生まれついた夜の深さを
目を覚ますと、どこか見晴らしの良い山の途中の展望台に居た。
「あ、起きた? コーヒー買ってあるけど飲む?」
すぐ隣、運転席でスタバのカップに口をつけていた進藤は、ぼくの気配に顔を向けて優しい声で言った。
「眠いならまだ寝てていいよ。今日の目的地もうちょっと先だし」
「…今、何時?」
「7時半くらいかなあ。だから全然早いし」
「…寝る」
ぼそっと呟いて再び目を閉じるぼくの頭をそっと進藤の手が撫でていった。
「おやすみ。ごめんな、起こして」
一緒に暮らしているというのに、年を重ね、互いに強くなるに従ってぼく達は滅多に一緒にどこかに出掛ける
ということが出来なくなって行った。
都内のどこか、食事や夜景を見に行くぐらいは出来ても旅行などは出来ない。日帰りでどこかというのも翌日
にどちらかに手合いがあればコンディションを考えて避けざるを得なくなって来て、そのことで随分ぼく達はケ
ンカをした。
『たまの休みだろ。どこか行きたいとか思わないのかよ』
『思うけど、無理をして翌日に響くぐらいならぼくは家でゆっくりしていたい』
元々インドアなぼくと違って進藤はアクティブだ。テレビで見た場所、人に教えて貰った場所、行きたい所が沢
山あって、もちろんそれにはぼくも一緒にと思うのだった。
『そりゃ、出掛けりゃ疲れるけど気分転換だってしたくなるじゃん』
『だったら一人でやって来い。それが嫌ならそれこそたまにはぼくの方にキミの予定を合わせてくれ』
『合わせてもおまえ嫌だって言うじゃんか!』
馬鹿馬鹿しいと言えばそれまでだがこれが結構深刻で、一時はこのために別れる別れないまで話が拗れてし
まったこともあったのだ。
『わかった! もういいよ!』
捨て台詞と共に彼がどうしたかというと、ぼくとの関係を解消するのでは無く教習所に通うようになった。
手合いの合間に通うのはかなり大変だっただろうと思うのに程なく彼は免許を手に入れ、ついでに新車も購入
してぼくをドライブに誘うようになったのである。
『今から? 泊まりで? 何を考えているんだ。ぼくは今日名古屋から帰って来たばかりで―』
『うん。だからずっと寝たままでいいよ。おれが勝手に運転するから、おまえはずっと助手席で眠っていていい』
えっと思った。
『もちろん帰りも同じ。おまえは寝たままでいいからさ、だから昼飯とか、そういうのだけちょっと目ぇ覚まして付
き合ってよ』
あ、もちろんシャワー浴びて着替えて一息ついてからでいいからと、こちらの最低要求もちゃんと考慮して言っ
て来る。
『…本当に往復眠ったままでいいなら』
『構わない。おまえが付き合ってくれるだけでおれはいいから』
そしてこんなドライブが日々の折々に挟まれることになったのだった。
大抵は夜出発して、昼頃に目的地に着く。アクティビティなことはしないで景色を楽しんだり、日帰り温泉に入る
くらいで短い観光を楽しむと早々に帰路について再び夜自宅に到着する。
そのために進藤は「寝心地がいいシートの車」を厳選したらしい。車内は広く、足下も広々としているので実際シ
ートを倒して眠っていても体が痛くなったことは無い。
その上、枕とタオルケットまで用意してくれているので、ぼくは遠慮も何も無く往復を寝汚く眠って過ごした。
時折、薄く意識が戻った時に進藤の指がぼくを優しく撫でるのを感じることもあれば、寝顔を眺めているらしい
視線を覚えることもある。
こんなドライブで楽しいのかと思うこともあるけれど、進藤は満足しているのだと言う。
次に目を覚ました時、窓の外には海が広がっていた。
「…山に居たのに」
半分寝ぼけながら呟くと、少し笑ったような声で進藤が言った。
「山を越えて海まで来たんだって」
そうしてから改めてぼくに聞いた。
「なんか飲む? 食べる?」
「さっき言っていたコーヒー。それともし何か軽く食べられるものがあるなら」
シートを起こして言うと、進藤は満面の笑顔でぼくにサーモマグを手渡した。
「カフェオレと、コールドチキンのサンドウィッチがあるよ。それでも重いなら、もうちょっと行った先にコンビニが
あるけど」
「いいよ、それをいただく」
ありがとうと、マグとサンドを受け取って、ぼくは朝の海を眺めながらゆっくりと朝食を食べた。
「ここが目的地なのか?」
「ん? いや、もうちょっと先。遊覧船に乗れる港があって、そこの海鮮丼が美味いって言うからさ」
「そうか」
「また寝てていいよ」
「いや、もう目が醒めたから起きている」
ぼくが言うと進藤は嬉しそうな顔になって「わかった」と言った。
「その近くにガラス細工の工房があるみたいだからそこを見たら帰ろう」
「…うん」
寝起きの体に熱いコーヒーが染みて行く。
「キミ、ちゃんと眠ったのか?」
「あー、寝た寝た。途中のサービスエリアで結構寝た。そこでコーヒーとサンド買ったんだよ」
最近はサービスエリアにスタバがあって便利だよなあと進藤は笑って、それから思い出したようにぼくの頬に
キスをした。
「おはよ。まだ言ってなかった」
「おはよう」
彼の唇はくすぐったい。そのくすぐったさを感じながら幸せだと思った。
「で、今日はどこまで来たんだ?」
「さあ、あててみ?」
悪戯っぽく笑いながら進藤が言う。
朝日に照らされるその顔もとても幸せそうだったので、ぼくの幸福感は更に加速した。
(罰が当たりそうだ)
思いながらも、きっと帰りもぼくは寝てしまう。
一方的に進藤だけに負担が大きい旅だけれど、それでもこうなってからぼく達の関係は非常に良く回って
いる。
ぼくが出掛けることに異を唱えることは無くなったし、進藤の欲求も満たされている。
何より一晩中揺られた後で二人で見る風景は世界中の何よりも美しく見えたので、ぼくは深夜に彼に連れ
出されることを心待ちにするようになったのだった。
※ヒカルの運転は安心の安全運転です。アキラにも周囲にも意外に思われたのは法定速度をきっちりと守り、高速では追い越し車線を走らないこと。
万が一にも事故を起こしてアキラを傷つけることが無いよう細心の注意を払っています。
運動性能の高い大型の四駆がのんびり走っているので煽られたりなんだりしますがヒカルは意に介しません。
和谷くんにはチキン野郎と罵られていますが、実際は運転はとても上手です。2014.8.31 しょうこ