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「とっしさんっ」 子供特有の甲高い声が、部屋の縁側で昼寝を決め込んでいた歳三の耳の側で聞こえ、歳三はうっすらと目を開けた。 そこには、眩いばかりの笑顔で、自分を覗き込む宗次郎の顔が見え、歳三はその眩さに目を細めた。 「ねぇ、ねぇ。今日、祭りでしょ。一緒に行こ」 「祭り?」 「うん。とうかんの森であるでしょ。知らない?」 小首を傾げて、宗次郎が問う。 「ああ、今日だったか」 起き上がりながら、歳三はぼりぼりと頭を掻いた。 今日が祭りの日だとは、歳三はすっかり忘れていた。祭りには、連れて行ってやろうと、思っていながら。 「うん。だから、一緒に行こう。姉上も、歳さんと一緒なら、行ってもいいって」 宗次郎の一番上の姉のおみつは、どうもバラガキと言われる歳三を、宗次郎に悪影響を及ぼすと思っているようだ。 しかし、宗次郎が歳三に懐いているのと、歳三が傍目に見ても、宗次郎を可愛がっているのが分かるので、渋々ながら付き合いを認めざるを得なかった。 「ふ〜〜ん」 「ダメ?」 宗次郎は、歳三が断るとは全く考えておらず、無邪気に聞いてくる。 確かに歳三は、宗次郎には甘かった。 「いや、いいぞ。だが、今からじゃ早いだろう? 夜の方が華やかで面白いぞ」 今はまだ、お日様が空高くにあがったばかりだった。 歳三は、夜の明かりがついた風情の方が、綺麗だろうと、そう言った。 「夕方から行けばいい。それまで、ここで遊んで、昼寝してろ」 「でも……」 宗次郎は、もじもじと言い淀んだ。 「ん?」 「遅くなったら、姉上が心配する」 「ああ。遅くなったら泊まってけ。久し振りだろう? 家には誰かを使いにやればいい」 歳三は、宗次郎が泊まるものと思い込んでいたが、宗次郎にはその気は無かったらしい。 「いいの?」 頭を撫でながら言えば、宗次郎は聞き返してきた。 「構わんさ。のぶ姉も、今日は此処に居るし、喜ぶだろ」 「うん……」 元気よく大きく頷き、笑顔を振り撒く宗次郎が、本当に眩かった。 が、宗次郎の笑顔が眩いのか、単に陽射しが眩いのか、歳三には判じかねた。 「ほら、これやるよ」 先程、転寝する前、宗次郎にやろうと、削ってやった竹とんぼを手渡し、胡座を組んだ。 「ありがとっ」 宗次郎は喜んで歳三に抱きつき、竹とんぼを手に取り、早速歳三の見ている前で、飛ばし始めた。 何回と無く宗次郎は飛ばし、歳三はそれを見ていたが、宗次郎に高さを競おうとせがまれ、渋々といった風情で立ち上がり、下駄を突っ掛け庭に降りた。 ひと時そうやって競っていたが、暑い夏の日のこと、飛び回る竹とんぼを追いかけ、汗だくになってしまった。 「宗次。汗かいたろう。水を浴びよう」 「は〜い」 一先ず歳三は、部屋に戻り自分と宗次郎の着替えを用意してから、宗次郎を井戸端に連れて行き、水を浴びさせた。 「ひゃっ、冷た〜〜い」 宗次郎は水の冷たさに、大げさに騒ぐ。 だが、井戸の水は、夏の暑さと関係なく冷たく、気持ちよかった。 まず、歳三は諸肌を脱ぎ、手拭で自分の汗を拭ってさっぱりしてから、宗次郎を素っ裸にして、頭から水を何度か掛けてやり、別の手拭でざっと拭ってやった。 宗次郎はじっと大人しくなすがままで。歳三に任せっきりだ。 「ほら、宗次。こっち来い。まだ髪から雫が落ちてるだろうが」 「痛い。痛いってば」 歳三に手荒く頭を拭われて、宗次郎は逃げようとする。歳三はそれを捕まえて、しっかりと拭ってやった。 そうしないと、宗次郎は直に熱を出すのだ。 一体何度看病する羽目になったことか。 まぁ、その時の宗次郎は、いつにも増して甘ったれで可愛いのだが……。 「夕方まで、まだ間があるし、着物が乾くまで昼寝でもしろ」 布団を出してやりながら、宗次郎に言ったが、宗次郎は眠くないと、頬を膨らませた。 「駄・目・だ。寝ないと祭りに行かないぞ。今、寝とかないと、起きていられないだろう? 添い寝してやるから、寝ろ」 宗次郎の額を突付いて、言い聞かせ、布団に押しやった。 仕方なく宗次郎は、布団にぺたんと座り込み、歳三が蚊遣りやうちわを用意するのを、ぼんやりと眺めていた。 「如何した?」 