博物館
博物館で見た、アンティークの飾り棚が気に入った。
元々家具やカーテン、室内装飾には無頓着で、だから家具も必要だからと買った食器棚やテレビ台など
実用本位のものばかりで、特別に愛着などは感じてはいなかった。
使えればいい。そういう考えだったからだ。
けれどその日、知り合いに貰ったチケットで見に行った「アールヌーヴォー展」で何気無く見たキュリオと
いう飾り棚からぼくは目が離せなくなってしまった。
「塔矢、何やってん? 向こうは宝石とか色々キレーなもんあるみたいだぜ」
ぼくと同じで家具には大して愛着もこだわりも無いらしい進藤はさっさと家具のブースを抜け、次の展示
に移ろうとしている。
けれどそこでいつまでも張り付いているぼくに気が付いたようでゆっくりと戻って来た。
「…それ、気に入ったんだ」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「でもさっきからずっと見てる」
って言うかさっきからそれしか見て無いよなとほんの少し笑いを含んだ声で言って、進藤はぼくの隣に
立つと改めてその飾り棚を見た。
「華奢っぽいけどしっかりしてるよなあ」
「…うん」
「彫り物も綺麗だし」
「…うん」
「色も深みがあっていいよなぁ」
「…うん」
「ガラスが一杯で地震があったら割れて粉々になるよな、きっと」
「…うん」
「中におまえのフィギュアでも作って飾って入れておくか」
うんと言いかけて気が付いて笑う。
「そんな趣味の悪いもの、冗談じゃない」
「だってあんまりじっと見てるからさ」
妬けるじゃないかとそう言ってから進藤はぼくの肩に手を回した。
「…欲しい」
「いや」
「でも欲しいんだろ」
「展示してあるものだし、買えないよ」
「でもそれ値段ついてるぜ?」
言われて見ればガラス扉の一番下に小さく値段のシールが貼ってあるのだった。
「展示品なのに…」
「んー、でもこれ、上野の博物館とかああいう所のと違うしさ、半分くらいは値段ついてるみたいだぜ」
販売も兼ねた展示会。
そういう物もあるのかと妙に感心しながら改めて周囲を見回した。
「大体このチケットって、宝沢宝飾の社長さんがくれたんだろ?」
だったらもういかにもじゃんと笑って進藤は肩に回したぼくの手に力を込めて引き寄せた。
「進藤、こういう所で…」
「って、このブースおれらの他に誰もいないじゃん」
元々そんなに見ている人の数は多くは無かった。
華やかな物なのにどうしてだろうと思っていたのだけれど、もしかしたらこれは関係者に向けた小さな展
示即売会であったのかもしれなかった。
もちろん一般の人も入れるけれど、あまり広告など打っていない所を見ると、一般は最初からあまり入
場の数には入れていなのだろう。
「…で、どうする?」
ぼくの肩を抱いたまましばらく黙って飾り棚を見つめていた進藤がぽつりと言った。
「何が?」
「予定じゃこの後、街ん中ぶらぶら歩いて時間があったら映画でも観て、それから昼飯ってことになって
たと思うんだけど」
「あ、そうだね、ごめん」
ごめんと謝りはしたもののどうしても足が動かない。
自分でもどうしてこんな飾り棚の一つに心惹かれてたまらないのかがわからなかった。
「ごめん、進藤。もう少しだけ見たら行くから」
「いいよ、好きなだけ見てれば。それよりおまえいっそこれ買っちゃえばいいんじゃん?」
「え?」
「買えって、だってこんな…」
言いながら目で数えた値札には百万に近い数字が並んでいる。
「ダメだよこんな高い物」
無駄遣いだと言うのにやんわりと進藤が言う。
「うん、でもさ、おれが半分出せば買って買えなくも無い値段なんじゃねーの?」
「冗談、それくらいだったら自分で買う」
