sleeping murder
物心ついた時、父は既に有名だったし、ぼくの家は端から見てわかるほど大きな家だった。
だからと言って金持ちだということにはならないのだけれど、そう思われることは必須で、何度も危ない目に
遭ったことがある。
それだけでは無く、ぼくは母にとても似ていて小さな頃は本当に女の子だと思われた。それもあってよからぬ
輩に声をかけられることも多かった。
「あまりたびたび連れ去られそうになったので、小学校の中学年くらいまではお父さんのお弟子さんが送り迎
えをしてくれたから、そういうことは無くなったんだけどね」
進藤と犯罪関係のテレビを観ていて、誘拐の所で思い出して話した。
「それ、緒方センセーとか芦原さんとか?」
「うん。緒方さん達は多かったかな。でも他のお弟子さん達にも面倒見てもらったよ」
もちろんぼく自身、父や母から耳にたこが出来るほど注意するように言われていた。
「我ながら可愛げの無い子供だったからね。絶対に知らない人には付いて行かなかったし、知っている人で
も父や母から保証して貰わないと付いて行かなかったから実際に被害に遭ったことは無い―ということになっ
ている」
えっと進藤が顔を上げた。
「なんだよ、それどういうことだよ」
急に真面目な顔になって寄りかかっていたソファから立ち上がり、ローテーブルの前にいたぼくの隣にやって
来る。
「まさか、なんかされたことあんの」
進藤の顔には心配と不安とそして嫉妬が入り交じっている。
「うん、一度だけ、たった一人だけに付いて行ってしまったことがある」
「ダメじゃん! 何やってんだよおまえ!」
20年近く前のことなのに進藤は真剣に怒った顔になってしまった。
「何されたんだよ、どこで、いつ」
「…小学校の低学年だったかな。あの日はたまたまお弟子さんが都合がつかなくて、ぼく一人で学校から帰っ
た。そんな日はそれ一日きりだったんだけど、その時にね、声をかけてきた人がいた」
小学生のぼくから見たらかなり背の高いその人は人懐こい笑顔でぼくの前に立った。
『こんちは。もしかして塔矢…アキラくん?』
馴れ馴れしい呼びかけは普通なら不愉快に感じるはずなのに、何故かカケラもそうは思わなかった。
『はい、そうですが、あなたは誰ですか?』
『おれ…は、うーん、言ってもわかんないんじゃないかな』
困ったような顔をして、でも愛しそうにぼくを見た。
『あのね、おれも碁を打ってる。たぶんそのうち知り合うと思うよ』
声がとても耳に心地良くて、初めて会った人なのに何故かそんな気持ちがしなかった。とてもよく知っているよ
うな、とても親しい人のようなそんな気持ちになったのだ。
『少しだけ、おれと話をしない?』
手を差し出されて躊躇いなく自分の手を重ねた。きゅっと握ったその人の手はとても暖かかくて優しかった。
「って、行っちゃダメだろ」
進藤がほとんど悲鳴のように言うのでぼくはやんわりと笑った。
「うん、まあそうなんだけどね、何故かその人にだけは警戒心が沸かなくてね」
「碁をやってるって言われたからだろ。おまえ、碁のことちらつかせればホイホイ付いて行っちゃうんだからマジ
ダメだって!」
そして一拍おいてから、非道く言いにくそうに、でも聞きたくてたまらなさそうに進藤は口を開いた。
「それで…その後どうしたんだよ」
「碁の話をしたかな」
「それだけ? なんもされなかった?」
今や嫉妬と怒りではちきれそうになっている進藤にぼくは苦笑まじりの笑みを向けた。
「それは、ぼくよりもキミがよく知ってるんじゃないかな」
「え? おれ?」
きょとんと、進藤は本当にハトが豆鉄砲をくらったような顔になった。
「うん。キミが。キミ、さっきうたたねしていただろう。それで起きてから変な夢を見たって呟いてたよね」
言った途端進藤の顔からさっと血の気が引いた。
「や、あれはその…ただの、本当に夢だし」
「でもね、ぼくはその夢がどんな夢だったかとても聞きたい。キミが着ているそのセーター、先週買って来たもの
だったよね。そして今日初めてそれを下ろした」
「…うん」
「ぼくが昔出会ったその人はそれと全く同じものを着ていたよ」
「ごっ―」
「謝らなくていいよ、合意の上だもの。でもぼくは、果たしてぼくが昔経験したことと、キミが今日見た夢が共通す
るのかとても知りたい」
話してくれるよねと言った瞬間、進藤は半泣きになりながら土下座して、そして改めて夢の中で「ぼく」にしたこと
を語ってくれたのだった。
※ナニがあったのかはご想像におまかせします。2013.2.9 しょうこ