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春もうららかな、とはまだ言えぬ寒さの残る日のこと。 みつが出掛けるための身支度をしていると、 「姉上、まだですか?」 ひょっこり、幼い顔が覗いた。 宗次郎である。 今日は、歳三の家で行われる雛の節句に、二人招かれているのだ。 「まだですよ」 「え〜〜っ」 遅い、と不満そうに口を膨らませて、抗議する宗次郎に、 「約束の刻限まで、まだ間があるでしょう?」 納得させるように、みつが言うと、 「でも……」 口ごたえをする様に口篭った宗次郎は、待てないのか、 「先に行ってます」 と、家を飛び出していった。 「あっ。待ちなさい。宗次郎」 みつは慌ててその後姿に呼びかけるが、宗次郎は風を食らったように行ってしまった。 見かけによらず、やんちゃな宗次郎の姿に、みつは溜息を吐いた。 きっと、先に行って歳三の元で遊んでいるだろうと思いつつ、しかし歳三と一緒に居ることに、みつは不安がある。 なにせ相手は、この辺でバラガキと言われる人間なのだ。 宗次郎にどんな悪影響を及ぼすことか、気が気ではない。 宗次郎の言葉遣いも、歳三に感化されたのか、悪くなっているような気もする。 普通、年が九つも離れていれば、全く相手にならぬものだが、それが何故かえらく宗次郎を気に入って、何くれとなく面倒を見てくれるのである。 一体何がそこまで、宗次郎を気に入ったのか、気が揉めるのだ。 土方家の他の方々にも、宗次郎の愛嬌のよさで、覚えが目出度いのはよいことなのだが。 また一つ、大きく息を吐いて、みつは支度に取り掛かった。 さて、風を食らって駆け出していった宗次郎は、途中稲荷にも寄らず、真っ直ぐ歳三の元へと走ってゆく。 結い上げた髪を風に靡かせ、珍しくも袴を身に着けている。 いつものように、ただ遊びに行くだけでなく、招かれているからと、みつが着付けたのだ。 袴はみつが縫ったものだが、その上の着物は歳三のお古で、歳三の姉・のぶがわざわざ仕立て直してくれた物だった。 子供は汚すのが仕事だから、いくらあってもいいでしょうと、何度か手渡してくれた。 そんな中のひと品を、桃の節句にちょうど良いから明日着て来いと歳三が言ったので、宗次郎はみつに着せて貰ったのだ。 その姿も早く見せたくて、宗次郎は道を急いだ。 「とっしさん!」 元気よく駆け込んできた宗次郎に、縁側で随分早い昼寝を決め込んでいた歳三は、片眼をあけた。 「早いな。まだ約束の刻限には、間があるぞ」 「うん。だけど、歳さんに早く会いたかったから、先に来たの」 ほぼ毎日会っている相手に言う台詞じゃねぇな、と歳三は思いながらも、何故か悪い気はしない。 「そうか」 歳三は盛大な欠伸をしつつも、笑いながら宗次郎の頭を撫でてやった。 それに、擽ったそうに首を竦めながら、宗次郎も嬉しそうに笑い返した。 見る人間が見たら、びっくりして腰を抜かすことだろう。 それほど、いつも仏頂面をしている歳三が、宗次郎といるときは、笑顔が絶えないのだ。 だから、宗次郎は歳三の不機嫌な顔など、一度も見たことがなかった。 「歳さん、これ」 着てきたよ、とばかりに宗次郎は、袖を摘むように持って、着物を歳三に見せた。 「ああ、似合ってるぞ」 淡い青の着物は、春の空の色と相俟って、宗次郎にはよく似合った。 褒められて、宗次郎は屈託なく、歳三にお日様のような笑顔を見せた。 「姉さんは、後から来るのか?」 歳三は宗次郎を抱き上げ、胡坐をかいた自分の足の間に座らせた。 「うん。まだ支度がかかるからって」 後ろにある歳三の顔を見上げた。 「そうか」 歳三は頷きながら、いつものように宗次郎の腰元に手を回そうとして、その懐に何か物がある感触を感じた。 