Cry for the Moon



進藤の携帯にメールを送り、それからぼくはカフェの二階席からずっと外を見ていた。

大きく設えた窓の下に見えるのはスクランブル交差点で、信号が変わるたび、そこを人が行き来
するのをぼんやりと眺め続けた。


『もうキミには我慢出来ない』

終わりにしようと、喧嘩の挙げ句掴む手を振り払ったのは、ここではない別の街の映画館の前。

久しぶりに休みが合って出かけた先でぼくは彼の小さな嘘を知った。

偶然出会った彼の幼馴染みから、彼が仕事で出かけると言って出かけた日に彼女の用事に付き
合っていたことを聞かされたのだ。


『あの時は本当に助かっちゃった。ありがとうね、ヒカル』

そう言って何の悪気も無く、彼女は一緒に居た女友達と去って行ったけれど、ぼくは治まらなかっ
た。


『塔矢、あのさ―』
『今度はどんな嘘を言ってぼくを騙すつもりなんだ』


腹立ちから自分で思っていたよりもずっとキツイ口調になった。

『嘘なんてつくつもりねーよ』
『じゃあ何で、嘘をついて彼女と出かけたんだ』


後ろ暗い所が無ければ正直に言えばいいのにと言った言葉に進藤もカチンときたらしい、ムッと
した口調で言い返して来た。


『そうやっておまえがすぐ怒るからだろ』

別にあかりとはなんでも無いのに、会うって言うと焼き餅妬くからと、その言葉はぼくの怒りに油を
注ぐ形になった。


『それは言葉のすり替えだ、何も無いなら別にぼくは何とも言わない』

焼き餅なんか焼かないよと、そしてそのまま路上での言い合いになり、業を煮やしたように腕を掴
まれた瞬間、感情が爆発してぼくは彼を振り切ってそのまま走り去ったのだった。




冷静になれば大したことでは無いと解る。

いや、言い合いをしている間でも頭の中ではこんなに責めるようなことでは無いのだとちゃんとぼ
くは解っていた。


でも感情が付いて行かない。

幼い頃から今でもずっと彼のことを想っている、そしてそれを彼自身も解っている相手と一緒に出
かけることに、どうして妬かずにいられるだろうか。





「嘘はつかないって言ったのに…」

カフェの窓から眼下を見下ろしてぽつりと呟く。

ぼくが一番腹が立ったのは、これが初めてでは無かったからだ。彼は幼馴染みに頼み事をされる
と断れない。


気持ちに応えられないという負い目からか、それとも単純に幼馴染みへの情からか、ぼくとの約束
を違えてまでも彼女の頼みを優先する。


それがどうしても許せなかった。

「どうしてキミは正直に言ってくれないんだ」

ちょうど信号が青に変わり、一斉に人が歩き出すのが見える。老人、学生、親子連れに恋人同士、
年齢も人種も様々な人達がまるで模様を織るように綺麗に交差して行くのが面白く、また不思議だ
った。


「言ってくれたらぼくだって、きっと…」

(いや、許せないな)

外から視線を戻して苦笑する。

手元にある冷え切ったコーヒーは鈍い油膜のような物が浮いて、あまり美味しそうには見えないけ
れど、それをこくりと一口飲んだ。


喉を伝って落ちて行く不味さは、そのまま自分の醜さのようで知らず眉間に皺が寄る。

(そうだな…知っていてもきっとぼくは嫉妬する)

そして醜く彼を責めて罵るだろう。

どうしてそんなに彼女のことを大切にするんだ―と。

カフェの中はほどほどに込んでいて、大半は若い女性だった。ほとんどが二人連れ以上で、楽しそ
うに飲み物を口にして、パニーニなどを食べている。


柔らかそうな体つきに、可愛らしい笑顔。自分には無縁なものだと改めて思う。

恋愛の対象としても無縁ならば、自らがそういう存在になるのも無理なのだ。

進藤は本来、可愛らしいタイプの女性が好きだった。あの幼馴染みの少女のような。

溜息が出る。

ガラスに映る自分は、男としては細身だが、柔らかさも可愛さも無い。無くて当たり前なのだ。

解っていて恋をして、解っていて彼もまたぼくを愛したはずだった。

(それなのに、どうしてこんなつまらないことで揺らいでしまうんだろう)

