嵐
ごうごうと風の鳴る夜は眠ろうとしても眠れない。
つい音が耳について目が冴えてしまう。
「なあ、さっきから家とか外とかすげえ音してるけどこの家大丈夫?」
ヒカルが尋ねたのは、二人で寝ようと布団に入ってしばらく経ってからのことだった。いつも
なら寝付きのいいヒカルはこのくらい時間が経っていればもうとっくに眠っており、アキラもま
た眠っている。
でもぽつんといきなり投げかけた言葉に、アキラはごく自然に返事をしたのだった。
「別に大丈夫だろう。風が強い時はうちはいつもこんな感じだよ。建物が古いからね、少し軋
みは大きいかもしれないけど…」
「でもとても都内とは思えないような音がしてるんデスけど」
ヒカルが言うのは庭の木々が揺らされて、葉擦れの音が雨のように聞こえることと、その合間
に何か物が飛ばされているらしい甲高い音や、プラスチックの何かが転がるような音がしてく
ることなのだった。
カンと高い金属の音が響くとぎょっとする。
そして何かが転がるような音は瞼の裏にそれが転がって行く様を思い浮かばせて寒々しい気
持ちになる。
家もアキラが言うように古いせいだろう、ヒカルの家では聞いたことが無いような軋み音をたて
て、それがなんとも寝ている身には心細く感じられた。
「おまえよくこんな中で育って来たよな。ガキの頃とか怖く無かったん?」
「それはね…子どもの頃は少し怖かったけど…」
天井を見詰めながらアキラが返す。
「でもいつの間にか怖くは無くなった。小さい頃から一人で寝ていたしね、どうしても我慢出来な
い時には両親の布団にもぐりこんだりもしたけれど」
言ってからしまったと思ったのだろう、しばし言葉が途切れる。
アキラは自分の弱い部分をヒカルに見せるのを例え子ども時代の話だろうと言えど極端に嫌が
るのだ。
「…笑いたければ笑ってもいいよ」
「なんで? そんなの当たり前じゃん」
子どもの頃から一人でも大丈夫なんて、そんなだったらその方が変だってとヒカルが言う言葉に
アキラは返さなかったけれど、しばらくたってからぽつりと続けた。
「キミは?」
「え?」
「キミも…じゃあ怖かった?」
今度はしばしヒカルが黙る。ヒカルもまた本音の部分ではアキラに弱みを見せたくないと思って
いる節がある。
「怖かったよ。台風ん時とか、怖いテレビ見た時とか、すごく怖くて夜中に親の部屋に行ったっ
てば」
でもやっぱりいつの間にかそういうことはしなくなったなとヒカルは言った。
「いつまでもそういうのって格好悪いし、それに……」
「それに?」
ごうとまた風が鳴り、閉めてある雨戸が大きく揺れた。
「それに…おれ、お化けとか怖くなくなったし」
「ふうん………」
「笑いたければ笑えば?」
「どうして? それはキミが成長したってことだろう」
当たり前じゃないかと言うのに苦笑したようにヒカルが笑う。
「そうかな。そういうわけでも無いんだけど。第一今みたいに風が強いのとか、やっぱりちょっと
怖いなって思うし」
「風の音…怖い?」
「成長して無いんだよ、おれ」
普段あんまり感じないから、こんなふうに剥き出しに自然を感じたりするのってちょっと怖いと苦
笑しつつヒカルが言うのにアキラは黙った。
「あ、やっぱ情けないヤツとか思ってんだろう」
「思わないよ」
それよりキミにそういう部分があるんだってわかるのは嬉しいと、言ってアキラはヒカルの布団
に潜り込んで来た。
「えっ? ええっ????」
焦るヒカルを尻目にアキラはぴったりと肌を寄せるようにして、それから言った。
「こうしていると怖く無いんじゃないか?」
「え……ああ。………うん」
確かに今は驚いたのと、思いがけずアキラの方から寄って来たことでヒカルは驚いて、怖いと
かそういう気持ちは吹っ飛んでしまっている。
「今日は確かにいつもより風が非道い」
「………うん?」
「だから怖くてもいいと思う」
「………う……うん」
「実を言うとぼくも少しだけ心細かった」
だから今夜キミが居てくれて本当に良かったと思っていたと言われて、ヒカルは一瞬黙った。そ
してそれから弾けるように笑う。
「なんだ…正直に言ったのに」
「いや、おまえでもやっぱり怖いんだなってそれが嬉しかっただけ」
そしてしばらく笑った後、ヒカルは自分から更にアキラにすり寄って、その温かさを楽しむように
してぽつりと言った。
「おまえ…温かい」
「キミだって温かいよ」
布団の中はいくらくっついていても二人には狭くて、でもその狭さが穴蔵のようだった。
嵐の夜に生きながらえるために身を寄せ合う動物になったような気持ちがヒカルはした。
「これだったらおれ…眠れそうだな」
ぽつりと呟いた声に何故か返事が返らない。ふと見るとアキラはもう眠ってしまっているのだった。
「今の今まで起きてたのに………おまえガキかよ」
こんなふうに墜落するみたく眠るんだ?と、ヒカルはそれが可笑しくて笑いそうになったけれど必
死に堪えた。
「おれに触って安心したから眠ったん?」
「当たり前だろう」
ぐっすりと眠っているはずのアキラが返したのは寝たふりだったからなのか、それとも一瞬だけ意
識が戻ったからなのかわからない。
でも改めてしげしげと見詰めたアキラは確かに安らかな気持ち良さそうな寝息をヒカルの隣でたて
ていた。
「おやすみ」
つぶやいてヒカルも目を閉じる。
相変わらずごうごうと風の音は鳴り響いていたけれど、もう少しも怖くは感じない。
アキラの温かい肌を感じながらヒカルもまた一瞬で心地よい眠りに落ちたのだった。
※前にも書いたかもしれませんが、私は物心ついてから高校生くらいまで見渡す限りの田んぼのど真ん中のような所で育ちました。
家の前には国道が通っていて、そこをたまに車が通りすぎては行くけれど、夜、窓の外に見えるのは水田とその遙か向こうに見え
る雑木林の黒い色と、その中のぽつんとした灯りだけでした。なので雷も半端無かったですが、子どもの頃、何よりも風の音が本当
に怖くてたまりませんでした。
カン、カラカラカラカラ、カンと響く空き缶の音がどれ程恐ろしかったか。ごうと家を揺らす風が怖くて怖くて怯えて眠れなかったもので
す。でも、東京ではそんな風は吹かないですね。風の音も転がる缶の音ももう私を怯えさせることはなくなったわけです。
ただそれだけの話です。
2008.12,22 しょうこ