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まだまだ、水温むとはいかない二月の初め。 宗次郎が、庭を箒で掃いていると、勝太に呼び止められ手招きされた。 とことこと、身に余るような箒を抱え、宗次郎が勝太の元へ駆け寄ると、勝太はにこにこと笑窪を見せながら言った。 「宗次郎。面を作ってくれないか?」 「めん?」 勝太の言う『めん』が、何を指すのか分からず、宗次郎は首を傾げてしまった。 「そうだ。鬼の面を作ってくれないか? 明日は節分だろう」 その宗次郎の仕草を見て、いささか唐突過ぎたかと、勝太は面をつける手格好を顔の前でして言った。 それで、宗次郎も『めん』が、『面』であることに納得がいったが、それでも何故節分に鬼の面がいるのか分からなかった。 「何故、面が要るのですか?」 「宗次郎は、知らないか?」 「はい」 勝太に問われて、素直に宗次郎は頷いた。 「そうか。国などによっても風習が違うからなぁ」 顎に手をやり、勝太はそういうものかと、納得をしていたが。 「節分に豆撒きするときに、使うんだよ」 「豆撒きに?」 「そうだ。どういう風に使うかは、その時のお楽しみということにして。どうだ? 作ってくれないか?」 宗次郎の身の丈に体を屈めた勝太は、ぽんっと総司の頭に手を乗せ笑いかけた。 少し考え込んでいた宗次郎だったが、力強く頷いた。 「はいっ!」 元気よく返事した宗次郎に気をよくした勝太は、 「じゃあ、鬼の面と、もう一つお多福の面も作ってくれ」 「はい」 「いい子だ。今日はその掃除が済んだら、面を作ってくれればいいからな」 「えっ、でも……」 言いつけられている手伝いごとがまだあると、言おうとした宗次郎を遮って、 「いいんだ。義母上には俺からちゃんと言っておくから」 くしゃくしゃと、宗次郎の頭を撫でて、勝太は縁側を元来た方へと歩いていった。 「宗次郎は、如何した?」 晩酌をしていた周助は、その傍らにあって、付き添っている勝太に問い掛けた。 「先程まで、頑張って面を作っていましたが、ちゃんと納得のいくものが出来上がったようで、もう寝たんじゃないですか?」 勝太は宗次郎の寝所になっている部屋の方を、見えもせぬのについ見遣った。 「そうか、そうか」 好々爺の風情で頷く周助に、勝太は苦笑するしかない。 その勝太の苦笑を見咎めて、周助はお小言を言う。 「何を笑う?」 「いえ。ただ……」 「ただ、何だ?」 言いよどむ勝太に、畳み掛けるように周助は詰め寄り、 「ただ、なんか孫を見る、お爺ちゃんの風情だなぁ、と」 勝太は苦笑いしながら、答えを返すしかない。 「吐かせ」 照れたのか、そっぽを向きながら、周助は酒を呷った。 「でも、そういう雰囲気ですよ、宗次郎を見る義父上の目は」 「そうか?」 それでも、まんざらではない風だった。 「ええ、だから義母上も妬くのですよ。どこぞに孕ませた子ではないか、と」 酒の肴を、周助のためにいそいそと料理している内儀に聞かせないように、気を使いながら勝太は小声で言った。 「おいおい、お前までそれを言うのか?」 げんなりとした風情の周助が、何処となく哀れみを誘う。 「いえ、私はちゃんと違うと、知っておりますから、大丈夫ですが」 随分と、それで義母上と揉めているようだ。 「しかし、義父上の昔の色男ぶりを知っている義母上にしてみたら、心穏やかではないでしょう?一度じっくりお話をしてみては?宗次郎のためにもよくありませんよ」 「ふう〜〜」 周助は深い溜息をつきながら、 「分かった。近いうちにちゃんと話すとしよう」 「ええ、その方がいいです」 話が終わると同時の実にいい所で、義母上が肴を持ってやって来た。 小さい、しかし威勢のよい聞き覚えのある声が、坂の途中にいても聞こえてきた。 その声に微笑ましくなりながらも、行商の荷を背に担いでいた男は、足を速めて坂を上っていった。 傷みかけた門を潜ろうとしたとき、バラバラと何かが降ってきた。 「わっ」 それほど痛くはなかったが、なにせ唐突であり、驚いて男が、その降ってきた物をよく見ると、豆である。 「豆?」 「歳さん!」 「歳三」 行商姿の歳三に声を掛けてきたのは、先程から声の聞こえてきていた宗次郎と、彼が厄介になっている道場主周助の養子になっている勝太だった。 その二人の姿から、それが、豆撒きの豆だと分かった。何せ、宗次郎は豆を入れた枡を手に持ち、勝太は元々の強面の顔を、ご愛嬌のある鬼の面で隠していたから。 ちょうど門のところに来た時に、行き合わせたらしい。 