歳三は宗次郎の顔を覗き込みながら、横たわらせて添い伏し、足元に置いてあった布を冷えないように腹に掛けてやった。 「ほら、寝ろ」 歳三は片手枕で頭を支え、うちわで宗次郎に風を送ってやった。 布団に横になった途端、やっぱりはしゃいで疲れたのだろう、うとうととしだした宗次郎のあどけない寝顔と、歳三を逃がさぬ様にか、胸元を握り締めている小さい手に苦笑した。 祭りに行ったら、きっと何か買って食べるだろうとは思いはしたが、とりあえず軽く飯を食っていかないと腹が減るだろうし、あと、宗次郎が泊まるのに、ちゃんと夏蒲団を用意させないと、など思いつつ、歳三もいつしか眠りの底へと落ちていった。 普段、賄いに任せっきりののぶ姉が、宗次郎のために嬉々として作ったご飯を食べて、宗次郎を歳三は、暮れかかる中、家を出た。 金魚が白く染め抜かれた紺地の浴衣に、白い兵児帯を締めた宗次郎と、格子柄の藍染の浴衣に黒い帯をして、すっきりと粋に着こなした歳三は、手を繋ぎ、宗次郎に合わせて、ゆっくりと歩く。 時折、人に追い越されつつも、のんびりと歩いてゆく。 バラガキと言われ、取り巻きも大勢居る歳三だが、他人と手を繋いで歩いたことなど無い。それが、宗次郎だと、何の違和感も無く、最初に出会った頃からこうであった。 歳三自身も可笑しいと思っている。 本来、餓鬼は煩いだけでうっとおしく、嫌いなのに宗次郎だけは別で、逆に宗次郎が姿を見せないと落ち着かないのだ。 宗次郎の少し舌っ足らずな物言いと言い、仕草と言い、今までの歳三なら、気になり嫌になるものも、宗次郎に限ってはなく、それが全く不思議だった。 宗次郎と一緒の時は、女のことが全く気にならないのも不思議だった。 今も追い抜いていく女たちが、歳三に色目を使っている。中には一度寝た女も居たようだが、歳三は気付く様子も無かった。 とうかんの森に漸く着くと、そこかしこに屋台が立ち並び、宗次郎の目を引いた。 「わあ〜、すっごい。賑やかだね〜」 「とりあえず、まず社だな」 はしゃぐ宗次郎を、奥の社へと連れて行き、手を合わせて、そこに祭ってある神輿を眺めた。今日は宵宮だから、明日この神輿は、村中を練り歩くのだ。 そうしてから、屋台の方へ取って返した。暮れなずむ中、戻った屋台の周りでは、提灯やそこここにある灯篭に灯が入り始めた。 「綺麗だね〜、歳さん」 「ああ、さっきとは違って、やっぱりこの方が綺麗だろう?」 「うん」 歳三の言葉に宗次郎は頷き、あちこちの店を、目をキラキラさせて、覗いて回った。 だが、覗くだけでいっこうに何か買おうとしない。歳三は見かねて、声を掛けてやった。 「何か買ってやるぞ。宗次」 ぶんぶんと、宗次郎は首を横に振った。 「姉上から、お小遣い貰ったから……」 「気にするな。それは置いておけ。代わりに俺が、好きな物買ってやるから」 どうせ、小遣いを貰ったといっても、飴玉をいくつか買ってしまったら、それで終わりだろう。 歳三もそんなに手元に金があるわけじゃないが、宗次郎に祭りで奢ってやるぐらいの持ち合わせはあった。 「ただし、何でもかんでもと言うわけには、いかないがな」 まず、近くの店で、飴玉をいくつか買ってやり、宗次郎に手渡してやった。宗次郎は一つそれを口に入れ、歳三にも一つ口元へと差し出したので、歳三は口を開けてそれを受け入れてやった。 甘酸っぱい飴玉を舐めながら、金魚掬いをしたり、的宛をしたり、二人一緒に楽しんだ。 こういう遊びは、歳三にはお手の物で、他の者と比べて、格段に勝る歳三が、宗次郎には誇らしかった。 「この金魚、どうしよう?」 宗次郎の小さい手には、歳三が掬った金魚が二匹、水の袋に入れられてある。 「何が、だ?」 「だって、せっかく歳さんが掬ってくれたけど、家で飼えないし」 宗次郎の家で、飼えない事を失念していた歳三は、拙いことをしたとは思ったが、それはおくびにも出さず、提案してやった。 「それだったら、俺の家で飼うから、お前が世話しに来ればいい」 そう言って、頭を撫で回してやれば、宗次郎は嬉しそうに頷いた。 「おいしーい」 喉が渇き、宗次郎には量の多い冷やし飴を半分づつにして飲んでいると、宗次郎は少し先の店で、風車が回っているのに、気付いた。 