信じたいのに信じられない。

それはマイノリティであるが故の不幸なのかもしれなかった。

どうしても、本来あるべき姿では無いのだと、人前で手を繋ぐことも出来ない恋愛を切なく思ってし
まうから。


進藤はしつこかった。

恋を始める時も中々気持ちを認めないぼくをしつこく口説き落としたし、喧嘩をしてこじれても決し
て別れるとは言わなかった。


さっきだって、相当頭に来ていたはずなのに、暴言を吐いたぼくを追いかけて来て、なかなか諦め
てくれなかった。


だからこそぼくもムキになり、必死になって振り切って、地下鉄に乗り、そのまま滅茶苦茶に乗換え
た。


今居る場所は彼には全く解らないはずで、やっと落ち着いてぼくは物を考えることが出来たのだっ
た。


嘘をついたのは進藤が悪い。

それが最初に出た結論で、でも嘘をつかせたのは自分でもあると、それもまた結論だった。すぐに
焼き餅を妬く。それも彼女に関しては非道く過敏にという彼の言葉は真実だった。


ぼくは彼女を不快に思っていたし、頼まれれば行ってしまう彼をも不快に思っていた。

愛するなら自分だけを愛すればいい。

考えついた所がそれで、非道く傲慢なんだなと己を笑ってしまった。

このままではきっとまた傷付け合う。だから本当に別れてしまった方がお互いのためにはいいのか
もしれない。


そこまで考えてぼくは彼にメールを送ったのだった。

『駅前の×××というカフェに居る』

それだけでどこの駅かは記さなかった。

もし見つける気があるならば、死ぬ気で探せとそう思ったからだ。

カフェは全国チェーンで都内だけでも相当な数になる。駅の側にあるものだけでも相当で、閉店ま
でに見つけられたら凄いなと他人事のように思った。


(来るかな)

すぐに電源を切ってしまったので彼が返事を寄越したかどうかわからない。

いつもなら一秒も経たずに返事を寄越したはずだけれど、今回はどうかわからない。あまりに何度
も繰り返された諍いに、いい加減彼も愛想を尽かしていい頃かもしれないと思った。



メールをして一体どれくらいぼくは窓の外を眺め続けていただろうか。

幾度も幾度も信号が変わり、そのたびに決められたことのように人々が交差する。

変わりばえのしない景色の中で、それでもゆっくり空の色は変わり、いつの間にか夜が近くなって
いた。


「…やっぱり無理なのかな」

ほとんど手をつけないまま、泥のように濁ってしまったコーヒーのカップを揺らしながらぼくは後一
時間で店を出ようと思った。


いつまでもこんなことをしていても仕方無い、そう思ったからだった。

その時、信号が変わった。

一斉に歩き始める人々を眺めていたぼくは、大きく目を見開いた。人混みの中、こちらに向かって
歩いて来る進藤の姿を見つけたからだ。


彼は交差点の中程で顔を上げると、射貫くような目でぼくを見つけた。そして何か叫んだようだった。

こんちくしょうとか、そんな風な感じに口が動くのを確かに見た。

(本当に来た)

