壬生狂言の夜



総司と歳三は、二人連れ立って、壬生寺へと来ている。
夜も更け、普段は人のいない壬生寺も、今日は壬生狂言のある夜と言うことで、賑わいを見せている。
夜店も出ていて、そぞろ歩く総司は、至極嬉しそうだ。
手には先程買ったばかりの、涼やかな団扇が握られている。
もう片方の手は、歳三の袖を迷子にならぬようにと、しっかり掴んでいた。
「ふふっ」
「なんだ? 総司」
総司の嬉しそうな笑い声に、歳三は怪訝に思い、問い掛けた。
「そんなに、黛って方と似てますか? 私」
「…………」
総司の台詞に、歳三はぐっと詰まった。
全くもって不覚だった。
総司を見て、『黛』という名を呟いてしまうとは。
そう、たとえ、総司が女の格好をしていたにせよ。
あれでは、当時から総司に惚れていたと、皆の前で公言したのと同じではないか。
あの場にいた原田たちの、驚きの表情が、今も目に浮かぶ。
『黛』とは、一時期歳三が逆上せ上がっていた花魁である。
確かに、どこか総司の面影を感じてはいたが、まさか化粧をした総司を、黛と見間違えるほどだとは、思っても見なかったのだ。
本当に不覚だった。
その後、原田たちに囃し立てられ、女に化けた総司と共に、追い出された歳三であった。


八木家で起居するようになってから、まだ日も浅く、着流し姿の歳三を浪士組の人間だと気付く人もいない。
ましてや、その傍らにいる女が、同じ浪士組に所属する人間で、女に化けていると気付く者など、更に居なかった。
腕を絡めるように歩く二人を、恋人同士だと誰も疑っていない。
女に化けた総司は、女物の着物が歩きづらいのか、いつもと違って大人しくおしとやかだ。
しかも、綺麗に施された化粧は、けばけばしくなく清楚に見える。
なにより、男とばれるのは流石に憚るのか、小声な声も耳ざわりが良い。
「仕方がないから、許してあげます」
にこやかに言う総司に、
「何を?」
歳三が問い返すと、
「あの時、私をいつも、ほったらかしにしたことを……」
総司は嫣然と微笑んだ。
黛の元へと通っていた当時は、男である歳三が、幼い頃より弟同然に慈しんできた総司への想いが、弟に対するものとは掛け離れていることに気付いた頃だった。
その事実に愕然とし、尚且つ禁忌な想いであると、歳三は総司への恋心をひた隠しにしていた。
だから、殊更に女遊びをしていた歳三だった。
それで思い切れるなら、と。
だが実際は総司と女たちを比べ、更に総司への想いを深めただけだった。
そして結局、総司はこうして歳三の傍らに居る。
苦虫を噛み潰したような歳三の表情が、総司には笑いを誘う。
その誘われるままに、くすくすと笑い声を出せば、ますます歳三は仏頂面になっていき、更に総司を笑わせてしまう。
そうして、歳三は総司を振り切るように、足早に境内を突っ切った。
「あっ、歳さん」
慌てて総司が後を追うが、なにしろ大変な人込みである。
すぐに二人の間を人垣が遮ってしまった。
置いてけぼりを食らわすように、足早に歩いた歳三だったが、総司が追い駆けて来ないとなると、それはそれで腹立たしく、その場に立ち止まり後ろを振り返った。
しかし、人波に目を凝らしても、総司の姿はなく、自分の大人気ない態度に舌打ちしつつ、来た道を戻り始めた。
すると、すぐの所に人だかりができているのを、邪魔なことだと横目にしつつ通り過ぎようとして、
「やめてください」
との、聞き覚えのある声に、歳三はそこを覗き込んだ。
その輪の一番真ん中に総司を見つけ、「総司」と呼ぼうとして、総司が女の格好をしているのを思い出し、歳三は無言のまま人だかりを押しのけて前に出た。
「総、どうした?」
その声に、総司に絡んでいた男たちが振り向いた。ごろつき紛いの男たちである。
「歳さんっ」
総司が叫んで、歳三のほうへ来ようとするが、そのうちの一人が、総司の腕を掴んでいて放さない。
それにむっとなりながら、歳三は男の腕を掴み、捻りあげて総司を解放した。
「痛てて……」
「なんだ? てめぇ」
男たちが凄むが、歳三は気にすることなく、
「私の連れだ。要らぬちょっかいは止めて貰おう」
言い切った。
「ほう。あんたの連れかい?」
「なら、ちょっと貸してもらえんかねぇ?」
「こんな別嬪の酌で、一度ぐらいは酒を飲みたいものでなぁ」
男たちが二人を取り囲み、下卑た笑いをあげる。
歳三に置いて行かれて、一人だった総司に目を付け、酒の酌をさせようとしていたらしい。
「断る」
冷ややかに男たちを眺め下ろしながら、歳三は即答した。
「何をぉ、この優男が……」
着流し姿で、一本差しの歳三を安く見た男たちが、どすを抜き刃をちらつかせて迫る。
それに薄い哂いを返し、歳三は一番手近な男を張り倒した。
勢いに野次馬たちが、身を避ける。
しかし、男たちは歳三の行為に激昂して、襲い掛かった。
「この野郎!」
だが、歳三の敵ではなく、鞘もはらわぬ歳三に散々に打ち据えられ、ほうほうの態で逃げ出して行った。
逃げた男どもは、この辺の札付きだったらしく、叩きのめした歳三に、野次馬たちの喝采が送られ、満足した人たちは、三々五々その場を離れていった。
「大丈夫か?」
普段の姿なら、心配することもない総司だったが、身に寸鉄も帯びぬ総司では、華奢である分心配が尽きない。
少し離れた木陰に連れて行き、歳三は総司を気に掛けた。
「ええ、大丈夫ですよ。ありがとうございました」
だが、総司は髪に挿していた簪で、男の一人の手を差し、追い払ったようだ。
血に濡れた簪を歳三は、懐紙で丁寧に拭ってやり、髪に挿してやった。
「ありがとうございます」
総司は小首を傾げて、歳三に礼を言ったが、元々は女の格好をした総司を、置き去りにした歳三に非があるのだ。
居た堪れず、歳三は総司を抱き締めた。
「歳さん」
総司は歳三の背に手を回し、抱き締め返し、
「大丈夫ですよ? なんとも無かったんですから……」
その広い背を撫でながら、歳三の心の内を読んだかのように慰めた。
「ね、歳さん?」
「あ、ああ……」
きつく抱き締めていた体を離し、総司の顔を見遣ると、そこには暖かな微笑があり、歳三を安堵させる。
「総司」
その微笑と、眼差しに誘われるように、歳三は総司に口付けていた。
最初はそっと優しく啄ばむように。
次第に、深く息もできぬほどに。
人の喧騒も、ただ闇の灯りの彼方。
ただ、二人の周りには濃密な時が流れるばかり。




土沖風味の総司の女装話でしたv
森満喜子さん著の「沖田総司幻歌」の中の [京洛早春賦]で、女装した総司姿が、土方さんの江戸での馴染の黛花魁にそっくりで、その姿で壬生狂言に出かけて立ち回りするのです。そのお話が、今回の話の元ネタです。



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