あいしてる



ものすごく痛かった。

家に帰って見てみると、袖のボタンは引きちぎれ、捲って見たその下の皮膚には、くっきりと赤く、進藤
の指の痕が残っていた。


「あんなに…強く握るから」

思いきり罵り合い、喧嘩別れをして来たのがほんの一時間程前。でも腕にはまだぴりぴりと生々しい痛
みが残っている。



『本気かよ、おまえ本気で言ってんのかよ』
『ああ本気だとも。もう金輪際キミの顔なんか見たくも無い』


他愛無い恋人同士の喧嘩というには激し過ぎるそれは、大抵は彼の嫉妬か、ぼくの疑惑から起こるこ
とが多い。


今回のそれは後者の方で、いつもの如く耳に入って来たうわさ話にムッとして、冷静に問い質すつもり
が、気がついたら思いきり罵倒してしまっていた。


そもそもが進藤は女性に対する態度が甘い。

好きでも嫌いでも無い相手でもそつなくこなす所があるので、相手に誤解を与えるのだ。

けれどそう言ったら、『それはおまえの方だろう』と真っ向から怒鳴り返され、どちらが悪い、悪く無いと
罵り合っているうちに、どうにも我慢が出来なくなって、つい別れると言ってしまったのだった。



『これで一体何回目だ? おまえ気安くそれ言い過ぎ』

うんざりとしたような顔で進藤に言われ、カッと更に頭に血が上り、ぼくは思わず彼の頬を殴っていた。

『何回も何も関係無い。今度こそ本当にぼくはキミと別れるから』

もう二度と会わない、もう二度と口もきかない。キミの姿なんか見たくも無いと氷のような声で言い放っ
たら進藤の表情がゆっくりと変わった。


『なにそれ』
『言葉通りのことだけど』
『マジでおれと別れるって、おまえそう言ってるわけ?』
『そうだよ。そもそも好きになったこと自体が間違いだったんだ』


言い過ぎだと思っていても口が止まらず、言い放ってしまったら進藤はぼくの右腕を掴んだ。

『訂正しろよ』
『なにを』
『別れるってのと、好きになったのが間違いだって所』


言っていいことと悪いことがある。そのくらいおまえだってわかってんだろうと真正面から睨み付けられ
て一瞬怯んだけれどもう退けなかった。


『わかってる。わかって言っている』
『わかってない。わかってたらそんなこと言えるわけが無い』


おまえ馬鹿だ本当に大馬鹿だと言われて、ふりほどいてその場から立ち去ろうとしたのに、進藤はどう
してもぼくの手を離してはくれなかった。


『離せ、痛い』
『やだ! おまえが訂正するまで離さない』


絶対に絶対におれの方からは離さないからなと、それは腕を離す離さないということだけで無く、暗に自
分からは別れないと彼は言っているのだった。


『勝手なことを言うな。離せ』
『勝手なのはおまえの方だろう!』


散々揉み合い、掴まれたまま殴り合いもして、半泣きのようになりながら、それでも無理矢理ぼくは彼の
指をぼくの腕から引きはがした。


『大嫌いだ、キミなんかこの世で一番大嫌いだ』

そして脱兎の如く逃げ出して、そのまま自分の部屋に帰ったのだった。


進藤は呆然としていたように思う。

追って来るかと思ったけれど、立ち尽くしたまま、黙ってぼくを見送っていた。


「馬鹿力…」

あの時、離すまいとする彼も本気なら逃れようとするぼくもまた本気だった。

その感情のぶつかりあいは血が滲むかと思われる程の痕と痛みだ。

一本一本、指の形がわかるほどのくっきりとした痕は、よほどの力を込めなければこんな風には残らな
い。


「これじゃ…きっと一週間は消えない」

いや、もっとかなと思った時、別れ際の彼の表情を思いだして胸の奥がずきりと痛んだ。

ぼくが本気で彼から逃れようとしたことで、彼は非道く傷ついた顔をしていたのだ。

おまえ、本当におれと別れんの? それでいいのとその瞳は言っていた。

「いいよ、だってもう――」

じりじりと灼かれるような思いをしたり、つまらないことで感情を乱すことはたくさんだった。

「ぼくだって、キミだって…きっとその方が」

いいに決まっていると呟いた時、つきんと握られた痕が痛んだ。

『離さない。おれの方からは絶対に絶対に離さないからな』

怒鳴られた声が耳に蘇り、ぼくは思わず耳を塞ぎそうになってしまった。

「どうしてキミはそんなにぼくに執着するんだ」

どうしてそんなにまでぼくを縛り付けようとするんだと、恨めしく腕の跡を見詰めた時、ふいにそれが逆
であることに気がついた。


「…違う」

執着しているのはぼくの方で、縛り付けたいと思っているのもぼくの方なのだ。

進藤は非道く魅力的な男で、男女の別無く人気がある。才能もあるし、人当たりもいいし、何より皆に
好かれていた。


表面的な人気しか無いぼくとは違い、人間的な魅力がある。

(いつどこの誰に攫われてしまってもおかしくないんだ)

現に彼を狙うあからさまな女性の噂をぼくは何度も耳にしていた。だから怖くて、些細なことでも疑って
彼を責めずにはいられなかった。


失ってしまったらと思うと立っていられない程恐ろしくて、そんな自分の感情を抱えきれなくなったのだ。



「キミが…悪い」

それでもやっぱりキミが悪いと、呟きながら腕をさする。

痺れるような皮膚の痛みは今だにちっとも引かなくて、その激しさはそのまま彼のぼくへの愛情なのだ
ろうと、ぼくはぼんやりと思った。


くっきりと残る指の痕。皮膚を破った爪の傷。

「ごめん…」

思わず言葉がこぼれていた。

「ごめん、進藤」

さすって、さすって、ちっとも無くならない痛み。

確かに彼は自分からぼくを手放すことは無いんだろう。ぼくがどんなに突き放してもバカみたいに率直
にぼくを好きで居続けるんだろう。


そう思ったらたまらなかった。

「――ごめんなさい」

キミはちっとも悪く無い。ぼくが全部悪かったと、痛みに涙をこぼしながら、ぼくは彼に謝ろうと、ポケット
から携帯を取り出すと、切っていた電源を入れたのだった。



※ヒカルは、はっきりと焼き餅を妬きますが、アキラはひっそりと妬くタイプ。好き過ぎてどうにも出来なくなって、
それで自爆するタイプです。2011.9.27