情欲




どこからどこまでが故意だったのだろうか。

土砂降りの中、キツくヒカルに抱きしめられながらアキラは頭の隅で考えていた。


そもそもが数日前の天気予報からして当日の天気には疑問があった。


『え? 雨? そんなもんその日になってみないと解らないし、ちょっとくらいの雨なら中止になんかならないし』


近郊で行われる花火大会は確かに余程のことが無い限り開催される。


『でも非道い雨だと座る場所も無いし、足下も悪くて見ていられないんじゃないか?』

『別に立ち見で構わないし、それに降水確率40パーセントだぜ? そんな足下ぐしゃぐしゃになんかならない
って』



それを信じたわけでは無いけれど、天候を理由に花火見物を断るのも男らしく無いかなとアキラは仕方無く行
くことを承諾したのだった。


実際当日の天気は、直前まではそんなに悪くは無かった。

朝からどんよりと曇り、時折ぱらぱらと雨が落ちることはあったけれど、その程度なら傘の必要は無かったし、
花火見物にも支障は無さそうだった。



(あんなにしつこく渋って悪かったかな)


そう思いつつ待ち合わせ場所の駅に着いて、打ち上げ会場間近の河川の土手にやって来た時に天気はいき
なり悪転した。


それまでの長い曇りが嘘のように、バケツをひっくり返したような大雨になったのだ。


「進藤…さすがにこれではやらないんじゃないか」

「んー、でも中止のアナウンス流れないし」


ヒカルは胸ポケットからスマホを取り出して公式のツイッターをチェックし始めたけれど、それにも中止の旨は
出ていないと言う。



「『都内に大雨警報が発令されました。足下が滑りやすくなりますので注意しましょう』ってさ」

「それだけ?」

「うん、それだけ」


アキラは呆れてしまったが、実際非道い雨にも関わらず人はどんどんやって来る。


二人は最初、雨を避けて高架下に避難していたけれど、それでは花火が見えないとヒカルはアキラの腕を掴
んで河川敷に誘い出した。



「傘、二つだと歩きにくいから一つで行こうぜ」


こんな雨の中、男同士で相合い傘していても誰も見てはいないからと自分の傘をたたみ、アキラの傘を半ば
強引に持つ。


確かにヒカルの言う通りこんな天気では誰も人のことなど見てはいない。


「この雨、少しは上がって来るんだろうか」


どんどん非道くなる雨脚に不安になってアキラが言うと、ヒカルは再びスマホを取り出して片手で器用に操作
すると雨雲レーダーとやらを確認した。



「うーん、どうだろうな。こんな非道いのこの辺りだけみたいだし、もう少し経てばマシになるんじゃねーの」


野球場になっているから水はけが良いのではないかと期待した河川敷のグラウンドは、キャパを越えてしまっ
たのか残念な感じにぬかるんでいる。


最初から汚れても良いような靴しか履いて来なかったけれど、アキラの靴もヒカルのスニーカーも既に泥にま
みれてしまっている。


雨も真っ直ぐに降っているわけでは無いので背中がしっとりと湿って来ていて、大変な所に来てしまったなとアキ
ラはひっそりとため息をついた。


それをぐっと抱き寄せて、ヒカルが前方をそっと指さす。


「すげえよなあ、こんな天気なのに浴衣で来てる子があんなにいるよ」


見れば河川敷には綺麗に浴衣を着こなした女の子達が何人も立って居た。

天気が悪いのは最初から解っているはずなのに、ざっと見て半数以上の女の子がきちんと浴衣を着て髪をセ
ットして来ているのだ。



「こんな天気でも恋人の前では絶対手を抜かないんだから、女の子のああいう所、ほんとマジ尊敬するなあ」


ヒカルは別に当て擦ったわけでは無かったが、アキラは軽くかちんと来た。

確かに女の子達の根性は素晴らしい。でも自分だって浴衣こそは着ていないけれどヒカルに誘われたから、こ
んな雨の中断らずに出て来たのだ。



「…そんなに浴衣が好きなら言えば良かったじゃないか」

「え? 言ったら着てきてくれたん?」


ヒカルの笑顔は屈託無くて、アキラは冗談じゃないとは言えなくなった。


「それは…もちろん。言ってくれたなら着て来たよ」

「ほんと? だったら来年絶対な!」


何故か来年も来ることになり、その時には浴衣を着て来ることになってしまった。


「それにしてもマジですげえ降りだなあ」


見上げるヒカルにつられるようにアキラも薄暗い空を見上げた。


「こんな非道い天気になるなんて、一体だれの行いが悪かったんだろうな」


脳天気な言い様が気にくわない。


「キミじゃないのか」

「おれじゃねーよ。清廉潔白、真面目一筋、囲碁一筋デスから」

「どうだか」


ため息まじりにアキラが言った時、河川敷のあちこちに設置されたスピーカーが突然ハウリングのような音
をたて始めた。



「やっぱり中止になったんじゃないか?」

「えー? まさか」


花火大会中止のアナウンスが流れることを半ば期待してアキラは待った。けれど次に流れて来たのは女性
のはっきりとしたこんな言葉だった。



『雨の中、ご来場頂き誠にありがとうございます。ただ今より第××回○○区花火大会を開催致します』


わっと雨音をかき消すような歓声が周囲から上がった。


(信じられない)


