戴星



人一人がやっと通れるぐらいの垣根の途切れたところから、小さな人影が庭先に行きよいよく転がり出てきた。
「歳さん!」
庭に面した部屋の主の名を呼びながら現れたのは、まだほんの少し前に歳三と知り合った宗次郎だった。
しかし、歳三を一目見て懐いた宗次郎は、子供は煩いし小汚いから嫌いだと言い切っていた歳三にも気に入られ、こうして庭へと忍び込める場所も教わっていた。
ここからだと、表を通らずに直接歳三の部屋へと来ることができるのだ。
そうやって、やって来た宗次郎は、いつもこの時間に居る筈の主の身が見えぬことに気づき、首を傾げた。
「あれ? 歳さん、いない。いつも居るのに……」
もしかして、庭から見えないところにいるのかと、部屋を覗き込んでみるが、やはり歳三は居ない。
この時刻なら、いつも居ると言っていたのに。
がっかりして帰りかけたところ、庭木の手入れにちょうど来た土方家の爺やが、宗次郎を見咎めた。
「おや、どうしなさったんで? もう、お帰りで?」
「あっ、由助さん。うん、歳さん居ないから……」
宗次郎は歳三が居なくて、寂しそうに答えたが、先ほど歳三を見かけたばかりの由助は、その気を払うように歳三の居場所を告げた。
「歳三坊ちゃんなら、厩に居ますよ」
「厩?」
可愛らしく首を傾げて宗次郎が問うと、
「へぇ。可愛がってなさる馬を、手入れなさってました」
由助は律儀に宗次郎の目線の高さまで腰を曲げ教えてやった。
「ふ〜〜ん。それって、何処に在るの?」
「おや、ご存じない?」
「うん」
もう随分とこの土方家に出入りしているような感覚のある宗次郎だったが、実際にここへと来てからそんなに日にちの経っていないことを思い出した由助は、歳三の元へと案内してやろうと手を差し出した。
「分かりました。じゃ、連れてって差し上げましょう」
「ありがと!」
にっこりと天真爛漫な笑顔を見せて、宗次郎は由助の皺くちゃの手を握った。
宗次郎のこの笑顔は最強だった。
なにせ、あの気難しい歳三の兄・喜六でさえ、相好を崩しいつでも遊びにおいでと、言ったぐらいのものだ。
物怖じしないはきはきとした態度も、気に入られた一つの要因ではあろうが。
そうして、出入り自由となった宗次郎だったが、彼が出入りするのは専ら歳三のところで。
さすがに毎日という訳にはいかなかったが、二日に一度は訪れていた。
歳三のあまり行状の良くない噂を聞くおみつは、良い顔はしなかったが、馴染みの無い土地でのことゆえ、遊ぶ友達も居ない宗次郎を不憫に思い、渋々黙認していた。
その宗次郎は、歳三の部屋以外は殆ど知らず、厩の位置など、由助に連れて行ってもらって初めて知った。


