二重拘束
「おまえ、面が割れてるかもしれないから、下向いとけよ」
そう言われて、進藤の後ろで俯いた。
「あのー…スミマセン」
一般のホテルのそれとは違う、お互いの顔がよく見えない受付カウンター。
そこで進藤は淀みなく相手とやり取りをしている。
「二階だってさ。行こう」
しばらくして振り返るのに黙って頷く。
『とにかく喋るな』
『スーツ姿の女なんかいないんだから、その上着ちゃんと着とけ』
『いいな、とにかくおれに全部任せて喋るなよ?』
しつこいくらい念を押されて入ったのは所謂ラブホテルというやつだ。
地方の仕事に行き、それも相当交通の便の悪い所であるにも関わらず、ぼくと彼はついうっかりと最
終電車の時間を間違えた。
東京ならまだ充分に余裕のある時間のはずなのに、その無人駅は明りが消え、もちろんバスも無けれ
ばロータリーにタクシーなんてものは停まっていない。
「…マジかよ」
事態を把握した後、進藤は大きく溜息をついてぼくを見た。
「おまえ明日、なんかある?」
「いや、キミは?」
「おれも無い。だからこんな地方の仕事を受けたんだけどさ」
こんなことになるとは思わなかったなあとぼやくように言った。
「最悪、駅のベンチで寝ることになるのかな…」
「うーん、そうなるかもだけど、でもまだ夜は寒いよなあ」
そういえばここに来る途中でホテルみたいなモノを見たという彼の記憶を頼りに、人通りの無い、のど
かな道を30分ほど引き返した所でぼく達はラブホテルに到着したのだった。
「まあ…ホテルって言えばホテルだけど…」
「ここに泊る気か?」
どうしてこんな所にこんなモノがあるのか不思議な、田んぼの中にぽつんと建った城のような建物。東
京近辺ではとんと見なくなった、こてこての、えげつない仕様だった。
「…うん、だってまあ、他に無いし仕方ナイじゃん?」
苦笑したように言ってから、進藤はふいにぼくをじっと見つめた。
上から下まで遠慮無く見る、その不躾な視線に何故か頬が赤くなる。
「なんだ?」
「いや、おまえ女顔だから平気だと思うんだけど、でも男だってバレたらマズイからさ」
とにかくこれを着ておけと、進藤は言って自分が着ていたコートを脱ぐとぼくに無理矢理着せた。
「どうしてこんなもの」
「男同士だと泊めてくんないことが多いんだよ。だから文句言わずに黙って着とけ!」
その日ぼくはスーツを着ていたので、確かにこれではどう見ても男女には思われないだろう。
(だからってそんな)
あれこれ指図しなくてもいいのにと、胸の中では不平を言いながら、ぼくは進藤の後ろに控えめにつ
いた。
そして無事に何事も無く、泊まれることになったのである。
「お、中は結構まともじゃん」
渡された鍵で一歩中に踏み込んだ途端、進藤は明るい声で言った。
「良かった。おれ、回るベッドとかだったらどうしようかと思ったからさぁ」
確かに部屋は外観から想像したよりまともだった。でも奥にどんと置かれているのは大きなダブルベッ
ドで、その隣に設えてあるバスルームは壁が透けて中が丸見えだった。
「…こんな所に泊るのか」
世も末だ。もしお父さんやお母さんが知ったら卒倒モノだろう。けれど進藤はさして気にもとめずにさっ
さとスーツを脱いでハンガーにかけると、「おまえも脱いだら?」とぼくに言った。
「ぼくは…だって…」
進藤と二人でホテルに泊るなんていつものことだ。大抵ぼく達は地方の仕事に行く時は同室に振り分
けられるし、そうでなくても互いの家に泊ることもある。
今更意識するのもおかしなものだが、でも、ベッドの枕元にある避妊具や、見たく無くても目に入る素
通しの風呂になんだか落着かない気持ちになった。
「だって、こんな部屋…」
「なんだ? おれにムラムラしちゃった?」
にっこりと邪気無く言われて思わず殴った。
「誰が! ただちょっと落着かないってそう言おうとしただけだ!」
「うん、まあな。ヤルためだけの部屋だもんなあ」
しみじみとした物言いにドキリとする。
「でも、気にしなければいいんじゃん? おれ先にシャワー浴びて来るからおまえテレビでも見てれば」
「あ…ああ、うん」
進藤はあくまで自然体で、言うなりさっさと下着も脱ぎ捨てて素通しの風呂に入って入った。
にこにこ笑って手を振られて、ぼくは赤くなると思い切り顔を逸らしてテレビを点けた。でも、何も目に
入って来ない。
ぼんやりとニュースを眺めているうちに進藤が出てきて、仕方なくぼくも風呂に入った。
「あ、なんか入浴剤あったから使ってみれば?」
疲れているはずだから温まるぜと声をかけられて黙って頷く。
進藤のことだから、きっとにやにやと人の悪い顔でこちらを眺めているんだろうなと思ったのに、見れば
彼はぼくに背を向けて、さっきまでぼくが見ていたニュースを見ていて一度もこちらを振り返らなかった。
