セックスがしたい。

パーティー会場の片隅でアキラは唐突に思った。

棋戦のスポンサーの一つである企業主催のパーティー。アキラはヒカルと共に招かれて来ていたのだけれど、
ぼんやりと目の前の光景を眺めている内に衝動のようにそういう気持ちになったのだった。


少し離れた場所ではヒカルがドレス姿の女性と話をしている。テレビなどでよく見かける彼女はそこそこ名の知
られた女優でアキラやヒカルより一回り年上だった。


『進藤さん、ですよね? 少しいいですか?』

ヒカルのファンだという彼女は艶やかに微笑みながら人の輪の中からヒカルを引き抜き、さり気なく二人きりに
なってしまった。


直前までアキラと共に会社社長などと話をしていたヒカルは戸惑うような視線をアキラに向けながらも連れて行
かれてしまい、そしてそのまま戻って来ない。


アキラは心持ち眉を上げたものの、ほとんど表面上は変わり無くそのまま皆と会話を続けた。

内容はあまり覚えていないけれど、とにかく期待しているということと、社の冠がついた棋戦に相応しい勝負をし
て欲しいと言われたように思う。


「ありがとうございます。小森社長のご期待に添えるよう頑張ります」

幼少時から大人の中で暮らして来たアキラはこういう場にも慣れていて如才が無い。ほぼ機械的に言葉を紡ぎ、
それでも目は密かにヒカルを見つめていた。


ヒカルはアキラとは逆に社交慣れしていない。会話をスマートに切り上げるスキルも無いものだからいつも誰か
に捕まっては延々と自慢話を聞かされたり、時に説教をくらったりしている。


今日もだから女優に張り付かれたまま、愛想笑いを顔に張り付けている。一体何を話しているのかは解らない
けれど、ヒカルが困っているらしいのは態度の端々に見て取れた。


(もう少し経ったら助けてやろうか)

失礼にならない程度の所で用事があるとか何とか口実を作って引きはがしに行こうと、そんなことを考えていた
所に唐突に腹の底から突き上げるような強い欲情を覚えたのだった。


それは目の前で女優がヒカルの肩に手をかけた時で、さり気ない動作ではあったが妙な生々しさを伴っていた。

その瞬間、アキラの目には布地の下のヒカルの体が透けるように蘇った。

適度な張りと堅さのある、無駄の無く筋肉のついた触り心地の良い肩。

アキラの指がその感触を思い出した時に爆発的な衝動が起こったのである。

(―――したい)

一刻も早くこんな退屈な場から抜け出して、荒々しくあの体と絡み合いたいと、普段淡泊なアキラにしては珍し
くそう思った。


けれど実際にはアキラは衝動を表情に出すことも無く、変わり無く会話を続けたのである。

穏やかに、身の内の感情とは真逆の静けさで会場の中に在り続けた。

そこにふとヒカルがアキラの方に視線を投げた。たまたま本当に何の気無くアキラはどうしているのだろうか
位の気持ちで顔を上げたのだろうが、アキラのそれとかち合った瞬間、明らかにぎょっとした顔になり、その
ままアキラの方に向かって歩いて来た。


「進藤?」

何事かと思う間も無くヒカルはアキラの腕を掴み、談笑の輪の中から自分の方に引き寄せた。

「スミマセン。おれらちょっとこの後大事な用があって―」

それは本当に突然の行為だったので皆呆気に取られ、驚いたような顔でヒカルを見つめた。

「キミ、一体何を―」

それを遮るようにヒカルが有無を言わせない口調で被せた。

「本当にスミマセン、時間が押しちゃってるんで失礼します」

そしてそのまま引きずるようにして出口に向かった。

会話していた皆はもちろん、ヒカルと話をしていた女優も置き去りである。


「進藤、キミね。帰るにしてもあんな失礼な態度で――」

仮にも棋院を代表して来ているというのに機嫌を損ねられたらどうするのだと窘めるアキラに、ヒカルは
返事もしない。それどころかアキラを見ようともしなかった。


ようやくアキラの方を向いたのは会場を出て、階下に向かうエレベーターに乗り込んでからだった。

二人きりになってようやくヒカルはアキラと視線を合わせたのである。


「おまえのせいだろっ」

怒鳴りつけられてアキラは鼻白む。

「ぼくのせいって何が―」
「あんな、ヤリたさ全開にして突っ立っていやがって!」


ヒカルの声は苦々しい。なるほどそれでは気がついたのかとアキラは妙な所で感心してしまった。

「…顔には出していないつもりだったけれど」

ゆっくりと降下するエレベーターの中でヒカルはアキラの顔を睨み付ける。

「表情じゃねーよ! 目とそれと雰囲気って言うか!」

全身から立ち上るようなものがあったのだと言う。

「おっかねえよ、おまえ。生肉前にして舌なめずりしてる虎みたいだった」
「虎はキミだろう」
「だから、そういう話じゃなくて!」


噛みつくような勢いで言って、それからヒカルはたまりかねたように壁に腕をついて大きなため息を吐いた。

「あんなの…ダメだ。絶対にダメ! あんなんであんな所に居たら」

はあというヒカルの息が非道く熱いことにアキラは肌で気がついた。

「おれみたいなバカがコロっと引っかかっちゃうから――」

そしてちらりと目を上げてアキラを見るヒカルの目はもう睨んではいなかった。代わりにじっとりとした熱を帯
びている。


纏わり付くようなそれはアキラの全身を絡め取るように見つめた。

「家帰るまで持たねえよ、…もう」

張り詰めて痛いと吐き出される声は痛々しい程でアキラはそんなヒカルを少しだけ哀れに思い、同時にたま
らなく愛しいと思った。


「…ぼくだって雄だからね、一応」

ほんのちょっと突いただけでヒカルはもうアキラを掻き抱かんばかりになっている。

「このまま地下まで降りたらいいんじゃないか。地下駐車場の隅とか…たぶん誰も来やしないと思うし」
「本気で言ってんの? おまえ」
「それとも戻ってあの女とくだらない話の続きでもしてくるかい?」


にっこりと笑うアキラにヒカルは顔を顰めると、既に押してあった一階のボタンの二つ下、地下二階のボタン
を叩きつけるようにして押した。


「性悪っ」

悔しそうに呟きながらもしがみつくようにアキラの体を抱きしめる。そんなヒカルを抱き返しながら、アキラは
初めて自分があの女優に焼けるように嫉妬していたことに気がついたのだった。




※支部なんかだとよくある「このあと滅茶苦茶セックスした」になるんだと思いますよ。2014.9.13 しょうこ