パラノイア



進藤を刺した。

喧嘩して、それはいつものことだったのに、彼の気持ちを疑って頭に血が上った。

『やはりキミは普通に結婚したり、家庭を持ったりしたいんだろう』

もう既に何度も話し合って理解してきたつもりのことを持ち出したのは、どうしてもそれが拘りであって
忘れられない気がかりであったからだったのかもしれない。


違うよ。

そんなわけ無いじゃん。

即座に答えてくれるものと思っていたのに、進藤がしたのはむっと黙り込むことで、ぼくから視線を外
して横を向いた。


『そんなの…当たり前じゃん』

思わないわけが無いと言われた瞬間、今まで彼の周囲に居た女性の顔が目の前にちらついて、そう
か、ではぼくが居たからその彼女らと結ばれることが無かったと思っているのかと、激しい怒りがわき
起こった。


だって、関係は一人では成り立たない。

ぼくが彼と結ばれたのは、ぼくが望んだからでは有るけれど、彼が望んだからでもある。

二人して望んでそして結ばれたのに、その道を後悔しているようなことを言われて絶望に目の前が真
っ暗になった。


そして気がついたら手元にあった果物ナイフを握っていた。

少し前、りんごを剥いてそのままにしてあったそれをどうしてぼくは早く片付けなかったんだろう。

きらりと刃が光ったのを視界の中で確かに認めて、でも次の瞬間にはぼくはそれを彼の腹部に突き
刺していた。


「―――あ」

がっくりと身を深く折り込んで進藤がうめく。

「塔―」

大きく吐かれた息の後、彼がゆっくり顔を上げるのに耐えられなくて、突き飛ばすようにして離れる
とそのまま外に飛び出した。


刺した。

彼を刺してしまった。

最後に見た時、彼はリビングの床に蹲っていた。



飛び出して街を彷徨いながら進藤はどうしただろうかと思った。

手にはまだ肉を切る時に似た重い感触が残っていて、確かに自分は彼をこの手で刺したのだと思
った。


(死んでしまっただろうか)

それとも生きていて、今頃警察に電話をしている頃だろうかとつらつらと考える。

捕まるとか、犯罪を犯したとかそんなことよりも、愛する相手をこの手で刺した。命を奪ってしまった
かもしれないということが何よりも重かった。


もし進藤が死んでしまったのだとしたら、ぼくも生きていることは出来ない。

彼が居ない世界で生きていくことなんて考えることも出来ない。

「でも…それなのにぼくは彼を刺したんだ」

刺した瞬間のあの気持ちは一体なんだったのだろうか。

怒り、それは間違い無い。

絶望感、それも違ってはいない。

でもその気持ちの裏側に狂おしい程の喜びも有りはしなかったか。

これでもう誰に奪われることも無く進藤がぼくだけのものになる。

彼が永遠にぼくだけのものになるのだと、あの瞬間の安堵と喜びをまだ覚えている。

けれどそれでも、肉体を持った彼が居なくなることは果てしない喪失だった。

(非道い矛盾だ)

ビルから飛び降りてしまおうか? それとも素直に警察に出頭して―。

考えてどれだけ歩き回ったのか解らない。けれどふと唐突に、死ぬなら進藤の側で死にたいと思っ
た。


もしこのまま警察に行けば二度と彼に会うことは叶わないし、自死をすればもちろん会えるわけが
無い。


彼は彼で葬られ、ぼくはぼくで葬られる。

離れたままになるのは嫌だと気がついて、急かされるようにマンションに戻った。

そして彼の亡骸に向き合うのを覚悟しながらゆっくりと踏み入ったら、思いがけず進藤の声がした。

「よかった…戻って来てくれて」
「進藤…」


目を疑った。

確かに刺したはずの進藤がぼくを見て嬉しそうに笑って近付いて来る。

「や…嫌だ」

思わず後ずさりしそうになるのをそっと包むように抱きしめられた。

「ごめん、追い詰めて」

ではやっぱり刺したのは夢でも幻でも無かったのだ。

「今、探しに行こうと思ってた」
「どうして!」


藻掻いて腕から逃れて進藤を睨む。

「ぼくはキミを刺したんだぞ、絶対に…死んでいるものと…思っ…」
「死なないよ。おまえにおれを殺させたりしないもん」


進藤は苦笑のように笑った。

「別に…おまえに刺されるのは良かったんだ。でもおまえ躊躇ったじゃん?」

怒りにまかせて突き刺したと思ったのに、ぼくは寸前で彼の顔を見たのだと言う。

「知らない…そんなこと覚えていない」

「見たよ。それで躊躇った」

だから絶対に刺させないと握り取ったのだと、包帯で巻かれた両手を見せられてぼくは大きく目を
見開いた。


「嘘だ…確かに刺した感触が」
「切れたよ。もう少しおまえが思い切り良かったら指が全部落ちていたと思う」


医者で誤魔化すのに苦労したと、そんなことを進藤は笑ってぼくに言うのだ。

「どうして笑えるんだ? 自分を刺した相手にどうして…」
「おまえがおれを好きだから」


弾かれるようにぼくは彼を見た。

「好きで好きで好きで好きで、刺さずにはいられないくらいおれのことが好きだから」

だからおれはあのまま、本当は刺されても良かったのだと。

でも躊躇って泣きそうになった顔を見た瞬間に、それは間違いであると悟ったのだと言った。

「もしおれを刺したら、間違っておれを殺したりなんかしたら、おまえはきっと一生苦しむ」

おれを刺したことで苦しみ続けると解っていて、どうして刺させられるだろうかと。

「それにおまえ勘違いしてる」
「え?」


「結婚したいとか、普通に家庭を持ちたいとか思わないかってあれ、思うって答えたのを勘違いし
たんだろう」


「だってそれはキミが…」
「おれは『おまえ』と結婚したい。普通に結婚して家庭を持ってってしてみたいと思う」


ちゃんと解るように言わなくてごめんと言われて頬を涙が伝った。

「でも、それでも、ぼくのしたことは間違っている」
「間違って無い。もし浮気したらその時は遠慮無く刺していい」


「進藤」
「もしおまえの気持ちを裏切ったり、踏みにじったりするようなことをおれがしたら、躊躇いなく刺
して殺してくれていいよ」


だっておれもおまえが好きだからと言って進藤は再びぼくを抱きしめた。

「好きで好きで、たぶん…殺してしまいたくなるくらい愛してるから」

まったく業が深いよなと苦笑まじりの呟きは耳の縁に落とされる。

「…刺さないよ、もう」
「刺してくれていいんだって」
「それでも刺さない」


刺したくないんだと言って彼の胸に顔を埋めた。

温かく、優しく、伝わってくる体温に心の底からほっとした。

「キミが好きだから生きていて欲しい」

他の誰より、自分よりもキミに生きていて欲しいんだと言ったら進藤は小さく笑った。

「…馬鹿だなあ」

馬鹿だけどそんな所も大好きだと言って進藤はぼくを腕で包むと、包帯で厚く巻かれた手のひら
で、そっと頭を撫でたのだった。



※ここ最近の話の流れのような感じで。アキラがヒカルを刺す話は別パターンで一度書いていますがもう一度。
本当は思っていたより全然力が入って無いんですよ。入れられるわけが無い。それでも刃物を力一杯握ったら
相当な怪我になるわけで、しばらくヒカルは打てないでしょう。でもそう仕向けたのは自分だから自業自得です。
2011.3,5 しょうこ


刺さずにはいられないくらい好き。刺されても構わないくらい好き。そんな二人です。