くるい咲き



夜の夜中にドアが叩かれて、誰かと思ったら塔矢だった。

「何? どうしたん?」
「キミ、元気か?」
「え? ええっ? 元気だけど…」


くってかかるような剣幕で尋ねられて、訳も分からず気圧され気味に答える。

「別におれ、なんとも無いよ。なんで?」

すると途端に塔矢は蒸気が抜けたようになって、それからほうっと息を吐いた。

「そうか…ならいい。おやすみ」
「おやすみって、ちょっと待てっ」


今はもう1時をとうに過ぎ、終電も終わっているはずだった。

「おまえどうやって帰るんだよ、もう電車動いて無いだろ?」
「駅の前でタクシーでも待つよ。それか大通りに出て拾ってもいいし」


ここに来る時もそうしたのだから心配しなくていいと言って、去って行こうとするのを無理矢理止める。

「そんなの! いいわけねーだろ。もう遅いんだから泊まって行けよ」
「いいよ、そんないきなり来て泊まるわけにはいかない」


迷惑をかけてしまうからと言われて思わずぶちっと切れそうになった。

「この状況で帰られる方がよっぽどおれにとっては迷惑だって! だから四の五の言わずに泊って
行けっ!」
「キミがそこまで言うなら…」


それでもまだ渋々といった風情で部屋の中に入った塔矢は、どこか気が抜けたような、それでいて
安心したような、そんな顔をして六畳間の隅にぺたりと座り込んだ。


「もしかして…眠っていた?」

起こされてめくれ上がったままの布団を見てそう言う。

「うん。おまえにメール送った後風呂入ってすぐに寝たから。でもそんなに深くは寝て無かったのかな。
ノックされてすぐに目が覚めたから」
「そうか…」


よかったとぽつりと呟く声にならない程の小さな声に、おれは思わず食いついた。

「何? 良かったって何が?」
「あ…」


失言だったとはっきり顔に貼り付けたまま、塔矢はじっとおれを見る。

「言えよ、それってなんかいきなり押しかけて来たことと関係してるんだろう」
「別に…」
「言わないんだったらいいけど、それならおれはもう二度とおまえと打たないぞ」


それでもって他のヤツらとおまえの目の前で見せびらかすように死ぬほど打ちまくってやるからと、
脅すように言ったら塔矢は益々渋い顔になって俯いた。


「………から」
「え?」


随分たってからようやく言ったのはぽつんとした言葉で、最初何を言っているのか聞き取れなかっ
た。


「何? 今なんて言った?」
「キミが…キミがまた一人で泣いているんじゃないかと思って」
「おれが泣いてって―――あっ」


言いかけて途中で気が付いた。そう言えばずっと前、夜中にふいに佐為のことを思い出して、不安
定になり、塔矢に電話をかけたことがあったからだ。


「あの時、キミは結局どうして泣いているのかぼくに言わなかったけれど、きっと何か悲しいことがあ
ったんだろう?」
「う……うん」


そうとも言えるし、そうで無いとも言える。佐為は不意打ちのようにおれの中に蘇って来ては、愚か
だった自分を苦く思い出させるから。


「だからまた何かあったのかなって…」
「だからどうして?」


どうして塔矢はそんなことを思ったんだろう?

今日は別に佐為を思い出していたわけでも無く、手合いでボロ負けして落ち込んでいたわけでも無
い。


「大体おれ今日はおまえと直接話してないじゃん? なのにどうしてそんなふうに思ったんだよ」
「最後に交わしたメール」


あのメールがなんだか元気が無かったからと言われて、おれはぎょっとした。

「あれは……」

落ち込んではいなかった。でも、何故かふいに人恋しくなって、ほんの少しだけでいいから塔矢と直
接話がしたいとそんな気分になったのだ。


メールではなく、直接生の声を聞きたいと。でもその時に既に時間は12時になっていたので、なけ
なしの自制心を振り絞って、おれは塔矢に『おやすみ』とメールを送るに止めたのだった。


「あ…だから?」

もしかしてそのほんの少しの躊躇いが、短い文の中に籠もってしまったのだろうか? そして塔矢
はそれを敏く感じてしまったのだろうか?


「おまえ…それで来てくれたん?」
「来るよ、だって…キミがもし辛いのだったら」


それはぼくにとってもとても辛いことだからと言って塔矢は顔を上げ、それからくすりと小さく笑った。

「でも良かった、ぼくの勘違いで―キミが一人で辛い気持ちで居るのではなくて本当に良かった」

安心したよと、それはしみじみとした優しさの込められた声だったので、おれはぐっとこみ上げて来
るものをこらえなければならなかった。


「おまえ―バカ」
「うん、キミに対してだけはいつもバカなんだ」


「こんな夜中にアブナイじゃんか!」
「そんなこと無いよ、まだ結構人も行き来しているし」


それにもし危ないとしても、それでもキミの方が大切だからと、もしキミが欲しているならぼくは来る
よと重ねて言われ、おれはこらえきれずに泣いてしまった。


「………どうして泣く?」
「おまえが泣かしてんだよっ」


おれのことをあんまり甘やかすから、そしてあまりに自分よりおれのことを考え過ぎるから、そのバ
カさに思わず泣けて来たのだと言ったら塔矢は笑った。


「そうか、それは悪かった」

でもそれでもきっとまた、こんなふうに来てしまうかもしれないから、その時は許してくれと微笑む顔
をそっと挟む。


「何?」
「ほんと言うと、おれ、ちょっとおまえと喋りたいって思ってた」


「そうか」
「…だから来てくれてびっくりしたけど嬉しかった」


にっこりと、花が開くようににっこりと、挟んだおれの手の間で塔矢は嬉しそうにおれに向かって微
笑んだ。


「そうか。なら…やっぱり来て良かった」

ぼくは間違っていなかったと、笑う顔が胸に染みる。

いつかもし、この微笑みがおれ以外に向けられることがあるとしたら、きっと生きていけないだろう
なとぼんやりと思った。


いつか、もし――もしもこいつを失うようなことがあったらきっと―。

「生きていけないな、おれ」
「え? 今なんて…?」


ぎょっとしたような顔をむにゅっと引っ張り、それから見開かれた目に笑いかけてからキスをした。

塔矢はびっくりしたように目を開けたまま、離れてもしばらく瞬きすらもしなかった。

「進藤、今のは…」
「キスだよ、キス! そんなことも知らないのかよっ」


おれ、なんだかおまえのことがとっても好きみたいだからしたんだと言ったら、やっと塔矢は瞬き
をして、それからふっと小さく笑った。


「そうか…良かった」
「何が?」
「ぼくも―」


ぼくもキミが好きみたいだからと、そして改めて見つめ合うと、互いの顔をそっと撫でた。

電話越しで無い、生の肌の感触は温かくてとても気持ちが良かった。

「もう一回言って」
「何を?」


「おれのこと…好きって」
「キミがもう一度ぼくのことを好きって言ってくれたらね」


そうしたら言ってあげてもいいと軽口を叩き合い、笑ってそれからキスをする。最初はおずおずと、
それから何度も。


ぎこちなくて、でも切なく甘い。それがおれと塔矢が友達から恋人に変わった一番最初の夜だった。


※眠れない夜に、ほんのちょっとでも気を紛らわせることが出来たらいいなと。2011.3.12 しょうこ