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会津の清水屋で療養すること二月あまり、一向に癒えぬ足の傷に、忸怩たる時を過ごす歳三の元に、一人の男が訪ねてきたと告げたのは、歳三の身の回りの世話を一手に引き受けている島田だった。 「副長。来客です」 腰高窓の縁に座り、物憂げに外を眺めていた歳三は、 「来客?」 「はい」 島田の声に振り返り、誰が来たかを問い掛けた。 わざわざ、島田が取り次ぐ相手など、ごく僅かだったから。 「誰だ?」 ここまで歳三を訪れる人間は限られている筈で、島田が知らぬ顔などそうそう居るはずがなかったのだが。 「初めてのお方です」 島田はそう告げて、歳三の眉を顰めさせた。 「初めて?」 「はい。『椿』と名乗られました。それで分かるはずだと」 「椿?」 歳三には、そんな名に心当たりはなく、訝しげな表情になった。 「ご存知ありませんか?」 土方歳三の名は、広く知られていて、その首を討ち取って、名を上げようとする輩もいたから、島田はあの男もそういう類かと思った。 それにしては品があり、そんなことをする無頼の輩に見えなかったから、歳三に取り次いだのだが。 歳三が知らぬと言うなら、その旨を伝えて引き取り願おうと、島田が立ち上がろうとすると、歳三の視線が自分の後ろに注がれているのを認めて、島田は振り返った。 その障子の向こうには、先程応対した『椿』と名乗る男が、立っていた。 気配を感じなかった迂闊さに舌打ちしながら、島田は歳三を庇って仁王立ちになった。 「そう睨むな。歳には、何もせぬ。それにしても、つれないものよ。我の名に覚えがないとは。総司はいつでもその名で、我を呼んだぞ」 「総司?」 男の口からでた、総司の名に、歳三の表情が動いた。 そして、眉間に皺を寄せ、何かを思い出すようにしていたが、総司の名と、『椿』の名に、歳三の琴線に触れるものがあった。 まさか、と思いながらも、 「お前、まさか……」 呟くと、歳三の心の内を呼んだかのように、椿はにやっと哂った。 「思い出したようだな。そうだ。今お前が考えている、その椿だよ」 歳三が『椿』で思い出したのは、石田村の稲荷にいた白狐である。 『椿』と、総司が名づけ、可愛がっていた子狐だ。 だが、今この場に居るのは、どう見てもれっきとした人間で、狐には見えない。 歳三の言葉にせぬ声が聞こえたかのように、椿は言葉を紡ぐ。 「お前を訪ね、言葉を交わすのに、あの姿では拙かろう?」 敷居を跨ぎ部屋へと入ってきた椿は、優雅な仕草で腰を下ろした。 歳三と椿、二人の間に立つ島田は、二人を交互に見比べて、戸惑うように立ち尽くしていた。 「あの……」 島田の声に、我に帰った歳三は、じっと凝視していた椿から目をそらし、 「ああ……。島田、すまないが席を外してくれ」 心配そうに見遣る島田に、歳三は力強く頷いて見せた。 「大丈夫だ」 二人の関係をいぶかしみつつ、島田は不承不承出て行った。 もっとも、席を外したといっても、隣室で様子を伺っていることだろうが。 島田が出て行って、暫くは椿を睨みつけていた歳三だったが、やがて口を開いた。 「その形(なり)は、一体なんだ?」 歳三の指し示すその素振りの先、椿は己の姿に目を落とした。 漆黒の長い髪を頭上高く纏め上げ腰へと流し、象牙色の格子柄の着物を身に着け、きりりと黒地の袴を穿き、色鮮やかな鞘の大小二本を差した姿は、どう見てもどこぞの若様然としたものであった。 湯治場で、世相とはかけ離れているここでも、やはりその姿は目立つだろう。 「ああ、これか? 先程も言ったであろう? 白狐の姿では、おぬしと話もできぬからな」 「では……」 「そう。あの姿が、我の本性よ。もっとも、ただの畜生ではないぞ」 それぐらいは言われなくとも、歳三にも分かる。 ただの狐が、人の姿に化けれるわけがない。 「総司と会った当初は、力を使い果たしておった故、あのような形をしていたまでだ」 総司と出会った時の椿の姿は、色が普通の狐と違って白いとはいえ、ほんの子狐だった。 稲荷の白狐と敬われていても、まさか人に化けれるほどの狐であるとは、歳三にも思っても見なかったことではあるが。 「あれの光は清々しく、我に何よりの力を与えてくれたわ」 椿の糧は、なによりも人の心根である。 それによれば、総司のそれは、極上の輝きであったという。 「おかげで、思ったよりも早く力が戻ってくれた」 その輝きを毎日浴び続け、使い果たしていた力も、総司が試衛館に行くまでに、あらかた回復したと言う。 「しかし、我が判らぬとは。総司はどんな姿であっても、すぐに判ってくれたぞ」 恨み言のように椿は呟いたが、それも楽しげなものだった。 「では、総司が『椿』と、名付けてばかりいたのは……」 総司は試衛館に引き取られてから、時々小さな動物を拾ってきては、『椿』と名付けて可愛がった。 猫や犬、雀や鴉に至るまで。 「そう。どの姿も、すべて我よ」 手品の種明かしをするかのように、嫣然と笑った。 