこの個室は暑くもなければ寒くも無い。適温になっているのだけれど、気のせいか
少しだけ乾燥しているようで、頻繁に喉が渇いて仕方無かった。


「何か…買ってくるよ」
「いいって、それよりおまえ何かおれに言うことあるんじゃねえ?」


くるりと振り向いて出て行きかけた塔矢はおれの言葉にぎくりとしたように動きを止めた。

「…言うこと?」
「無いって言うならもういいけど」


入院する前――正確にはそれよりも数ヶ月前。おれはおれの誕生日に思い切って塔矢に気持ち
を伝えた。


ずっと好きだったと言うことと、恋人として付き合って欲しいということ。もし気持ち悪いと思うので
あればはっきり拒否って欲しいこともその場で伝えた。


塔矢の反応は「驚いた」の一語に尽きるもので、もちろん即返事というわけにはいかなかった。

『ごめん、少しだけ考えさせて貰えないか』

NOでもYESでも無い答えに正直おれは焦れたけれど、それでも相手の気持ちを考えてじっと待
つことにしたのだった。



「もうあれから何ヶ月たった? 考える時間は充分あったと思うぜ?」
「それは…そうだけど」


いつもきっぱりとした態度のこいつがらしくなく煮え切らない。

親友だと思っていた相手に告られたらそれは動揺するかもしれないが、こっちは断ってくれても
良いと最初に言っている。


(まあ、でもこいつの性格じゃ、おれに気を遣ってきっぱり断るなんて出来なさそうだけど)

塔矢はおれを嫌いじゃない。それだけは確かだとガキの頃からの付き合いだから確証をもって
言える。


でもそれが恋愛感情に成り得るかというとそれは難しいかもしれないと思うのだ。

「いい加減、返事してくれてもいいだろ。おれ、別にどっちでもかまわないから」

OKなら嬉しいけれど、別にNOでもかまわない。そうしたらただの友達で居続けるだけだからと
言いかけてふと気がついた。


「…あ、もしかしてそれも嫌? そうだよなホモにまとわりつかれたらそりゃ気持ち悪いよな」

だったらおれも距離置くしと言いかけたら黙っていた塔矢がいきなり言った。

「そんなの嫌だ!」
「だから嫌なんだろ?」
「そうじゃなくて、キミと…キミとそんなふうに距離が空くなんて嫌だ」


思い詰めたような言葉に内心少しだけほっとする。友達としても側に居られなくなったとしたら正
直死ぬほど辛いと思っていたからだ。


「じゃあ問題無いじゃん。NOならおれ、これっきりでもうおまえを困らせたりしないし、ずっと『良
い友達』のままで居るし」


おまえがいつか結婚する時にはちゃんと親友代表でスピーチしてやるしと言ったら塔矢にいき
なり後ろ頭を叩かれてしまった。


「なっ! 病人に何する…」
「キミがあんまりバカなことを言うからだ」


何が良い友達だ、何が結婚したらスピーチしてやるだと、病室にもかかわらず塔矢は声を荒げ
て言った。


「えーと…何? やっぱそれすらも嫌だ…と」
「違う、どうしてそうキミはネガティブな方ばかり言うんだ。断るとか、どうしてそうぼくがキミを拒
否する方ばかり…」
「………………違うの?」



信じられなくてかなり時間が経ってからぽつりと尋ねると、塔矢は同じくらい時間を空けてから
ぽつりと言った。


「…違う」
「それ、どっちの違うなんだよ!」
「だからキミのことを好きだと言っている」


友達としてじゃない、恋愛対象としてキミのことを好きだとゆっくりと言われておれは頭の先か
らゆっくりと血の気が退くような気がした。


「わっ、進藤っ」

半身起こして話していたのがいきなりどさっとベッドに倒れたので塔矢は慌てたらしい。おれの
ベッドに駈け寄るといきなりナースコールしようとした。


「待っ…大丈夫だから」
「大丈夫って顔色真っ白だぞ、もしまた出血しているんだったらすぐに診て貰わないと」
「いや、嬉しすぎてショック受けただけだから」


貰えることを願いつつ、半分以上諦めていたOKを貰えた。それは数ヶ月の間悶々と悩み苦し
んでいたおれにとって嬉しすぎることだったのだ。



「あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜信じられねぇ!!」

告白してから塔矢はおれからの電話にもメールにも何も返して来なくなった。

静かに考えさせて欲しいのだと、そう自分に言い聞かせていたけれど、でも碁会所にも現われ
ず、棋院でも全く見かけなくなってしまったのでこれはおれを避けているのだと考えはどんどん
悪い方へ悪い方へと向かってしまったのだ。


