Cemetery



進藤には時々、他の人の目には見えないものが見えることがあるらしい。

本人もそれを自覚していて滅多に面に出さないため、周囲で気がついている者はいないようだが、ぼくは何度か彼が誰もいない物影に微笑みかけているのを見たことがある。


「目ざといな、おまえ」


ある時思い切って尋ねてみたら、進藤は苦笑したような顔でぼくに言った。


「わかんねーんだよ。たまに」


あまりに普通に見えるので、それが生きているものなのかそうで無いのか見分けが付かないことがあるのだと言う。


「別に透けてるわけでもねーし、足が無いわけでもねーし、『うらめしや』なんて言われたこともねーし」


それで解るわけが無いだろうと言う。


「それでも少しは解るんだろう? だったら極力近寄らない方がいい」

「あいつらそんなに害は無いぜ?」

「どうしてキミにそれが解る」


生きている人間だって良い人も居れば悪い人も居る。何を考えているのか解らないのは同じなのだから不用意に近づくなと懇々と諭したら、渋々とではあるが頷いてくれたのだった。

それでもどうしても間違ってしまうことはあるようで、何も居ない所を指さして、『あの犬、顔怖いけど人懐こくて可愛いなあ。あんなにぶんぶん尻尾振ってるぜ』と言って、ぼくの表情にしまったと舌を出して見せるようなこともあったりした。

生まれついての性質なのかどうなのか、そもそも彼はそういうものに対しての分け隔てというものがあまり無いようなのだった。

良く言えば垣根を作らず、悪く言えば警戒心が薄い。

大らかで優しい進藤の性格は間違い無く彼の美点であったけれど、いつかそれにつけ込まれるのではないかと、ぼくは心配でたまらなかった。




その日、棋院ではジュニアの大会が行われていた。

ぼくは司会、進藤は受付や裏方で忙しく走り回っていて、同じ場所に居るというのにほとんど顔を合わせることは無かった。

ようやく昼の休憩になり、ぼくはせめて食事だけでも一緒にと進藤を探したのだけれど見つからない。

彼の分の弁当は手つかずで残っているのに一体どこに行ったのかと探し回ったら、彼は上の方の階の人気の無い自販機の横の椅子にぽつんと一人で座っていたのだった。


「進―」


言いかけて言葉を飲み込む。進藤は何も居ない日だまりを眺めながら静かに微笑んでいたからだ。

けれどすぐにぼくに気がついて立ち上がる。


「なんだよ、まだ休憩時間だろ?」


素っ気無い素振りでぼくに近づき、そのまま押しやるようにエレベーターの方に向かったけれど、さり気なく落とした風を装ってポケットからあめ玉を数個落として行ったのをぼくは見逃さなかった。


「その貴重な休憩時間に食事もせずに何をやっているんだ。きちんと食べないと終わりまで持たないぞ」

「平気だよ、お前じゃないし。ちょっと人酔いしたから休んでただけだって」

「人酔い? キミが?」

「なんだよ、虚弱が自分だけの特権だと思うなよ」


ふざけた口調で言う彼は決してぼくに自分の後ろを見させない。尤も見たとしてもぼくには何も解らないのだけれども。


「まあいい、人酔いでもなんでもいいけど休憩時間内にはちゃんと復活してくれ。キミ午後には指導碁をやるんだろう」

「おう、チビ共相手に他面打ちを決めてやるぜ」

「だったら尚更昼は食べないとね」

「わかってるよ」


そしてそのまま二人して休憩所に充てられた階に戻る。

進藤は先に来て、とっくの昔に弁当を食べ終わっている和谷くん達に捕まって雑談を始めた。ぼくはため息をつくと彼に無理矢理弁当を渡し、自分の分を持ったままさり気なく部屋を後にした。

向かったのは先程進藤が居た階だ。


イベントにも控え室にも何も使われていないので、そのフロアだけは他と違ってしんと静まりかえっている。

上にも下にも人が行き来しているというのに、ここだけ人の姿がまるで無い。

ぼくは進藤が座っていた椅子に座ると、目の前、進藤が眺めていた辺りの通路に弁当を置いた。


「あげるよ」


しんとした中にぼくの声だけが響く。


「あげるからもう彼には関わらないでくれないか?」


人が見たら気が触れたかと思うかもしれない。何しろぼくは誰も……何も居ない空間に向かって話しかけているのだから。


「キミが誰で何なのかぼくは知らない。でも進藤は……進藤ヒカルはぼくにとってとても大切な存在なんだ。だからキミに関わり合いになって欲しく無い」


返事は無い。何の気配も感じられない。

でもぼくは続けた。


「こんなことを言われてキミは、キミ達はかもしれないね。きっと腹を立てているだろうと思う。だから障りがあるなら全てはぼくに。でも金輪際二度と進藤の前には現れないで欲しい」


目を閉じる。

しばらくして目を開く。それでも弁当はそのままで何の変化も無い。

声も何も聞こえない。

もしかしなくてもぼくはとても愚かしいことをしているのかもしれなかった。

それでも念を押すようにもう一度繰り返した。


「お願いするよ。絶対にもう進藤の前には現れないでくれ」


そして立ち上がり、戻ろうとした時、右肩にずしりと何か重いものが乗ったような気がした。

慌てて振り返ると弁当が無い。つい一瞬前までそこにあったのに、最初から無かったかのように消えて無くなっていた。


「まさか―」


無意識に撫でる肩にもう重みは無い。でも確かに何かを負ったのだという気がした。


(それでもいい)


進藤が目に見えぬ何者かと関わり合いを持つくらいなら、ぼくが穢れた方がずっと良い。


「約束だよ」


何も無い空間に囁きかけてぼくはその場を後にした。

例え相手が何であれ、進藤を欠片も渡したく無いのだと、自分の業の深さを改めて思い知りながら。


※というわけで今日の置き土産SSです。こういうの、嫌いな人もいるかな? でもずっと書きたかったので。
ヒカルは佐為ちゃんと長い間一緒に居たので、そういうものに垣根が無いし、結構見えてしまうのではないかなと思いまして。
2015.8.15 しょうこ