だが、上機嫌な椿とは裏腹に、真実を知った歳三は憮然とするばかりだ。 「で、いったい何の用だ?」 ついつい、椿に問う声も、低くなってしまう。 「ほう。そんなぞんざいな口を利いても、いいのかな? 総司からの手土産だぞ」 「なに?」 椿が懐から取り出したものは、一片の短冊だった。 もったいぶった様子で、椿は出した短冊を眺め、そこに書かれている言葉を吟味しているかのようだ。 いらいらとしながらも、その様を見ていた歳三だったが、耐え切れずに短冊に手を伸ばそうとした。 「寄越せ」 乱暴に引っ手繰ろうとした歳三に、椿は何も言わずに短冊を手放した。 そこに書かれた文字は、墨痕鮮やかに、 『動かねば 闇にへだつや 花と水』 力強い独特の筆遣いではあったが、歳三が見間違うはずもない、総司の筆であった。 「総司の辞世の句だ」 短冊を凝視し、意味を掴もうとしていた歳三の体が、びくりと跳ねた。 睨むような眼つきで、自分の前に端然と座る椿を見上げた。 「それは、総司の辞世の句だ」 椿は、その睨みをものともせず、同じ台詞を繰り返した。 「総司の死は、おぬしも覚悟をしていたのであろうが?」 嘲るのではない椿の声音が、耳に遠く響いてくるようだ。 「…………」 「我は、総司の終の棲家で、黒猫の姿でずっと傍に居た」 「あの……」 歳三が思い浮かべたのは、総司の元に纏わり付いていた真っ黒な黒猫の姿だった。 「そうだ。労咳の呪(まじな)いに黒猫が効くと、連れてこられたあの猫よ」 黒猫を抱いて灸を据えると、労咳に効くといわれており、どこからか迷い込んできた黒猫を、追い出しもせず魔よけ代わりと、餌を与えていたのだ。 「間際に姿をこの通りに変えても、総司は格別驚くこともせず、ただ『椿』と名を呼び、手を差し出したのみだ」 総司は、椿の本性を知っていたのか否か。 それは、椿本人にも分からぬ。 だが、どんな姿で目の前に現れようとも、総司はそれを椿と呼んだ。 かといって、総司の元に集う生き物たちすべてを、総司は椿と呼んだわけではなかった。 それで、充分だと椿は思っている。 「それで……?」 歳三に促され、総司とのひと時を思い起こしていた椿は、視線を歳三の元に戻した。 「ああ。それで、何か一つ望みがないかと訊ねたら、文箱を指し示して、おぬしにそれを届けてくれと頼まれた」 「…………」 歳三は再び、手の中の短冊に目を落とす。 総司は何を思って、この句を認めたのか見定めるように。 「…………。それで、それで総司は……」 聞きたくもなかったが、それでもその言葉は歳三の口をついて出た。 「身罷ったのは、昨日の昼だ」 ぐらりと、躯が傾いでいく気が、歳三はした。 「我は、その夜の葬列を見定めて、ここへ参った」 今までの煌々と灯されていた明かりが、すべて吹き消えたかのような、奈落の闇が訪れたかのようであった。 その様を、総司のことを語ったときとは雲泥の差の、無感動な眼差しで見遣りながらも、椿の言葉が続いた。 「次は、おぬしには渡さぬ」 意気消沈した歳三に追い討ちを掛けるような、冷たい椿の声音。 「最後の日、総司は我を拒んだ」 「拒んだ?」 鸚鵡返しに呟いた歳三に、椿は人形(ひとがた)の姿を総司に見せた真意を語った。 「そうだ。我は総司を失うぐらいならばと、『我の眷属になれ』と言ったのだが、総司は決して首肯しなかった」 「眷属?」 「そう、我が血を飲み、我の眷属ともなれば、血を吐くことは元より、病になることもなく、死すらほど遠いものになる。それを総司は拒んだ」 椿の語る言葉に、歳三は何も言う言葉もなく、ただ聞き入るのみだったが、 「おぬしに再び見(まみ)えることのない世は嫌だと言って……」 椿の言う意味を理解した刹那、悦びに打ち震えた。 なんともなれば、その総司の拒絶は、再び総司が歳三と出会いたいという証に、他ならなかったからである。 「愛しくも、憎らしい物言いよの?」 言葉尻ほど憎らしげな様子もなく、くつくつと、どちらかと言うと楽しげな哂いが歳三の耳を打つ。 「くく……。したが、我も二度はしくじらぬ。この世では、出会ったときが悪かったが故。だが、あの魂は見誤らぬ。今度、総司と見(まみ)えるときは、おぬしより一足早う出会うて、手に入れるわ」 挑戦的な椿の台詞に、咄嗟に歳三は、傍らにあった刀を掴み、抜き放った。 「総司は誰にも渡さん!」 動じることもなく、椿は飛び退り、哄笑を残して姿をかき消した。 その場に残るは歳三と、総司の残した一片の短冊のみであった。 |
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あはは、なんかファンタジーもどきですねぇ。でも、書いてて楽しかったからいいかな(笑) 一応、土沖なんですけど、わかるかなぁ? それと、『椿』は『神の御使い』に出てきた白狐で〜す。念のため。 妖狐だったわけですね〜、あの白狐ちゃん。でも、別に悪じゃないですよ。神でもないけど。 |
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