「?」 それに宗次郎も気付き思い出したのか、 「あっ!」 と、甲高い声を出した。 「歳さん。これ」 宗次郎がおずおずと、懐から差し出したものは、可愛らしい雛人形だった。 折り紙で作られたそれは、少し歪であったが、手作りの風合いが可愛らしく、壁に掛けられるような造作になっていた。 「宗次、これは……」 「うん。俺が作ったの。姉上に教わって」 みつが妹のきんにと作る傍らで、宗次郎は見様見真似で作ったらしい。 その様が眼に浮かぶようだった。 「俺に呉れるのか?」 「うん」 雛人形を男である歳三にあげる不自然さを、宗次郎は微塵も感じていないようで、それに内心苦笑しつつも、宗次郎の小さい手からそれを受け取った。 「ありがとよ」 宗次郎はほっとしたように、顔を綻ばせた。 宗次郎に人形の作り方を聞いたりしていた歳三だったが、一足先に雛人形を見せてやろうと、歳三は宗次郎の手を引き、屋敷の奥の間へと連れて行った。 「雛人形はこっちだ」 雛祭りの用意はまだ整っていなかったが、それでも人形は随分前から飾られているから、いいだろうとの判断だった。 しょっちゅう歳三の屋敷へと来る宗次郎も、普段は歳三の部屋に入り浸りで、他の部屋へなど行くことがない。 歳三の部屋から、奥の間へ行くまでを、きょろきょろと見回しつつ付いて行った。 「あれ、ここは……」 「ああ、お前と初めて会った座敷だな」 宗次郎の不思議そうな声に、歳三は気がついて応えてやった。 「ほら、あれだ」 目の前にある雛飾りを指差しつつ、歳三は宗次郎にもっと近くで見せようとした。 「うっわ〜、おっきい」 宗次郎が今までに見たことのある雛人形は、男雛と女雛だけが一対になっている夫婦雛であったが、歳三の家のものはそれだけではなく、大きな屋敷に入れられた三人官女や五人囃子なども揃った豪華なものだった。 余りの豪華さに、しばし、見蕩れていた宗次郎だったが、ふと悲しげな顔で歳三を振り返った。 「どうした?」 その悲しげな顔をいぶかしみ、歳三は尋ねた。 「…………」 「ん? 黙りこくってちゃ、分かんないだろ」 宗次郎の視線に合わせるように、しゃがみ込んで歳三がもう一度尋ねると、 「あれ、捨ててもいいよ」 蚊の鳴くような声で、宗次郎がぽつんと呟いた。 「あれ?」 歳三には何のことか分からず、問い返してから、ふと思いついたものがあった。 「あれって、さっきくれた雛人形のことか?」 言葉もなく頷き俯いた宗次郎に、 「馬鹿だな。あれは宗次が、俺にくれたものだろう? 大事にするよ」 そう、嘘偽りない言葉を口にして、額を合わせた。 ここに飾られている雛人形の豪華さに、宗次郎は自分の持ってきたそれが、粗末であると思ったのだろう。 「ほんとう?」 信じられぬとばかりに、潤んだ瞳で宗次郎は歳三を見た。 「ああ、本当だとも。俺が今まで、宗次に嘘を言ったことがあるか?」 「ううん」 ぷるぷると、首を横に振り、宗次郎は歳三に抱きつき、歳三は宥めるように、その背を優しくぽんぽんと叩いてやった。 宗次郎が落ち着き始めた頃、座敷へと通じる廊下が騒がしくなり、歳三は抱き締めていた宗次郎の躯を放すと立ち上がった。 「あら、歳。ここにいたの?」 そこへ、嫁入り先の佐藤家から、土方家の雛祭りにやって来たのぶが、膳を持って現れた。 その後ろには、兄・喜六の嫁で歳三の義理の姉・なかの姿もある。 「宗次郎ちゃんも、いらっしゃい」 宗次郎がここにいることに特に気に掛けることもなく、のぶはにこやかに声を掛けた。 「はい、お邪魔してます。今日はお招きくださり、ありがとうございます」 宗次郎も、歳三に見せる甘ったれや姿でなく、ぴんと背を伸ばし挨拶をした。 