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顎が落ちるとは、まさにこのことだろう。 障子を開けた途端に、目に飛び込んできた光景に、俺は心底驚いた。 なんと、歳三と宗次郎が、口を合わせていたのだ。 「なっ! なな、なに……」 もう驚きすぎて、俺は言葉も出なかった。 なのに、歳三はけろりとして、宗次郎から離れて、 「よう。勝ちゃん」 と屈託なく俺に挨拶したんだ。 「歳っ、何をしてる!!」 「何って」 歳三は俺の剣幕にびっくりしていたが、ふと合点が入ったのか、あっさり応えた。 「ああ、薬を飲ませていたんだ」 「薬?」 思わず鸚鵡返しに聞いた俺に、 「宗次が風邪を引いたから、飲ませていたんだ」 「風邪?」 「あれ? ここへ来る時に、誰も言わなかったか?」 「いや、そう言えば、そんなことを……」 確かに、部屋へ来る前にそんなことを、家人から聞いた覚えがあったが、そんなことは先程の映像が衝撃的過ぎて、すっかり頭の彼方に飛んで行ってた。 呆然と障子に手を掛けたまま、二人を見下ろす俺に、 「突っ立てないで、閉めて座れよ」 歳三は、促した。 「折角、暖めた空気が逃げちまう」 この部屋は、風邪を引いたという宗次郎のためだろう、格段に暖かく、部屋の隅に置かれた火鉢で炭火が熾っていた。 歳三に促されるまま、俺は宗次郎の傍らに座った。 歳三の腕に抱かれたままの宗次郎が、歳三の袖を引き、歳三はそちらを見遣った。 「ん? 如何した? 宗次」 喉を痛めているのか、宗次郎は口をぱくぱくと動かすだけで、声が全く出ない。 しかし、歳三には言わんとすることが分かるのか、盆の上に置いてあった茶碗を手に取ると、白湯を口に含み、宗次郎の唇と合わせた。 先程とは違って、目のほんの前で行われるそれを、俺はもう呆然と見ているしかなかった。 一方は親友と自負する男で、もう一方は可愛い歳の離れた弟で、その二人の接吻を間近に見せられ、俺にくらくらとした眩暈を起こさせた。 しかし、それを一切考えなければ、女とも見紛う歳三と、あどけない宗次郎の接吻は、とても倒錯的で、目が離せなかったのも事実で。 宗次郎の細い喉が、こくこくと白湯を飲み込んで、すっかり飲み切るのを見計らい、歳三の唇が離れた。 「もう、いいか?」 こっくりと宗次郎の首が縦に振られ、歳三は抱えたままの宗次郎を、寝床に降ろした。 俺は、その優しげな歳三の様に、すっかり毒気を抜かれた。 がっくりと肩を落とした俺に、漸く気付いたのだろう。歳三は、声を掛けてきた。 「茶飲むか?」 「ああ。くれ」 何故か、すっかり喉が渇いてしまっていた俺は、すぐに返事を返した。 「今日は、思ったより速かったな。来るのが……」 「ああ、随分と久し振りだからな、お前や宗次郎に会うのも。だから、早く出てきた」 多摩での出稽古に義父の周斎と、出てきたのだが、そのまず最初がここ歳三の義兄の彦五郎のところだった。 前々から、俺が今日来ることは告げてあったから、歳三が宗次郎と共にここへと遊びに来る手筈になっていたんだが、この宗次郎の様子では、宗次郎は勿論歳三も、とても稽古どころではないだろう。 歳三が、火鉢の上でしゅんしゅん音を立てている土瓶から湯を注ぎ、茶を入れてくれるのを、俺は先程の衝撃からか、ぼうっと眺めていた。 「勝ちゃんと会うのを楽しみにしてたんだが、昨日こっちに着いて、はしゃぎ過ぎたんだろう。ゆんべから、熱を出した」 宗次郎が寝込んでいる理由を、歳三に簡単に説明されて、ほらよ、と茶を差し出され、一口飲むと、やっと人心地着いた気がした。 それで、俺は最初に見た光景を、歳三に問い質した。 「歳、宗次郎に薬を飲ませていたと、言ったな?」 「ああ。それが?」 一体如何したと、歳三は俺に聞き返した。 「口移しでか?」 普通そんなことはしないだろうと、一番気に掛かっていたことを言外に言えば、 「こいつ、薬が苦いって言って、飲まないんだよ」 歳三が熱に潤んだ瞳を向ける宗次郎に、苦笑しながら向き直って、そっと額に手を置いた。 