「信じられないって…失礼な」

ぼくはキミを好きだったよ、もしかしたらキミがぼくを好きだと思うよりも先に好きだったかもしれ
ないと言う塔矢におれはため息が出そうになってしまった。


「だっておまえそんな素振りも見せなかったじゃん」
「それは…キミに嫌われたら嫌だったし」


友達としても側に居られなくなるのが怖くて気取られないように必死だったのだと言われておれ
は笑ってしまった。


「…なんだ、同じだったんだ。おれ達、同じこと考えて同じことで悩んでたんだ」
「そうだよ、なのにキミは聞いていればぼくが断るような仮定でしか話をしないし…挙げ句の果て
はぼくの結婚式でスピーチするなんてバカなことを言うから」


殴られても仕方ないだろうと、塔矢は言いながら苦笑のように笑った。

「…ん、そうだな。ごめん、悪かった」

布団から手を伸ばして塔矢の右手に触れると、塔矢はおれの手をそっと握ってくれた。

「冷たい…やっぱり出血性のショックで体温が下がっているんじゃないのか?」
「いや、ショックはショックだったけど別にそういうんじゃないと思うけど」
「それでも一応診て貰え、放っておいて悪化させると酷い目に遭うから―」


あまりに心配する塔矢に渋々ナースコールして、それからおれは担当の医師に診てもらった。


「大丈夫みたいですね。別に出血とかでは無いようです。元々吐血で貧血状態にあるわけです
から」


急に立ち上がったり興奮したりすると軽く目眩とか出る時があるんですよと、お墨付きを貰って
ようやく塔矢はほっとした顔になった。


「……でさ」
「何?」
「おれ、おまえからOK貰ったってことでいいんだよな?」
「うん。まだ何か疑っているのか?」
「じゃあどうしてこんな長いこと返事くれなかったんだよ」
「………え?」


おれの問いに塔矢は明らかに動揺した様子を見せた。

「悩んでたって言うならわかるけど、さっきおまえおれのことをずっと好きだったって言ったじゃ
んか、だったらここまで待たせなくてもいいと思うんだけど」


それとも実はやっぱり悩んでいたのかと言われて塔矢は困ったような顔になった。

「後で言われても困るから、今はっきりしちゃおうぜ、おまえ即返事しなかったじゃん。あれはど
うしてなんだよ」
「あれは…嬉しかったけれどキミは少し飲んでいたし…もし本気じゃなかったらと思ったら怖くて
少し時間を空けたかった」
「あ……そうなんだ。……ごめん」
「いや、いいんだけど。その後もキミはメールをくれたし、酔った上での戯れ言では無いとわかっ
たから」
「だったら何で!」


なんでこんなに長い間顔も見せてくれなかったんだよと、おれの問いに塔矢はばつの悪い顔に
なった。


「……それは……ぼくも入院……していたから」
「はぁ?」


予想外の言葉に声が裏返ってしまう。

「キミに告白された日、帰りに駅で足を滑らせて…」

階段から落ちて足を骨折したのだと塔矢は言った。

「骨折? そんなんおれ誰にも聞いて無いけど?」
「ぼくが頼んで黙っていて貰ったんだ。一ヶ月程で治るって話だったし、手合いも手合い課に頼
んでスケジュールを調整してもらったし、それくらいで出てこられるなら誰にもわからないかなって」
「一ヶ月って……おまえが顔見せなくなってからもっとずっと経ってるじゃん」


誕生日からだからひーふーみーと指を折っておれは数えた。

「三ヶ月。ほとんど三ヶ月おれの前に顔出さなかった!」
「それは…思ったより入院が長引いてしまって、なのにキミにずっと連絡を取らずに居たから心変
わりしてしまったんじゃないかって…悩んで…い……胃に……」


