夕陽




薄青く暮れて行く空に細く長く続く筋状の雲。

それをしばらく眺めた後で、進藤はぼくを振り返って「あれって地震雲って言うんだっけ?」と唐突
に尋ねた。


「さあ…ぼくはそういうことはよく知らないから」
「そうなんだ? すげえ意外。おまえそういうのこそよく知っていそうなのに」


吹く風も冷たい冬の河原。

川面を高く見下ろす土手は眺めはいいけれどその分風が強く当たって寒い。


「さて、今日はどうすんの?」
「どうって」
「このままここで『さよなら』って別れてもいいし、どっちかの家に行ってもいいし」


それともこのまま土手の上を川沿いに行ける所まで歩いて行ってみる? とそれはまだ暖かか
った昼ならば気持ち良いことだっただろう。


でも今は厚いコートを着ているのにも関わらず、襟元から入ってくる風の冷たさに肌が震える。

「もう少し、早い時間に言えばいいのに」

歩きたい気分だったのならこんな暮れてから部屋から出てなんか来ずに、もっと早い時間に
―と言いかけたぼくを進藤はじっと見る。


「だっておれ達明るい間はセックスしてたじゃん」

にっこりとあっさりと、でも口調はどこか醒めて冷たい。

まるでこの風のようだなとぼんやりとぼくは思った。

「うん…そうだね。ぼくとキミは裸で抱き合っていた」

まるで盛りのついた獣みたいだったよねと言ったら進藤は少しだけ目を見開いた。

「嫌だった?」

せっかくの休日を丸々一日性欲の解消で使ってしまった。それは無駄だったと思っているのか
と尋ねられて今度はぼくが目を見開いた。


「性欲の解消? ぼくは―ぼくはキミと愛し合っていたと思ったけれど」

キミにとっては違っていたのかなと、それは少しばかりの問いも含む。


最近ぼく達は以前のようにしっくりとはいっていない。

かといって、何がいけないというわけでも無い。

ただわかっているのは、今のままではたぶんダメになってしまうということだった。


愛している気持ちは変わらない。

(いや、変わっていないんだろうか?)

ぼくの体の中に脈打っているこの熱い彼への気持ちは、抱き合って肌を重ねたその間、少し
も変わっていなかっただろうかと自問する。


「おれさ」

そんなぼくの内側を見透かしたように進藤がぽつりと言う。

「おれ、今のままじゃ嫌だな」
「うん――」


なんとなくそう切り出されるような気はしていた。

こんな暮れかかる中途半端な時間に河原に行こうと連れ出されたその時に。

「別れる?」
「おまえはおれと別れたい?」
「別れ――たくない」


別れるなんて出来るわけが無い。

彼の指も、体も、感じる体の温もりも、その全てがぼくのものだと思うのに。

「おれも別れたくない」
「じゃあ――何も問題無いね」


それは、ただそれだけの会話だった。

ただ気持ちを確認しただけの、なんと言うことの無い会話だった。

でもその一言一言の中には含まれた深いものがあったように思う。

だって―。


「おまえが別れたくないって言ってくれてほっとした」
「ぼくだってキミが別れたいって切り出すんじゃないかと思っていた」
「出来るわけないじゃん、そんなこと」


今なら微笑んで互いの顔を見られるけれど、ほんの数分前はぼく達は危うい線の上に立って
いたのだ。


例えば今こうして微笑み合う代わりにくるりと背を向けて、恋人としての相手と永遠に別れて歩
くことだってあり得た。



「やっぱ、ちょっと歩かねえ?」

進藤がさっき筋雲が見えていた方の空を見て「ああもう暗くて見えない」と呟いた後に言う。

「このまま、もうじき真っ暗になると思うけど」

この土手の上をどこまで歩けるか歩いてみないかと手を差し伸べられてぼくは躊躇いなくその
手を取った。


しっかりと指を絡め、体を寄せるようにしてどんどんと暗くなって行く道を歩く。

川面は暗くもう美しくは無い。

吹いてくる風は益々冷たく寒く身を凍えさせて行く。

なんのためにこんな馬鹿なことをしているのかぼくにも彼にもわかりはしないけれど、それでも
こんなふうに二人で歩きたい気分だった。


歩く事に暗く覚束なくなって行く闇の中をどこまでも二人で、しっかりと手を握って歩きたい。そ
んな気分で満ちていた。




「どこまで行けるかな」
「さあ…寒くて耐えられなくなるまでかなあ」
「ぼくはキミがお腹が空いて耐えられなくなった所までだと思う」
「うん、それもありかも」


そうしたらどこかで土手をそれてラーメン屋でもうどん屋でもファミレスでもなんでも見つけて入
ろうと、言う言葉にぼくは頷く。


闇から光へ、でもきっとぼく達は繋いだ手を離すことは無いだろう。

「がんばれば海まで歩けるかなあ」

白く凍る息を吐きながら前を見る彼と同じ先をぼくも見る。

真っ暗で、でもぼんやりと輪郭だけが見える青暗い世界。寒くて凍えて最低で。

でも光の中に戻った後、腹ごなしをしてぼく達は帰る。

ぼくの部屋か彼の部屋かそれはまだわからないけれど、どちらかの部屋に帰って、そして再び
飽きることなく抱き合うのだと。




食欲と性欲。

正に獣の生活だと思いながら、彼と早く愛し合いたい、互いの肌の熱を感じたいと、ぼくは果て
しなく続く目の前の闇の中に目を凝らしながら、愛情とセックスについて静かに深く考えたのだった。




※なんかね、たまにね、無性に泣きたくなることもあるわけですよ。2009.1.22 しょうこ