赤や青の色が鮮やかに、回っているのが見えて、慌てて冷やし飴を飲み干して、 「おい、宗次。そんなに引っ張るな」 歳三の袖をぐいぐい引っ張って、その店に急いだ。 近くで見ると、それは色取り取りの竹細工の風車で、カラカラと小気味のいい音を立てて、回っていた。 「欲しいのか?」 歳三が買ってやろうとすると、宗次郎は首を振り、 「ううん。違う。俺が買うの、歳さんに」 「俺に?」 歳三は、宗次郎の言葉に驚いて、親指で自分を指しながら問い返してしまった。 「うん。姉上が『いつもお世話になってるから、なにかお礼しなさい』って。それに、今日も竹とんぼくれたでしょ」 「いいよ、そんなの。お前の欲しい物を買えばいい」 少ない小遣いを、自分のために遣わすのは気が引けて、歳三がそう言うと、 「俺が、買うのは要らない?」 宗次郎が、悲しそうに言うので、 「そんな訳無いだろうが……」 しゃがみ込んで、否定してやった。 「ほんとう?」 少し目に涙を溜めた宗次郎の、その涙を指で拭ってやりながら、歳三は笑い掛けてやった。 「ああ。嬉しいよ」 それにつられて、宗次郎もにっこりと笑った。 「俺が選んでいい?」 「頼む」 宗次郎は、風車をどれにしようか、一生懸命に悩み、歳三は迷っている宗次郎を一歩下がって、楽しげに見ていた。 結局、宗次郎が選んだ風車は、赤い千代紙を貼り付けた物で、 「歳さん、赤が一番好きでしょう?」 自分には、お揃いだと言って、青の千代紙を貼り付けた物を買った。 腰の後ろの帯に、風車を差し、右手には金魚を持って、左手は歳三と手を繋ぎ、宗次郎は満足そうに、祭りを後にした。 後ろからはお囃子の音が、追いかけてくる中、ふと傍らの茂みを見た宗次郎の足が止まった。 気付かなかった歳三は、進みかけたが手が引っ張られて、宗次郎を振り向いた。 「如何した?」 「ねぇ、あれは何してるの?」 宗次郎は無邪気に、茂みを指差し、歳三に問い掛けた。 宗次郎の指差した先には……。 「…………」 若いと見える男と女が、口を吸い会って、抱き合っていた。 確かに、祭りは浮かれ、こういう事に対する楽しみもある。歳三だとて、今まではそうだった。 「ねぇ、歳さん、ってば」 歳三は、宗次郎に袖を引かれ、 「熱があったら、あんなことに居たら駄目だよねぇ?」 無邪気に宗次郎が言うのに、意味が掴めず眉を顰めた。 「あ?」 「だって、いつも歳さん、俺が熱出すと、あんな風に薬を飲ませてくれたり、お粥を食べさせてくれたりするじゃない?」 確かに宗次郎が熱を出す度に、何故か歳三が看病するようになり、愚図る宗次郎に有無を言わさず、薬を飲ますために口移ししてやってはいたのだが。 どうも宗次郎は、はじめて見る男女の情事を、いつも歳三としていることと同じに取ったようだ。 「…………」 「違うの?」 歳三が応えあぐねて、無言でいると、宗次郎は小首を傾げて、歳三を見上げて問い掛けた。 違うと教えるべきか、同じだと教えるべきか、歳三は悩んだ。 しかも、何故か本当のことを教えたくないと思ったのが不思議で、どう答えようか迷っていた歳三だったが、 「……。口を吸ってるんだ」 今隠しても、いずれ分かることだと思い直し、宗次郎に告げた。 「口を吸う? それって、いつも俺と歳さんがしてるのと、違うの?」 「ああ、違う」 「どう違うの?」 「俺とお前がしてるのは、薬を飲ませたり、粥を食べさせたりと、口移しで何かを与えているだろう?」 歳三が、宗次郎の前に座り込み、肩に手を置き、言い聞かせるように言うと、宗次郎は素直に頷いた。 「うん」 「あれは、そうじゃなくて、何も口に含んでなくて、口移しで物を与えてないんだ」 歳三は、いまだ抱き合ったままの男女を指して、宗次郎に噛んで含ませるように教えた。 しかし、よく分からないのだろう、宗次郎は首を傾げたままだ。 「じゃあ、何でするの?」 「一番好きな人と、するものなんだ」 「一番好きな人?」 「そうだ」 「貴方が一番好きな人です、というのを言葉でなく、ああやって態度で相手に示しているんだ」 「ふ〜ん」 宗次郎は、判ったのか判らなかったのか、首を傾げたまま、何か考えていたようだが、立ち上がった歳三に促されて、歩き出した。 