胃に穴が開いてしまってそれで手術することになってしまったんだと塔矢は死ぬほど決まり悪そう
な顔で言った。


「え?…それって……おれと同じ?」
「そう、胃潰瘍だよ。連絡しそびれているうちに随分日が経ってしまったし、なんて言ったらいいか
考えているうちにまた日が経ってしまって…」


おれは絶対に不審に思っているはずで、でももう今更電話も出来ない。

「こうしている間にもせっかちなキミが勝手に結論を出して、ぼくのことを諦めてしまっていたらど
うしようって」


おれがどこぞの女とくっついてはいないかと心配で塔矢は夜も全く眠れなかったらしい。

「自分でもバカだと思ったけれど、でもキミが心変わりしていたらってそれがすごく怖かった…」
「そんなん! 骨折した段階で教えてくれたら良かったんじゃんか。そうしたら見舞いに行って直
接おまえに返事聞けたし、おまえだっておれが心変わりとかくだらないことで胃に穴開けること
も無かったし」


そうしてくれてさえいたらおれも入院しないで済んだんだぞとかなり恨めしい口調で責めてしまっ
たら塔矢は一言も言い返せずに項垂れてしまった。


「骨折して…入院して、それでもまだ様子見なくちゃいけないぐらいおれって信用出来なかった?
 あん時そんなに軽い調子でおまえに告った?」
「いや―いや、キミは真面目だったよ。顔はお酒で赤く染まっていたけど、でも声は真剣だった…
と思う」
「じゃあどうして」


どうして骨折して入院した時にすぐに教えてくれなかったんだと言ったら、塔矢は焦れるほど長
い間黙り込んでから、耳まで真っ赤になってぽつりと言った。


「………だ」
「え?」
「違う…んだ」
「何が?」
「さっきキミに言ったこと。本当は少し違うんだ」
「…違う?」
「本当は階段を落ちたんじゃない『飛び降りた』んだ」
「ええっ?!」
「キミに告白されて嬉しくて、つい駅で走ってしまって…」


酔った上での告白故に本気では無いかもしれないと不安もあった。でもそれよりも例え戯れ言
だったとしても「好きだ」と告白されたことが圧倒的に嬉しくて、それでたまらずに駅で走ってし
まったと塔矢は言ったのだった。


「嬉しくて、半分くらいまで駆け下りた所で気持ちが浮かれきっていて」

子ども時代でさえしたことが無かったのに階段の中程からホームへと飛び降りたらしいのだ。

「そうしたら着地の時に足をひねって、左足がくるぶしから有り得ない方向に曲がってしまって
…」


そのまま動けなくなり救急車で運ばれたのだと、こいつがこんなに言いにくそうに物を言うのを
おれは初めて見た。


「それならそうと…」
「言えるわけないじゃないか! そんな恥ずかしいこと」


浮かれてそれで骨折したなんて、勿体つけて答えを先延ばしにしたキミには特に死んでもそん
なこと言えなかったんだと、なるほどそれで徹底的に隠したんだなと非道く納得が言ってしまっ
た。


「まあ…それに確かにタイトル獲ったばっかりの『名人』様が駅ではしゃいで骨折なんて公には
出来ないもんなあ…」


そりゃあ棋院も隠すはずだと、しみじみ感心して言ったら塔矢はキッと顔を上げておれを睨ん
だ。


「…あっ……呆れているだろう」
「いや」
「嘘だ……ば……バカだと思ってるはずだ」


つまらない見栄を張ってそれでキミを苦しめてキミまで入院させてしまったと、おれを睨みながら
も塔矢の顔は茹でたようで、それに目は泣きそうだった。


「ごめん…罵ってくれて…いい」
「うん、おまえ本当にバカな。すげーバカ。バーカバーカ」
「って…いくらなんでもそれは無いんじゃないか?」


身も蓋もないおれのいいざまに塔矢の顔はもう泣く寸前というまで歪み、つい今し方までおれを
睨み付けていた目には涙が盛り上がっていた。


「いくら…ぼくがバカだからって…」
「だって本当にバカじゃんか。おれに告白されて嬉しくて骨折しただなんて、そんな…そんな…嬉
しいこと」


どうして言ってくんないんだよバカっ!と言ったら塔矢は「えっ?」という顔になった。

「嬉しい…の?」
「嬉しいよ! おまえがそんならしくないことしでかしちゃうくらい嬉しかったなんて、おれにとって
は夢みてーなことだもん」
「呆れ…ないんだ?」
「言ってくれないことに呆れた!」