「いや、でもさ、おれら来月から一緒に住むんだし、だったら家具も二人で買ってもいいんじゃねーの」
家具と言ってもこれは本当に何かを飾るためだけの飾り棚で例えば食器などを入れておくことは出来
ない。
実用性にほど遠い代物なのだ。
「ダメだよ、勿体無い」
これを買うくらいだったら他に揃えたいものがたくさんある。そうでなくても引っ越しやら何やらでかなり
の痛い出費があるのだ。
「いいよ進藤。これはぼくの気の迷いで一晩寝れば忘れるから」
「ふうん。おまえおれのことも一晩寝て忘れられたんだ?」
「え?」
「昔、たった一度会ったきりのおれをおまえずっと追いかけて来たじゃん」
しつこくしつこく追いかけて来たじゃないかと言われて顔が赤く染まった。
「あれは別だ―」
「別じゃないよ。おまえっていつもそう。ほとんど滅多に何かを好きにならないけど、好きになるととことん
好きだよな」
だからもう無駄な抵抗は止めてこれ買っちゃえよと言われて更に顔が赤くなった。
「だって…こんなものどこに置けば…」
「リビングでいいじゃん。今度の部屋、リビングかなり広いし」
「でも中に入れるものが何も無い…」
「いいじゃん何も入れなくてもさ」
好きって、すごくこれを気に入ったから買ったってその気持ちだけ入っていればいいんじゃないかと言わ
れてぼくはもうそれ以上反論することが出来なくなった。
「…本当に半額出してくれるんだ」
「なんだったら全額出しておまえにプレゼントしてやってもいいぜ」
「いいよ、ぼくの方が収入多いのに」
「あ、おまえさり気なく失礼なことを――」
優雅な猫足の飾り棚にはバカなじゃれ合いをしているぼく達の姿が映っている。
本当は昔、これに相応しい人達が相応しい使い方をしていたのだろうけれど、もしぼくが――ぼく達が
これを手に入れたならばこれからはきっといつもこんな痴話げんかを映すことになる。
くすっと笑うと進藤は更にむきになって言った。
「今度は絶対におれが棋聖になってやるんだからな!そうしたら収入だっておれのが上に―」
「ごめん、今のはそういう笑いじゃなかったんだ」
ただこの飾り棚が気の毒だと思ってと言うと進藤はきょとんとした顔になった。
「なんで?」
「これから毎日こんな口げんかを聞かされることになるからだよ」
頼む、悪いけれど本当にこれを気に入ってしまって欲しくてたまらないから半額もって貰えないかと言っ
たら進藤は途端に機嫌の良い顔になった。
「もちろん。最初からそう素直に言ってりゃいいんだよ」
「でもこんな高いものだから」
「高く無い」
「え?」
「おまえがそんなに気に入ったんだもん。もし貧乏でも百万回ローンででも絶対におれは買ったよ」
そう言われてぼくも思わず笑ってしまった。
「百万回にはならないけれどね。少なくとも何回かのローンにはしよう。そして…」
「そして何?」
「いや、なんでも無い」
そしていつか新居のリビングにこの飾り棚が届いたならば中にはただ一つ写真を飾ろう。
彼とぼくと二人で映した幸せな笑顔で映っている写真。
「結婚記念ってことにすればいいんだ…」
ぽつりと小さくつぶやいた言葉は進藤の耳には届かなかったようで不思議そうな顔をされたけれど、
ぼくはそれですっきりとした気分になって彼の腕を取った。
「それじゃキミの気が変わらないうちにこれを買う契約を取り付けようか?」
「おまえの気が変わらない内にだろう」
笑いながらぼくに引っ張られて歩く。
通り抜けたブースにはまだ様々な美しいものがあったけれど、ぼく達はどれ一つとして目を留める
ことは無かったのだった。
※滅多に何かを好きにはならないんですが、好きになるととことん好きなんですよ。ええ。 2009.3.23 しょうこ