一瞬逃げるべきかどうしようか迷ったが、潔くないとそのまま同じ場所でぼくは彼が来るのを待ち続
けた。


「塔矢っ」

程無く階段を駆け上がって来た彼は、まっすぐにぼくの前に立つと恐ろしい顔で睨み付け、それから
向かいの席にどうっと崩れるように座り込んだ。


「進藤?」
「てめぇ、都内にこの店何店舗あると思ってんだよ」


近郊の都市も含めたら絶対に1日じゃ回れない数なんだぞと、一気に言ってまた黙る。

「よく…見つけられたね」
「回ったんだ、手当たり次第!」


別れた場所から近い順に虱潰しに当たったらしい。見れば彼は汗びっしょりで、話す度、言葉がぶつ
りと途切れるのは息切れしているからだとやっと解った。


「おまえのことだから絶対都内からは出て無いと思ったけど、でも分かんねーし」

見つけられなかったらどうしようかと思ったと言ってテーブルに突っ伏した。

「…で?」

少しして進藤はまだ荒い息の下からそう言った。

「それでおまえはどうしたいんだよ」

一瞬『何が?』と聞き返しそうになった。

「…解らない」
「別れたいってさっき言ったの本気?」
「だからそれが…」


解らないんだと言ったら進藤は何とも言えない顔をした。怒っているのとも違う、悲しんでいるのとも
違う、呆れているに少しだけ近かったかもしれない。


「解らないのに人のこと、あんなメールで呼びつけたのかよ」

しかも東京中走らせてと言われて言葉に詰まる。

「おれ、おまえの気持ち、解らねえ」
「嫌われても仕方無いとは思っている」
「おれの気持ちじゃ無いって、おまえの気持ちが解らねえってそう言ってるんだ」


おれは好き、いつだっておまえのことが好きだよと言われて何故か泣きたくなった。

「…ずっと見ていたんだ、ここから外を」

何時間も人が行き来する様を眺め続けた。

「そんなに距離があるわけじゃないけれど、これだけの人数だと個々の認識なんてほとんど出来な
い」


寄せる波や、流れる雲、記号や模様のようにしかそれらは見えなかった。

「それで?」
「それなのにね、さっきキミが来た時、何故かすぐに解った」


たくさんの人の中、ぼくはそれが進藤だとはっきりと解ったのだった。

「人混みの中、かき分けるように来るキミの姿がよく見えた。ぼくを見て、何か怒鳴っている声も聞
こえたような気がしたよ」


進藤は伏せていたテーブルからゆっくりと顔を起こすとぼくを見た。

「キミが来たと解った時、ぼくは嬉しかった。頭で思ったんじゃない、反射のように体全体で嬉しい
と思った」
「…塔矢」
「キミが好きだよ」


どうしようもなくぼくはキミが好きなんだと言ったら、進藤はほうと大きく息を吐いた。

「キミは?」
「おれ?」
「好きだけど…いや…好きだから、きっとぼくは変れない。キミがぼく以外の人と居れば焼き餅を
妬くし、嘘をつかれれば殺してやりたいと思うくらい憎むよ」


我ながら浅ましい、醜いと思うけれどそれが真実なのだから仕方無い。

「そんなぼくでもキミは好きでいられるんだろうか?」
「…って、おまえさぁ」


テーブルの上、緩く組んでいたぼくの手を進藤が両手で覆うようにして握った。

「好きでも無いヤツのこと、こんな必死に探しに来ると思うんかよ」

好きだよと、進藤は溜息の続きのような声で言った。

「好きに決まってんじゃん!」

おまえのそういう複雑な所も、潔癖で自分に正直な所も全部含めて好きで好きで仕方ねえと言わ
れて笑ってしまった。


「…そうか」

良かったと、それ以上の言葉は思い浮かばなかった。

諦めのような、幸福のような、けれど非道く甘苦い。

手を握られたまま外を見たら、もうすっかり暗くなっていて、景色よりも先にガラスに映る自分達
の姿の方がよく見えた。


相変わらず、可愛らしくも無ければ柔らかくも無さそうな紛れも無い男の体。

「それでもいいのか?」

思わずぽろりと口に出したら、進藤ぼくと同じ方を見て、それから何がとは問わず、「いいよ」と、
きっぱり言ったのだった。



※相変わらずちょっとしたことで揺らいでしまうアキラさんでした。うちのヒカルは嘘つきなので、余計に不安になるんでしょう。
でもヒカルは嘘つきでもアキラしか愛していないので本当は不安になることは無いんですよね。
揺らがないけれど時に嘘つきなヒカルと、揺らぐけれど真正直なアキラ。そんな感じです。
2011.2.11 しょうこ