情慾
海王に通って居た頃、保健体育で性教育の授業があった。
ごく普通に性交や避妊、出産に関係することを教えられ、DVなどについての映像や資料を見せられ
た。
その頃には父の元に通って来る老獪な棋士達から、嫌という程その手の話は伝授されていたので、
さして驚くこともなく、けれどそれについて真面目に皆とディスカッションしなければならないのが苦痛
だった。
そんなこと、個人として理解していればいいことなのではないかと思っていたからだ。
挙げ句、アンケートや作文などを書かなければいけないのが更に嫌で、〆切間際までぐずぐず延ば
すのが常だった。
『アキラは真面目だなあ、そんな難しく考え無くても、思ったことを素直に書けばいいんだよ』
一度こぼした時、芦原さんに笑いながら言われた。
『思ったことを素直に…ですか』
『そうそう。考えさせられたとか、安易にしてはいけないと思ったとか、授業を受けた時に思ったこと
があったでしょう』
それをそのまま書けばいいんだよと言われて苦笑してしまった。
『そうですね』
でも、もし本当に素直に書いたらどうなるんだろう?
ぼくが思ったことは、どうしても好きならば、しても構わないんじゃないかということと、でも避妊は必
要だということ。
妊娠と出産のリスクを考えずにすることでは無いということと、愛してる人に暴力は振るうべきでは
無いということ。
そして一番に思ったのは、『こんな汚らしいこと、本当に好きな人とでなければしたくない』ということ
だった。
それらはたぶん、授業を行った学校側の望む答えとは微妙に外れているのではないか?
なので親身な兄弟子にも言えず、結局は適当にお茶を濁して済ませたような気がする。
けれどそれから数年後、再び同じような葛藤に悩まされることになるとは思わなかった。
「なに? おまえまだそれ出して無いの」
進藤に手元を見詰められて慌てて隠す。
「見るな、プライベートだぞ」
「プライベートったって、そんなの中学でやるようなアンケートじゃん」
なんで今更やるかなあと進藤がこぼすのも当たり前で、ストレートでは無いものの、それは性に関
するアンケートなのだった。
「…確かに、なんでこんなことに答えなければならないんだろうね」
アンケートの対象は未成年の院生と棋士。
どうも最近、院生間でそういうトラブルがあったらしく、一応の指導をしなければならないという結論
に達したらしい。
「まったく、こんなのバカ正直に答えるヤツなんかいないのになあ」
進藤が笑うのももっともで、中学の時でさえ模範解答的な答えを書くのがほとんどだったのに、更
に成長した今、自分の最も深い所にあることを正直に大人に見せる者がいるのだろうか。
「おれ、適当に書いて出したぜ」
「適当って?」
「経験アリマセン。気軽にそういうことをしてはイケナイと思いマス。みたいな」
「本当に適当だな」
ふうと溜息をついてしまい、諦めて用紙を裏返した。
「なんだよ。おまえなんかそういう優等生っぽいの書くの得意だろう」
「得意じゃないよ。適当って言うのも嫌いだし」
「じゃあ本音で思ってること書いちゃえばいいんだ」
可笑しそうに笑いながら進藤が言った。
「何? もしかして意外にも好きだったら別にヤッちゃってもいいとか思うタイプ?」
「そうだよ」
即座に言った言葉に進藤は非道く驚いたようだった。
「…へえ、マジ意外」
「そんなこと、止めようと思って押さえられるようなものだったら本物じゃないんじゃないのか。でも、
暴力はいけないと思うし、好きな人は大切にした方がいいと思う」
女の人はそれだけじゃ済まないのだから、安易にしてはいけないというのも解ると言ったら目を丸
くされた。
「それに何より、ぼくはあんなこと…」
「なに?」
「あんな…汚らしい行為は、本当に好きな人としかしたくない」
一瞬進藤が黙った。
さすがに引かれたかなと思い、それから次に茶化されるのかなと身構えた。でもそのどちらでも
無く、見れば進藤は非道く真面目な顔で考え込んでいるのだった。
「進藤?」
「あ…いや、なんか結構意外だったって言うか…うん」
おまえすごくリアルに考えているんだなと言われた。そしてしばらくしてからぽつりと言う。
「同じだ」
「え?」
「あんな格好悪いこと、マジで好きなヤツとしかおれも絶対したく無いな」
結ばれることは、決して美しいばかりでは無い。
体の隅々まで晒すことになるし、直接体液に触れるようなことにもなる。
客観的に見て滑稽だと思えるような体勢になることもあるだろうし、時に異常とまで思える行為
に及ぶこともあるんだろう。
それらをひっくるめてぼくは『汚らしい』と言い、彼は『格好悪い』と言った。
でもぼく達はどちらも根本的に同じ認識らしい。
『好きな人としかしたくない』
それは翻せば『好きな人とならそういうことをしてもいい。したい』ということになる。ぼくにとって
も進藤がそう考えていることが意外だった。
「なんだよ、鳩豆」
「キミだってびっくりしたような顔をしたじゃないか」
「うん、まあびっくりしたけどさ」
どっちかっていうと嬉しいびっくりだったなと進藤はぽそっと小さく言った。
「おまえがそう考えてるのって、すごく意外ですごく―」
すごく嬉しかったと、言われて何故か頬が染まった。
もしいつか。
もしも、いつかそういうことをすることがあるなら、ぼくは相手は彼がいい。
彼としか、したくない。
するりと考えてそれから更に赤くなった。
「…どうせ面白味の無いクソ真面目で、そんなこと考えもしないとでも思っていたんだろう」
自嘲気味に言ってみる。
「思ってた。だからすげえ嬉しかった」
悪気無く、即座に返された。
それは一体どういう意味だろうかと考えてみたくなったけれど、ただでさえ赤い頬が更に赤く火
照ってしまいそうだったので、ぼくは彼から思いきり顔を背けると、アンケートをひっくり返し、書
きあぐねていた空欄を埋めることに集中することにしたのだった。
※前にもお題で似たような話を書きましたがご勘弁を。良いとか悪いとかそういうことではなくて。
2011.6.16 しょうこ