雨脚は激しくなる一方なのに、花火大会は開催されるのだ。


「良かったな、中止にならなくて」


耳元にヒカルが囁いたけれど、アキラは素直にうなずけなかった。いつの間にやらすっかり体が冷えてしま
っていて、花火などどうでも良くなってしまっていたからだ。



(なんでみんなそんなに無駄に元気なんだ)


雨を物ともせず、皆が大声でカウントダウンする様をアキラはげんなりとした気持ちで見つめた。


『五、四、三、二、――』


一とカウントし終わった瞬間、ぱっと目の前が明るくなって幾筋もの光が雨空を駆け上がって行った。

そして間を置かず大きな光の華が咲く。

ドン、ドンドンドン。

音が空気を震わせて、体の中までも震わせた。

確かに美しい。美しいけれど――――。


(狂気の沙汰だ)


呆然とアキラが見上げていると、唐突にヒカルが早口で言った。


「塔矢、悪いけどちょっと傘持っててくんない?」

「え?」


いいけれどと頷いてアキラが傘をヒカルの手から受け取ると、その刹那、アキラはヒカルにしっかりと抱きし
められていた。



「進――」


驚きのあまりアキラは傘を取り落としそうになり慌てて握り直す。

暗いとはいえ屋外である。周りにはたくさん人が居て、花火が打ち上がれば昼のように明るくなる。

その中をヒカルは人目を全く気にした風も無く、乱暴な仕草でアキラの体を掻き抱いたのだ。

その上、抗議しようとしたのを塞ぐようにアキラの唇に自分の唇を重ねて来た。


「ん…」


傘に隠れて密やかにするようなキスでは無い。

ヒカルの指はアキラの髪に差し込まれ、逆の手はしっかりと腰に回されている。

濃厚な、それは行為に直結するような本格的なキスだった。


「ん…や…」


見られたらと慌てるアキラに構わずに、ヒカルは何度も何度も角度を変えてアキラの唇を貪り続けた。

舌を差し込み強く絡め、アキラはもう息も出来ない。

涙目で睨み付けようとしても間近で自分を覗き込むヒカルの目は可笑しそうに笑っている。


(非道い)


非道すぎると胸板を肘で押すとようやく僅かに体が離れた。


「こんな所でっ」


咳き込むようにアキラが言うのにヒカルは悪びれも無くこう言って返して来た。


「誰もおれ達なんか見て無いって。この雨でこの音で、みんな上ばっかり見てんのに」


気がつくヤツなんか一人も居ないと、確かにヒカルの言う通り誰も二人を気にする者は居なかった。

それを良いことにヒカルは再びアキラの唇を塞いでしまう。


「しん―やめっ」


傘を持たされてしまったがために片腕しか使えなくてアキラは本気で抵抗出来ない。

傘など放り出してしまえばいいようなものだが、こんな人混みでそんなことをすれば人に当たって怪我をさせ
てしまうかもしれない。


そう思って手を離せないアキラのことをヒカルはよく解っていて持たせたのだった。

とんでも無い悪党だった。


「しんど―う」


音がするほど激しく唇を吸って、それからヒカルはアキラを離した。

手放さなかったと言っても傘は乱れて激しく動き、ヒカルもアキラも頭からぐっしょり濡れてしまっている。


「キミのせいでこんなに濡れた…」


情けない気持ちでアキラが言うのにヒカルはニヤっと笑みを浮かべて言った。


「もっと…濡らしてやるよ。全身」


もはやヒカルは花火など見ていない。いや、最初から見るつもりは無かったのかもしれない。


「その土手越えた向こうにホテルがあるんだ」


そこに行ってキスの続きをしないかと囁かれてアキラの冷えた頬は熱くなった。

相変わらず雨は激しく降って、けれど花火は競うように上がっている。

ぼんやりと見上げた先には花火の光に負けない程けばけばしく光るラブホテルのネオンが在って、それが
非道く生々しかった。



「塔矢?」


甘い声で促され、それに抵抗出来ない自分を感じながら、今日のこれは一体どこからどこまでが故意で仕
組まれたことだったのだろうかとアキラはぼんやり考えたのだった。




※いやもうね、こんな妄想でもしていなければやっていられないような雨だったんですよ。2014.7.20 しょうこ