下駄を突っ掛けた宗次郎が、豆を入れた器を持ったまま、歳三へと飛びついてきた。 「元気にしていたか?」 軽々と抱き上げながら、歳三は宗次郎の顔を覗き込んだ。 「うん!」 ふと見た手荒れが気になったが、それ以外は特に如何ということはなさそうだった。 「よく、来たな」 よく通る声が歳三に掛けられ、歳三は目線を移して、 「はい、お邪魔します」 殊勝に頭を下げた。 「似合ってますねぇ」 しかし、ついその殊勝な態度も続かず、歳三は苦笑した。 なぜなら、玄関の式台の上にいた周助は、お多福の面を被っていたからだ。 「そうだろ、そうだろ。宗次郎が作ったんだぞ」 腕の中の宗次郎を褒めてやると、 「へぇ、上手く出来てるじゃないか、宗次」 「ほんと?」 宗次郎はとても嬉しそうに笑った。 「ああ、本当だ」 額をくっ付けるようにしている様は、本当の兄弟のようだ。 それを、周助と勝太は微笑ましく見ていた。 気難し屋の歳三が、ここまで子供を可愛がる図など、そう滅多に見られるものではない。 「宗次郎」 「はい」 「最後の仕上げだ。道場へ行くぞ」 「はいっ」 周助が宗次郎に声を掛けて踵を返すと、宗次郎は歳三の腕から飛び降りて、慌てて後ろを付いて行った。 「福は〜内。鬼は〜外」 道場までの道すがら、豆を撒いて行っている様だ。 「似合ってるな」 鬼の面を被ったままの勝太を振り向き、歳三が言うと、 「そうか?」 勝太も満更でもないのか、腰に手を当て、胸を張った。 「もっとも、そんなものがなくとも十分だと思うが……」 「言ってろ」 ただし、続いた歳三の言葉に、少し臍を曲げたように、勝太は面を外した。 「泊まっていくのか?」 「しばらく、厄介になる」 「そうか」 玄関から上がらず、道場へと続く庭のほうへと周りながら、二人歩いていく。 いつも、歳三は玄関先から上がらずに、道場横の庭から上がるのが常だった。 「ところで、宗次のあの手だが……」 歳三が、水を向けると、勝太の表情が曇った。思い当たる節がありすぎるのだろう。 「ああ、あれか。義母上が、どうも辛く当たるのでな」 「それは……」 聞きながら井戸端に辿り着いた歳三は、がらがらと、手馴れた様子で、井戸の水を汲み上げ、盥に取る。 「うん。どうも宗次郎を、義父上の隠し子ではないかと、疑っているようで」 「周助先生の?」 歳三が勝太に顔を向けると、心底曇った表情があった。 「ああ。それで、幼い宗次郎には、いささか手に余るだけの仕事を、押し付ける」 引っ張ってきた盥に足を浸し、縁側に腰掛けて足を濯ぎながら、目の前に突っ立つ勝太を見上げ、歳三は呟いた。 「まぁ、随分お盛んだったらしいからなぁ」 くつくつと、笑いながら言う歳三に、勝太は憮然とした風で。 「笑い事じゃないぞ」 「分かってるさ」 綺麗になった足を、腰に結んでいた手拭で拭い、そのまま縁側に歳三は上がった。 「おみつさんたちにも、女将さんは一度も会ってないのか」 「ああ、義父上が日野から、直接連れてきたからな。まだ宗次郎の身内の人とは、誰も会っていない」 「それも、臍を曲げる原因だろうな」 「ああ、多分そうだろう。身内に会わせられないのはきっと、と」 周助が若いうちから人に振り返られるような美男で、女にもてるのは結構なことだが、そのとばっちりが宗次郎にいくのは、如何ともしがたい。 ここに厄介になる間は、如才なく立ち回って、宗次郎への風当たりを和らげるように、努めようと歳三は決めた。 「しかも、この貧乏所帯に、どこに内弟子を抱える余裕がある、って。だから、深い仔細があるに違いない、となるわけだ」 苦笑の溜息を吐きつつ、歳三は勝太に提案した。 「今度、日野に戻ったら、その辺の事情を話して、おみつさんに挨拶に来てもらうようにするさ」 「そうしてくれ。なるべく早くな」 「ああ」 そう歳三と勝太が遣り取りしつつ、道場の入り口を潜ると、周助の、 「遅いっ」 との一喝が、飛んだ。 「すいません」 首を竦め、勝太が謝るが、 「宗次郎が、待ち草臥れておるわ」 周助の目の前に、ちょこんと座る宗次郎を引き合いに出し、怒る始末。 「すまん、すまん」 歳三は、周助にではなく宗次郎に謝りながら、頭を撫で摩り、再び目に付いた荒れた手を見て、確か手荒れによく効く軟膏が荷の中にあった筈だと思い、ここにいる間は自分が塗ってやろうと思った。 そして、豆撒きの最後の仕上げとばかりに、宗次郎と一緒になって、歳三は盛大に豆を撒いた。 |
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