なんとなく腹が立って、わざとゆっくり体を洗って、髪も洗い、言われた通り入浴剤も使って気持ちよく風
呂に浸かって温まった。
そして風呂から出てみたら、進藤は大きすぎるベッドの左端で丸まって眠ってしまっていたのだった。
「…進藤」
声をかけても返事もしない。
「眠ってしまったのか? 進藤」
再び声をかけても微動だにしないのに、ぼくは溜息をつくと部屋の明りを暗くした。
ベッドの反対側に座り、髪を乾かし、そしてしばらく眠っている彼の背中を眺めてからゆっくりと自分も寝
そべった。
空調が効いているからか、ベッドにかかっていたのは実に薄い掛け布団が一枚で、でも別段寒いとは思
わなかった。
「進藤、明日は何時に起きればいいんだ?」
こういう所のチェックアウトが解らなくて声をかけると眠そうな声が「別に何時でもいいじゃん」と言った。
「もし時間越えても延滞料金払えばいいだけだから」
「ふうん」
薄い闇の中でぼくは釈然としない気持ちで彼に背中を向けた。
何かしてくるかなと思ったけれど、一向にその気配は無い。
なんとなく。
本当になんとなく、ぼくと彼は同じ気持ちなのではないかなと思うことが多々あって、でもこんなことになっ
ても何事も起きないなら、それは気のせいだったのだなと少しだけ悲しい気持ちになった。
「進藤…」
「もう寝ろよ、おまえ。怖いんなら手ぇ握っててやるから」
「怖い?」
「よく言うじゃん、こういう古いラブホってオバケが出るって」
「知らないよ。それよりぼくが怖いのは…」
キミが妙にこういう所に詳しいことだとついぽろりと言ってしまったら「一般常識」と切り捨てられた。
「おまえが何も知らなさ過ぎるんだろ」
天然培養めと言われてムッとした。
「そんなことは無い」
「無くてもあってもいいんだよ。とにかくもう寝ろ」
普段の十倍素っ気ないのは彼も疲れているからなんだろう。仕方なくぼくも口を噤むと目を閉じた。
体温を感じたのは少しうとうととしかかった時で、気がつくと進藤がぼくのすぐ側に寄って来ていた。
「進…」
「温かい」
ぽつりと言われて手が触れて、ぼくの肌が震えた。
「もしおれが――」
聞きたくて、でも聞くのが怖くて、知らず体が彼から離れる。その瞬間、進藤が苦笑したのが気配で解っ
た。
「おやすみ、塔矢」
そしてぼくから離れると、それっきりもう二度と近付いて来ることは無かった。
まんじりともしないで明かした夜。
朝になると進藤は暢気な顔でテレビを点けて、それからシャワーを浴びに行った。
ぼくがまだ意地になって目を閉じたままでいるのを気にした風も無く、一人で着替えを済ませ、そして無
遠慮にぼくを揺り起こした。
「おまえそろそろ起きろよ。延長しても別にいいけど、おれいい加減腹減った」
ああそうかいと腹立たしく目を開き、ぼくは彼をじっと睨んだ。
「…おはよう」
「おはよう」
「よく眠れたか?」
「うん、もうぐっすり。おまえは?」
「お陰様でよく眠れたよ」
「そっか、だったらやっぱり泊って良かったな」
駅のベンチじゃ寒すぎるもんなあと、脳天気な言いぐさが気に触った。
「そうだね、こんな所でもベッドで寝る方が体は楽だからね」
そしてむっとしたままシャワーを浴びて、そしてむっとしたままスーツを着た。
「あ、一応上着羽織っていけよ」
「わかってる」
つっけんどんに答えるのを進藤はまったく気にも止めず、フロントに電話して退室を告げた。
「塔矢」
呼び止められたのは部屋を出る直前だった。
「何?」
不機嫌な顔のまま振り返った瞬間抱きしめられた。
「進―」
「おまえ夕べはヤバかったんだからな。もし次があったら今度は容赦しないから」
「キミ、何を―」
言っているんだと言い終わらないうちに無理矢理上を向かされて、深く深く口づけられた。
「や…」
やめてと胸を強く押すと、進藤はそれでもぼくを離さず、さんざん口の中を貪ってからようやく離した。
「おまえ、絶対次は頭から食うから」
「バ――」
だから次までに心の準備をしておけよと言われてカッと顔が赤くなった。
なんだそうかやはり。
彼とぼくは同じ気持ちだったということなのか。
そして彼は夕べ、あの時にぼくを抱こうとしていたのだ。
(でも、ぼくが引いたから止めた)
そうか、そうだったのかと、今更ながらに恥ずかしさといたたまれなさに襲われた。
「…キミが何を言っているのかわからない」
「そうか? それなら別にいいけどさ」
それでも絶対次は食う。泣いても謝っても絶対逃してなんかやらないんだからと自信満々そう言われ、
ぼくはなんとなくライオンの前で立ちすくむ、兎になったような気持ちになったのだった。
※そして宣言通りに次の泊り仕事で食われるアキラ。2013.3.17 しょうこ それでは春コミに行ってきます。