「放っておくと、全然飲まないからなぁ。無理矢理でも飲まさないと駄目だろう?」 「それは、そうだが……」 薬を飲ませないと、熱は容易に下がりはしないだろうが、それにしても、である。なにも口移しで飲ませなくとも良いんじゃないか? 歳三は薬を飲ませる間、傍においてあった盥の縁に掛けておいた手拭を堅く絞り、まだ熱い宗次郎の額に乗せた。 「まさか、いつもそうやって、飲ませてるのか?」 「ああ。こいつが熱を出す度にな」 宗次郎が熱を出す度に、今までずっとそうしてきたと言う歳三に、俺は二の句が告げなかった。 「何で……」 かろうじて、俺の口から出た言葉が、それで。 「ん? 薬が嫌だと、駄々をこねる宗次に業を煮やして、口移しで無理矢理飲ませたのが、最初かな?」 薬が効いてきたのだろう、うつらうつらとしだした宗次郎だったが、傍に居る俺たちが気になるのだろう、いじらしくも目を瞬かせて、懸命に起きてようとしていた。 歳三はその様を見遣って、宗次郎の瞼を閉じさせて、 「ずっと傍にいててやるから、寝ろ」 優しく言い聞かせてやってから、俺に向き直って、話を続けたんだ。 「それからは、そうやって飲ませてやらないと、飲まなくなって……」 「それで、ずっとそうしてるのか?」 俺が疑問をぶつけると、あっさり歳三は肯定してきた。 「ああ、そうだ」 それで、俺はふと目に入った物を指差した。そこには、半分ほどに減った重湯が、土鍋に入れられて残されていた。 「お前、もしかして宗次郎に、食べさせてやってるんじゃないだろうな?」 「? 勿論、食べさせてるが?」 俺が恐る恐る問えば、歳三は勿論と、返してきた。 勿論? 宗次郎に食べさすことが、勿論? しかも、歳三はそれを可笑しいと思ってないようだし。なんか、俺は頭痛がしてきたぞ。 「まだ、これでも今は動けないから、こいつも大人しく寝て、俺の匙から食べるが、少しでも良くなったら、じっとしていられなくて大変なんだぜ」 そりゃ、寝込んでいる宗次郎に、甲斐甲斐しく食べさすのは、一苦労だろうが。 「そうだろうなぁ」 すぐに体調を崩して熱を出す宗次郎も、普段はやんちゃな子供だ。じっと大人しく寝ては、いられないだろうなぁと思う。 俺が、つらつらとそんなことを思っていると、俺を驚かす爆弾発言を歳三はしてくれた。 「そうなったら、粥も薬とおんなじようにしてやらないと、じっと寝てないし」 「な、に?」 粥も薬と同じ? それって、一体どういう意味だ? 俺の頭の中でぐるぐるといろんなことが、過ぎっているのが分かったのか、歳三はあっけらかんと言い切ってくれた。 「粥を口移しで食べさせてやると、宗次は大人しく寝ててくれるからなぁ」 思わず、気が遠くなりかけた俺だった。 「如何した? 宗次の風邪でも伝染ったか?」 頭を抑えた俺に、歳三は頓珍漢な心配をしてくれて、曖昧に笑うしかなかった。 「いや……。なんでもない」 「そうか?」 甘やかし放題の歳三に、俺は呆れるしかない。 確かに歳三は、宗次郎を可愛がってはいたが、まさかここまでとは思わなかった。 しかも、歳三自身それを可笑しいとは微塵も思ってないようなのだ。 道を踏み外すなと、忠告すべきかどうか、俺は迷ったが、こっちが恥ずかしくなるぐらいの蕩けそうな笑顔で、寝付いた宗次郎を見ている歳三を見ると、これはもう余計なお世話と言うほかない風情で。 自覚しているのかどうか、分からないが、俺も、わざわざ馬に蹴られたくはない。 ここは見て見ぬ振りしようと、俺は今日何度目かの溜息を吐いた。 |
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「伽」とは、看病すること。介抱すること。また、その人。のことです。別の意味もあるけど、それは今回は流石になしで……(苦笑)。 |
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