それだけはバカだ阿呆だ間抜けだって罵りたいくらいだけど、どうしてそんな嬉しいことでおれが
おまえに呆れるなんて思うのかよと、おれの言葉に塔矢の表情は泣きそうなそれから信じられな
いというようなものへと変わって行った。


「…だったら本当にぼくはバカだったな」
「うん、すげーバカ」


それでもって世界一カワイイvとにこっとおれが笑ったら塔矢の顔は再び鮮やかな真っ赤に染ま
ったのだった。


「じゃあ…今答えを言ったらキミは聞いてくれるのかな」
「聞く。聞かせて」
「あの―ぼくは人に落ち着いているとか見られることが多いけど本当はこんな情けない所があ
る。碁以外で自分に自信のある所は無いし、不器用さには逆に自信がある。好きな人に好き…
と言われて、でも素直に信じられなかったり…そのくせはしゃいで階段から飛び降りたり」


挙げ句の果てにそれで骨折するようなバカだけれどそれでもこの前告白してくれた時と同じよう
にまだぼくを好きだと言ってくれるならとても嬉しいと、塔矢の言葉は恥ずかしさのあまりか尻す
ぼみ気味に小さくなっていった。


「おまえは?」
「え?」
「おまえはどうなんだよ」


きょとんとしておれを見る塔矢におれは苦笑しながら続けた。

「一世一代の覚悟で告白して置きながら、でも返事が無いことで悩みすぎて胃に穴を開けて入
院しちゃうようなヤツだけどそれでもいいん?」
「それは…ぼくも同じだから」


むしろぼくの方が情けなさの点では上だと言って塔矢はおれを見つめた。見つめてそれから赤
く染めた頬でおずおずと笑った。


「好きだよ、変わらずに。いや、もっと好きかもしれない」
「おれも同じ。話聞いて告る前よりもっともっとお前のこと好きになった」
「なんだ…」


じゃあ何も問題は無いんだねと泣き笑いのように笑みが歪んでおれの胸は痛くなった。

「無いっ!何も問題無しっ! だから―」

だからここからスタートだと、ぎゅっと塔矢の手を強く握ったらもっと強い力で握りかえされた。

「良かっ―」

良かったと言ったのはおれだったのか塔矢だったのか。たぶん二人同時だったのかもしれない。

長い時間抱え込み膨れあがった不安や苛立ちが一気に解消されて、おれは気がついたら泣い
ていた。


ぼたぼたと布団の上に落ちる水滴に恥ずかしくなって拭おうとしたらその手の上にも雫は落ちて
いた。


「え―」

驚いて顔を上げたらおれと同じように泣いている塔矢の顔を見つけた。

「ごめん、泣くつもりなんか無かったのに…」

でもこれは悲しんで泣いてるんじゃない。嬉しすぎて泣いているんだと言う言葉におれは「おれ
も…」と言いかけて、代わりにぐっと握った手を引いた。


どさっと倒れ込んで来た塔矢の体をしっかりと抱きしめ、そして耳元にそっと囁いた。

「うん…わかってる」

すごく、すごく嬉しいよなと、言いながらまた涙が溢れた来た。

幸せな、幸せな、たぶん人生に何度も訪れることは無い希有な瞬間。

おれは塔矢を抱きしめながら、自分達はなんて不器用なんだろうかと始まったばかりの恋の
行方を思ったのだった。




※Wへたれです。しかもかなり重度です。こんなへたれな二人でも許して貰えるだろーかと思いながら書きました。
しかもどっちも格好悪いし。すみません。2009.12.7 しょうこ