今でもぼくは死にそうになる
‐sleeping murder‐





桜の中のぼくはいつも立ち尽くして居て、閉ざされた窓をじっと見ている。

ガラス一枚隔てた向こうには皺の寄ったカーテンがあって、更にその向こうに進藤が居るのが解る。

『どうして』

どうしてぼくと打ってくれないのか。それどころか顔すら見せてくれない。

焦がれて、焦がれて、焦がれて、やっと会いに来たというのに、どうして彼はぼくを拒むのか。

それが辛くて胸元を押さえ、それでも耐えられなくて俯いた。

『進藤』

『進藤』

『進藤』

いくら呼んでも届かない。

(キミもこんなふうに、誰かへの痛みに立ち尽くすことがあるんだろうか?)

あったとしても、きっとその相手はぼくでは無い。そのことが悲しくてぼくは一人涙をこぼした。




周期的に見る夢というものがある。

それは何かきっかけがあるというわけでは無く、なのにきっちりと数ヶ月おきに眠りに訪れて、ぼくの
気持ちをかき乱して目を覚まさせる。


この時も、気がついたらぼくはのど元を押さえていた。両の手で絞めるように押さえていたのは、そう
しなければ嗚咽が漏れてしまうと思ったからで、でも絞めすぎて爪が皮膚に食い込んでいた。


その痛みで目を覚ましたのである。

真っ暗な部屋の中、視界が無い分まだ夢の続きのようで動悸が激しい。

見開いた目を閉じることも忘れ、しばらく身じろぎもせずに居た後でようやく深く息を吐いた。

「…良かった」

夢だ。

現実じゃ無い。またあの夢を見ただけのことだと自分で自分に言い聞かせながら、張り付いたような手
をそっと外して横を見る。


「進藤…」

さっき夢の中で見たのとは別の、穏やかな顔をして大人びた顔立ちの進藤が居る。

「ん? 何?」

揺さぶるとぼんやりと薄目が開く。彼はどんなに深く眠っていてもぼくが話しかけると目を覚ましてちゃん
と返事をしてくれる。


「また夢を見たんだ。とても怖い」
「そっか―」


触れ合った箇所からぼくの体の震えが伝わるのか、一旦眉を寄せてから、ぐるりと体の向きを変える。
そうして向き合った形になってから腕を伸ばしてぼくを引き寄せるようにした。


「大丈夫。おれが居るから」
「―うん」
「怖く無い。ここに居るから」


おまえの側におれが居る。だからもう何も怖いことは無いと、言ってそれからまたすうと小さく寝息をたて
た。


「でも、進藤、怖いんだ」
「…へーき」


回された手がそっと優しく背中を撫でる。

「おれがいるから、へーきだって」
「ん―――」


進藤の手はとても温かくて、指先からぼくへの愛情が伝わって来る。
撫でられるそれだけで随分気持ちが収まって、ぼくは静かに息を吐いた。


「ありがとう。もう大丈夫だと思う」
「うん―」


でも、ぼくを離さない。半分眠ってしまっているんだろうに、彼はぼくの背中を撫でると、寝言のようにまた
「大丈夫」と呟いた。




初めて彼の隣で夢を見た時、ぼくは非道く泣いてしまった。

過去の辛さがリアルに蘇って来て、目が覚めても涙が止らず、声をあげて泣いてしまった。

『塔矢? どうした?』

大丈夫かと、泣き声に目を覚ました進藤は、しゃくりあげるぼくの姿に驚いて、慌てふためきながらそれで
もなんとか慰めようとした。


『夢を…見たんだ』
『夢? どんなの?』
『怖い夢―とても』


けれどぼくは結局、見た夢の内容を彼に話すことは出来なかった。

話せばそれは彼を責めることになるし、今更そんな昔のことで泣いている自分を恥ずかしいとも思ったか
らだ。


あの時、桜の中でぼくは進藤に拒絶された。きっぱりと取りつく島も無く、カーテンを閉められた。


『あの時はまだおまえに会えなかったんだ』

ずっと後になってから進藤に聞いたことがある。あの時何故ぼくに会ってくれなかったのかと。

『もっと強くなってからじゃなきゃ会えないって思ってた』

だから追い返してしまったのだと進藤は申し訳無さそうな顔をしてぼくを見た。

『あん時のおまえの顔、今でも覚えてるよ。本当に非道いことをしたと思ってる』

ごめんなと謝られて、それで気は済んだ筈だった。

完璧に納得出来るわけでは無いけれど、そういう理由だったのかと、何も知らずに居た時よりはずっと胸
の内がすっきりとした。


けれど心は受けた傷を忘れ無い。

彼と普通に会えるようになって、当たり前のように打つようになって、今は恋人となったというのに、それで
も夢は繰り返される。




『進藤!』

葉瀬中の理科室の前は、桜色に霞んでいた。

校舎を囲むように植えられた桜は満開で、風に吹かれるたび、はらはらと雪のように、淡い色の花びらが
一斉に散って綺麗だった。


その花に遮られるようにぼくと彼は向かい合っていて、やがて彼がカーテンを引く。

何度思い出しても、そこで胸が抉られる。


「…とーや」

光景を思い出し、身を固くした時に再び進藤の声が言った。

「怖く無いよ。へーき」

ここの所手合い続きで進藤はとても疲れている。朝までぐっすり眠りたかっただろうに、それでもぼくを気遣
ってこうして完全には眠らずに居る。


「大丈夫。おれが…居るから」
「―うん」


何度も何度も繰り返し、夢を見るたびぼくは彼の隣で泣いた。

もう泣く必要など無いのにと思いながら、それでも泣かずにはいられなくて子どものようにしゃくりあげた。

もうこれで何十回目の涙だろうか?

「あいしてる」

ふいにぽつんと進藤が言った。

「あいしてるから、大丈夫だって」

そしてきゅっとぼくの体を抱きしめた。

「とーやは、おれのこと好き?」

こんなにも愛されているのに、それでも過去が忘れられない。

愛されているからこそ忘れられないのだと思った。

この優しい声と手が、いつまたぼくを冷酷に突き放すのだろうかと、それが怖くてぼくは夢を見続けるんだ
ろう。


「とーや?」
「…好きだよ」


ぼくもキミを愛してると答えると進藤はにっこりと笑った。子どもみたいな笑みだった。

(愛してるよ、キミを昔からずっと)

呟いてぼくは彼の胸に顔を埋めた。

すっぽりと包まれたそこは温かい。優しくて心地良くて天国だと思った。

(でも)

同時にいつでも地獄にもなり得る。そう思いながらぼくは夢の続きのように胸元を押さえて眠ったのだった。


※トラウマということで。どうして拒まれたのか、アキラはさっぱり解らなかったと思うんですよねー。
ヒカルにはどうしてアキラに話せない部分というのがあるわけで、だからいつまでも本当には解らない。
忘れたくても忘れられない傷なんだと思います。2012.7.4. しょうこ