「今日は楽しんでいって頂戴ね」 「はいっ」 元気な返事をする子供らしさが、宗次郎が皆に愛される秘訣だろう。 「まだそんな格好でいたの? そろそろ、おみつさんもお見えになるだろうし、そうしたら始めるわよ」 着替えてきなさいと言われ、歳三は宗次郎を置いて着替えに行った。 暫くして、歳三が白っぽい絣の着物を着て戻ってくると、膳が綺麗に整えられ、宗次郎がその前にちょこんと座っていた。 その横には、為次郎が座っていて、歳三は何の迷いもなく、宗次郎の逆の隣に腰を下ろした。 そして、ずっと自分を見ている宗次郎に気付いた。 「どうした?」 胡坐をかいて座った歳三は、宗次郎が何か言いたげなのを見て、問い掛けてやった。 すると、思い掛けない言葉が返ってきた。 「歳さん、きれい。お雛様みたい」 宗次郎にそう言われて、歳三は押し黙った。 「…………」 宗次郎の言うお雛様というのは、雛人形全体を指しての意味だろうか、それとも女雛の意味だろうか、と思ったのだ。 だが、黙ったままの歳三の態度に、首を傾げて歳三を見上げる宗次郎に、 「ああ、ありがとよ」 と歳三は苦笑いながら、頭をくしゃくしゃと撫ぜてやった。 にっこりと、春爛漫のような笑みを湛えた宗次郎に、何もかもどうでも良くなりながら。 二人の遣り取りを、間近で聞いていた為次郎は、心中苦笑った。 また、みつを伴って座敷にやって来て、見てしまったのぶも、笑いを噛み殺すのに必死だ。 子供の頃から女顔の所為で、女のように扱われることが何より嫌いな弟が、宗次郎の賞賛に文句をつけないのだから、本当に凄いと。 まずは、と杯を杯台から取った宗次郎は、その杯に注がれた酒を見て、歳三に聞いた。 「これ、なぁに?」 注がれた酒に、何かの花びらが浮かんでいたからだ。 「桃の酒だ」 「桃のお酒?」 小首を傾げて、宗次郎は鸚鵡返しに言った。 「桃の花を浸した酒で、桃の節句に飲むと百病に効くんだ」 「へぇ〜〜、そうなの?」 宗次郎は、桃の花びらが浮かんでいるそれを、物珍しげにしげしげと眺めた。 「ああ。だから、少しだけ口をつければいい」 まだ、まともに酒を飲んだことのない宗次郎を気遣って、歳三はそう言ったが、宗次郎はくいっと一気に煽ってしまった。 歳三は慌てて、 「おい、大丈夫か?」 宗次郎の顔を覗き込んだが、宗次郎はあっけらかんとしていた。 「うん、大丈夫だよ」 そうにっこりと笑いながら言ったが、既にいつもより目元が、紅いような気がした。 「はっはっはっ、宗次郎は酒に強そうだな。美味かったか?」 「うん」 隣の為次郎の豪快な笑い声に、場の雰囲気が和むのを感じながら、歳三は溜息を吐きつつ、酔っ払って帰れなくなったら、部屋に泊めればいいだけかと、思い直すことにした。 そして、仕方が無いなぁと思いながら、宗次郎を見遣ると、酒と一緒に飲み込み損ねた桃の花びらが一つ、宗次郎の唇にあるのを見咎めて、 「宗次」 名を呼んで振り向いた、宗次郎の唇についていた花びらを、ついと指で摘んで取ってやって、自分の口に運んだ歳三だった。 |
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どうも、歳さんは人が回りにいることを、失念するようでして……。って、それは私か? それにしても、為次郎さんは眼が見えないから良いとしても、目の前で宗次郎の唇についていた花びらを食べる歳さんを見せられた姉たちは、一体どう思ったことでしょうね? こんなに宗次郎がちっちゃい時から、人前でいちゃいちゃしていても、いいんだろうか?(苦笑) |
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