「ただいまっ」 宗次郎が元気よく、土間を潜ると、のぶが待っていたらしく、笑顔で出迎えた。 宗次郎は人懐っこく、物怖じしない。そのせいか、のぶや為次郎は言うに及ばず、気難しい喜六でさえ、宗次郎を可愛がった。 「おかえりなさい。宗次郎ちゃん」 桶を用意し、冷たい水を入れながら、のぶは聞いた。 「面白かった? 祭りは」 「うん! とっても面白かったよ」 宗次郎が手にしていた金魚を、歳三はのぶに預けて、楽しそうに話す宗次郎を座らせ、まず宗次郎の足を濯いでやった。 「あら、可愛い金魚ね。如何するの?」 「ここで、宗次郎が飼う」 歳三の言葉に、それじゃますます宗次郎ちゃんが、此処に来ることになるわね、歳三のそれが魂胆かしら、とのぶは胸のうちで思いながら、とりあえず近くの小さな盥に水を張ってやり、金魚を泳がせた。 宗次郎は、歳三に世話を焼かれるのが、一等好きで、くすぐったいと言いながら身を任せていた。 「おなかは減ってない?」 「大丈夫」 「買い食いしたからな」 「そう。あら、それ如何したの?」 のぶは歳三の腰に、風車が差し込まれているのを見つけて、可愛らしいのをしてるじゃないと、指差して問い掛けると、 「宗次郎が呉れた」 ぶっきらぼうに言って、宗次郎の腰を歳三は指し示した。 「あらあら、それはよかったわね」 のぶにとっては、歳三も幼いままなのだろう。 つい子供に対するように接してしまい、歳三をむくれさす事になるのだが、宗次郎の相手で忙しい歳三は気にした風も無かった。 歳三が甲斐甲斐しく宗次郎の世話を焼くのを、微笑ましげに見遣りながら、 「お布団は、あなたの部屋に敷いてますからね」 歳三に言い掛ける。 自分の足を濯いでいた歳三は頷き、足を拭いて式台にあがって、片手に金魚の入った盥を持ち、宗次郎の手を引いて部屋に行った。 その二人の腰に、差し込まれているお揃いの風車が、時折同じ様に回るのを、のぶは可笑しそうに見送った。 部屋に入ると、蚊帳が吊ってあり、中には歳三と宗次郎の布団が並べてあった。 蚊が入らないように、そっと蚊帳をあけ、すばやく二人して潜り込む。 行灯に灯を入れてから、枕元に置かれた寝着に着替え、宗次郎を寝かしつけようとした。 「疲れただろう? もう寝ろ」 「まだ、眠くないよ」 「そうか?」 今にも、遊び疲れた宗次郎の瞼が、くっ付きそうになっているのを、見ながらも歳三は否定せずに、昼間と同じくうちわで風を送ってやった。 「今日は、とっても楽しかったね」 枕元に置いた金魚を見ながら、思い出したように宗次郎が笑う。 「そうだな。また秋祭りには連れて行ってやる」 「うん」 宗次郎は、嬉しそうに笑顔を見せたが、そのまま暫く歳三の顔を眺めていた。 「如何した?」 不信に思った歳三が問うと、宗次郎は歳三に抱きついてきた。 「宗次?」 そして、如何したのかと思っている歳三の顔に、宗次郎の顔が近づいてきた。 暫くして、宗次郎の顔が離れる。 「宗次。何を……」 「だって、一番好きな人とするのでしょう?」 そう、宗次郎は、先刻見た口吸いを、口をただ合わせるだけだったが、歳三にしたのだ。 「歳さんが、一番好きだから……」 黙り込んだままの歳三に、不安を覚えたのか、宗次郎の語尾が小さくなる。 「歳さんは、違う?」 泣きそうな顔になった宗次郎に、 「いや。一番お前が好きだぞ」 子供特有の柔らかかった宗次郎の唇から、歳三は目が外せず、 「ほんとう?」 「ああ」 宗次郎の泣き顔に弱い歳三は、そう言って宗次郎の口に、自らの口を合わせてやった。 歳三から口を合わせてもらって、幸せそうに微笑む宗次郎に、いつこの行為が男女の間の情事の一つだと、宗次郎が知るのかと、自分の口からは言いたくない、というその気持ちに気付いてしまった歳三だった。 歳三の部屋の文机に立てかけられた、カラカラと夜風を受けた風車が二つ、子守唄のように、いつまでも回っていた。 |
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1万HIT記念アンケート用のお礼SSでしたが、今回ちょこっと変更してUPしました。 |
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