翼
子どもの頃に漠然と思った未来の「幸せ」は父と母のような家庭を持つこと。
囲碁を続けてそれを自分の職とし、そして母のような人と結婚して子どもが生まれて、そ
の子どもに自分も囲碁を教える。
それはぼんやりとして曖昧な、でもそれなりに幸せそうな情景ではあった。
(それが実際はこうなんだから)
隣を歩く進藤を見詰めながら複雑な気持ちで苦笑する。
囲碁を職とすることは出来たけれど、「お母さん」とは似ても似つかない「男」の彼を伴侶に
選び「子ども」の一人も居ない人生を生きる。
「…でも碁を教えることは出来るし」
「ん? 何?」
呟いたのを聞きとがめて進藤が振り返る。
「今なんか言った?」
「いや、子ども囲碁教室の子ども達、可愛かったなあと思って」
「あれが? 馬鹿ガキばっかじゃん! 見て無い所で勝手に石を動かしたりするし、ズルは
するしすぐ飽きるし」
「でも結局はみんな楽しそうに打っていたじゃないか」
「あれはおまえが辛抱強く教えてやっていたからだよ」
「キミも随分辛抱強く教えて打ってあげていたじゃないか」
「だってそれは―」
おれもあんな馬鹿ガキだったしという進藤のふて腐れたような口元がとても愛しい。
「大人の指導碁はよくやるけれど、ぼくは本当は子どもに教える方が好きだな」
正気かおまえと言われるものと思ったのに、意外にも進藤は即座にこくりと頷いた。
「うん、おれも本当は馬鹿ガキに教えんのが一番好き」
最初は飽きていたヤツも覚えて打てるようになってくると途端に目の輝きが変わって来る。
あれを見るのが大好きなんだよと言われてぼくと同じだと嬉しくなる。
「子どもは吸収が早いからね」
「あの中から、いつか公式で打つ相手が出てくるのかと思うとワクワクする」
すごく強いヤツが居るといいなあと、心底願っている口調にああ彼は本当に囲碁馬鹿だと
苦笑した。そして苦笑しつつ、それも自分と同じだと胸の底が熱くなる。
「また…来週も行こうかな」
「いいの? おまえ来週すごく忙しいじゃん」
「それはキミだって同じだろう」
「でも、おまえはもっと忙しいから」
「同じだよ」
言いながらぎゅっと彼の手を握る。
「何が?」
「忙しいのも同じだし、子ども達に教えるのが楽しくて仕方無いって言うのもぼくも同じだ」
すぐに飽きて忘れるかもしれない。
でも飽きずに碁の道を来るかもしれない。
咲くか咲かないかわからないけれど、たどたどしく歩いて来る未来の棋士を生むために、
種を蒔くことが出来るなら―。
(それはぼく達の子どもでもあるんだ)
そう思った。
ぼくと彼がきっかけを作り、生まれ育てる。血の繋がりは無いけれど、囲碁で繋がった二
人の子ども。
そう考えるとそれはたまらない程に幸せなことだとそう思った。
(子どもの頃に思い描いていた未来とは違っていたけど)
でも今手にしているこの未来の方がずっとずっと「幸せ」だと思いながら、ぼくはゆっくりと
した歩調で隣を歩く、ぼくの伴侶の顔を改めてじっと見詰めたのだった。
※佐為からヒカルに、ヒカルとアキラから誰かに。それもまた命のバトンだと思うわけですよ。
2009.2.24 しょうこ