過去
ひたひたと顔を撫でる手にふと目を覚ます。
温かいその指が進藤の指だと気がついて、ああ久しぶりだなとそう思った。
ぼくが彼とそういう間柄になって最初の頃、ぼくは彼が決してぼくより先に寝ないことが不思議
でたまらなかった。
「別に、おまえの気のせいじゃん?」
おれ、フツーに眠っているしと彼は言うけれど、ぼくは彼が眠った後に寝た覚えが一度も無い。
そしてそれを言うならば、彼より先に起きたことも無いのだった。
「だから本当におまえの気のせいだって! おれ、朝は弱いんだしさ」
実際それは本当で、仕事で地方に行く時は、同室の彼をぼくはよく起こしたものだった。
(でも…)
それでも気がつけば、ぼくは彼より先に眠ってしまっているし、朝になれば彼に起こされるのが
常だった。
変だ。
絶対に変だと思いつつ、だからといってそれが自分達の関係に影響するものでは無いと思った
から、ぼくはすぐに気にすることをやめてしまった。
もしかしたらぼくを気遣って彼は起きているのかもしれないし、もし具合が悪くなったらと、先に起
きて様子を見ているのかもしれないからだ。
進藤は子どもだし、とてもそんな気遣いをするようなタイプには見えないけれど、体で触れあうよ
うになってから、ぼくはそれが自分の誤解だったと思い知った。
彼は非道く人を気遣う。
増してやそれが自分にとって大切な相手なら、尚更慎重に臆病な程丁寧に扱うのだと、ぼくは身
を持って知ったのだ。
ひたひたと、顔を触られて目を覚ましたのはそんなある日のことだった。
事に及んで疲れ切り、眠っていたら何かに顔を触られてぼくは目を覚ましたのだった。
(進藤…)
疲れていたので声は出ず、でも彼だとはっきりと解った。
(何をしているんだろう)
ぼんやりと思った時に、進藤がぽつりと呟くのが聞こえた。
「…ちゃんと居る」
良かったと。
それは非道く切なく胸に刺さるような声音で、ぼくは余程飛び起きて、彼にどうしたのだと聞きた
くなった。
でもそうしなかったのは、したら彼はその理由を絶対に言わないような気がしたからだ。
それよりも何より、ぼくが気付いたことを知ったら彼が傷つくと、何故かはっきりとそう思ったの
だ。
進藤にはぼくの知らない何かがある。
あどけなく見えることもあるその顔の奥底に、深い暗い痛みのような物があるのをぼくはうっす
ら知っていた。
だからこれはきっとその痛みに関係していることなんだろう。
「良かった…塔矢」
おれのだと、そしてしばらく触れてから進藤はようやく眠ったのだった。
それからも気をつけて居ればそんなことは多々あって、ぼくはようやく悟ったのだった。
彼は過去に大切な人を失ったのだろうと。
だからぼくとそういうことになった時、失うことが怖くて確かめずには居られないのだ。
眠っている間にぼくが居なくなってしまわないか。
目覚めた時にぼくが消え失せていないか。
だから絶対にぼくが眠るまでは眠れないし、ぼくが起きるより先に起きなければ安らげないの
だと。
それはとても辛いことだとぼくは思った。
「進藤」
「ん?」
「ぼくは―」
いなくならないよと何度のど元まで声が出かかっただろう。
でもぼくは言わずにただ黙って彼の手を握った。
言いたい事が伝わったかどうか知らないけれど、年を重ねるごとに彼は少しずつではあるけれ
ど、ぼくより先に眠るようになったし、以前のように、いぎたなく眠ってぼくに起こされることも多く
なって来た。
安心出来るようになったのだと思ったらとても嬉しかったけれど、それでも時々思い出したように
進藤はぼくを確かめる。
ひたひたと触る指の温かさを感じながらぼくは、ああ、また彼が不安になっているとぼんやりと思
った。
ぼくは夕べ熱を出して非道い有様だったから。
「塔矢…」
ぽつりと呟く声に押され、ぼくは頬に触れる手を握り取った。そして目を閉じたままそっと口づけ
る。
「ぼくは大丈夫だから、進藤」
決してキミを置いて消え失せたりはしないから、だから安心してもいいのだと、そこまで全部言え
たかどうかはわからない。
でも彼は黙ってぎゅっと手を握り返すとぼくの背にぴったり寄り添うようにして、やがて安らかな寝
息をたてて眠り始めたのだった。
※人には、その人の性質を決定づける機会なり出来事なりがあると思っていて、ヒカルにとってはそれが佐為ちゃんとの
出会いと別れであったのだと思う。それは永久にヒカルの中から消える事は無いし苦しむことも多いだろうけれど、だから
こそ学んだことも多く、アキラを一生大切にすると思う。そしてアキラもまたそのことを理解して痛みを共にしながら生きて行
くんだろうと思う 2011.10.23 しょうこ