感応精神病
進藤が死んでしまった。
だからぼくも早く逝かなければならない。
彼の居ない世界に一秒でも居たくは無くて、真夜中のキッチンで包丁やナイフを懸命に探した。
「…無い」
毎日きちんと自炊していて料理に使っているはずなのに、一本の刃物も見つから無くて、ぼくは
一瞬途方に暮れた。
(そうだ、仕舞ってあるんだ)
危ないから一箇所に仕舞っておこうなと、そう言われて食器棚の左の引き出しにまとめて置いた
のを思い出した。けれど…。
「開かない」
ガタガタと音をたて、幾ら引っ張っても引き出しは開かなくて、ぼくは唇を噛んだ。
「どうしてこんな所に鍵なんか…」
これでは彼の所に行けないではないかと、焦れるような気持ちでキッチンを出る。
「いいんだ…刃物が無いなら別の方法があるから」
ベランダから飛び降りても外に出てどこか高い場所を探してもいい。そう思ったのにこれもまた
開かない。
本来の鍵の他にまた別の鍵が幾つもついていてぼくにはそれを開けることが出来ないのだ。
(大丈夫…まだ…まだ他の方法があるから)
ぼくは闇の中で踵を返すとキッチンに戻った。
シンク下の調味料置き場の一番奥にジャムの瓶に入った錠剤がある。それは仕舞った時その
ままにあったのでほっとして取り出すと蓋を開け、じゃらと無造作に掌に薬を出す。
「全部飲めば大丈夫かな…」
もう息が苦しくて、彼が居ない悲しみに胸が引き裂かれそうに痛む。
早く、早く逝かなければと一気にそれを飲み下そうとした時にいきなり手首を掴まれた。
「まだそんな所に隠してあったんだ」
耳元で聞こえたのは間違いようも無い愛しい声で、振り返ると進藤が厳しい顔でぼくを見詰めて
いた。
「いつまでもそんなことやってると、本当におれに会えなくなるぞ」
「キミ…死んだんじゃ…」
「死んで無い。生きてる。それはおまえもよく知ってるだろう」
ああ。
指先から力が抜けて、持っていた薬が床に散らばる。
「そう…だね、そう。キミは死んで無い」
良かったと心の底から安堵して、そのままぼくは崩れ落ちた。
「塔矢、大丈夫。おれはいなくなんないから。絶対におまえを置いてどこかに行ったりしないから」
「うん…」
抱え上げ、その胸の内に抱きしめられながらぼくはぼんやりと彼の肩越しにキッチンを見ていた。
ガラス器も磁器も一つも無い、妙にがらんとした安っぽい内装。
鍋もフライパンも小さな軽いものが一つずつだけあって、いつの間にかガスだったはずがIH式の
コンロに変わっている。
(そうか…)
それは全て彼がぼくのためにそうしたのだったと思い出した。
繰り返し死を選ぼうとするぼくを救うために刃物を鍵のかかる引き出しに仕舞ったのも彼だった。
「ごめん…心配ばかりかけて」
彼が好きで、好きすぎて、もしも失ったらと恐れるようになった。
幸福の中の小さな恐れは染みのように広がって、いつしかぼくは心を蝕まれてしまったのだった。
(そう、全てぼくの妄想なんだ)
「ごめん、本当に」
「いいんだって心配すんのは。ただおれはおまえがいなくなったら嫌だから」
だからもうなるべく怖い夢は見ないでくれと囁かれ、ぼくは優しい胸に抱かれながら、そっと小さく頷
いたのだった。
※暗い話でゴメンナサイ。これ、嫌いな人は嫌いなのではないかな。嫌な気持ちになったらごめんなさいです。
2012.6.4 しょうこ