その厩の前で馬の手入れをしている歳三を見つけて、宗次郎は由助の手を離し、勢いよく駆けていった。
「歳さんっ」
子供特有の甲高い宗次郎の声に、驚いた馬が嘶き、歳三は振り向こうとしたのを止めて、慌てて馬の背を叩き宥めた。
「月白っ! どうどう。落ち着け!」
前足を振り上げる馬を、歳三は優しく宥めてから、宗次郎に向き合い叱った。
「宗次。駄目だろう、大声を出しちゃ。馬がびっくりする」
「ごめんなさい」
馬の怯えように驚いた宗次郎は、後から来た由助の袖を掴んで謝った。
「分かればいい。二度とおんなじ事をするなよ」
「はい」
しょげてしまった宗次郎の頭を優しく撫でてやれば、宗次郎は素直に返事をした。
「よし。いい子だ」
由助の足元から、宗次郎を抱き上げ、互いの額を、こつんと合わせた。
「ほら、月白にも謝れ。ごめんなさい、と」
腕に抱きかかえた宗次郎を、馬の顔に近づけたが、さっきの馬の剣幕に驚いた宗次郎は、びくっと体を震わせて、いやいやと首を振り、歳三に抱きついた。
「如何した? 宗次」
「怖い」
「怖くなんかあるもんか。さっきは月白も、ちょっと驚いただけだ。もともと、こいつはすごく大人しい奴だぞ」
宗次郎は歳三の言葉が本当かどうか確かめるように、歳三と馬を交互に見比べていたが、やがて、
「ごめんなさい」
と、大人しく自分を見詰める馬の目を見て、謝った。
「こいつは、月白って、言うんだ」
「つきしろ?」
「ああ。お月様の月に、色の白、という字を書く」
「なんで?」
「ん?」
「だって、白くないよ。この子」
宗次郎の言うとおり、歳三が「月白」と言った馬は、全身烏のような真っ黒の毛並みである。
「あはは。そりゃ、こいつの色は真っ黒だがな。だが、よく見てみろ。額に白い斑紋があるだろう?」
歳三は馬に額がよく見えるように、片手で馬の頭を抑えて、宗次郎に見せてやった。
「うん」
「それを、星を戴くと書いて戴星と言うんだ。他にも星月とか、月白(つきじろ)とかも、言う」
歳三の説明を、宗次郎は一生懸命聞き入っている。
「だから、こいつの名は月白(つきしろ)だ」
「歳さんが、名づけたの?」
「ああ、そうだ」
「ぴったりの、いい名前だね」
「そうだろう」
幼い宗次郎に褒められて、歳三は胸を張った。
「頭撫でてやれ、宗次」
宗次郎を月白に近づけると、月白は意図が分かったのか、頭を下げ差し出すようにした。
宗次郎が恐る恐る額の白い毛並みを撫でてやると、なお擦り寄ってきて人懐っこさを見せた。
「可愛いね」
懐かれればどんなものでも可愛い。宗次郎は撫でながら、歳三を見返し、花が綻んだように笑った。
「気に入ったか?」
「うん」
「そりゃ、良かった」
それに釣られるように、歳三の顔にも笑顔が浮かぶ。
そして、ふと視界に入った由助の後姿に、ずっと宗次郎との遣り取りを見られていたことに気づいた。
どうにも、宗次郎には甘くなる。それこそ、自分でも不思議に思うくらいだ。
その様を人に見られるのは、気恥ずかしいのだが、いまさら気づいたところで到底遅く、歳三は宗次郎にも気づかれないように内心溜息を吐いた。
「宗次」
「はい」
いまだ、抱きかかえたままの宗次郎の名を呼ぶと、至極素直な返事が買ってくる。
それに心地よさを味わいながら、歳三は宗次郎に問いかけた。
「お前、馬に乗ったこと、あるか?」
宗次郎は首を横に振り、
「馬に? ううん、ないよ」
「月白に、乗ってみるか?」
「えっ?」
歳三の提案に、宗次郎の目はまん丸に見開かれた。今にも零れ落ちそうなほどだ。
「ん? 如何する?」
「でも……」
「でも? 如何した?」
これも不思議なのだが、気短な歳三が、宗次郎には気が長い。
今も言いよどむ宗次郎の言葉を、せかすこと無く待っていた。
「姉上が、馬は危ないから、近づいちゃいけません、って」
「おみつさんが?」
「うん」
折角歳三が言ってくれたのに、断らなくてはいけないのが悲しくて、宗次郎の声が小さくなる。
「そりゃ、一人で乗ったら危ないかもしれないが、俺と二人で乗れば危なくないさ」
「歳さんと?」
「ああ、そうだ」
宗次郎の目を真っ直ぐ覗き込んで、言ってやると、宗次郎は目を輝かせて、
「乗りたい。歳さんと一緒に、月白に乗りたい」
「そうか。じゃ、乗せてやる。だが、その前に、まだ月白の手入れがまだだからな」
ずっと抱きかかえていたままの宗次郎を降ろし、
「それが終わってからだ。それまで、そこで大人しく見ていろ」
近くの置石を指差して言った。


馬をごしごしと洗い泥を落とし、綺麗に鬣や尾の毛を整え、歳三は手早く轡と手綱を付け、歳三に言われたまま石に腰掛けて大人しく待っていた宗次郎を、漸く振り返った。
馬の手入れをしている間、歳三には宗次郎が馬と自分を、興味深げにじっと見ていたのを、その背に感じていた。
「宗次、終わったぞ。こっちに来い」
呼ばれた宗次郎は、ぴょんっと石から飛び降り、歳三の元へと駆けてゆく。
その勢いのまま、歳三に飛びつくと、歳三も心得たように抱き留め、片手で抱え上げた。
「ほら、触ってみろ」
手入れを終えたばかりの馬の背に、宗次郎を近づけてやると、宗次郎は恐る恐るそっと手を伸ばした。
「如何だ?」
「すべすべしてて、気持ちいいね」
毛並みを撫でて、その触り心地が良かったのだろう宗次郎が、にこにこと笑いながら応えると、歳三も満足げに笑い返した。
「じゃぁ、乗るか?」
歳三がそう言って、宗次郎を馬の背に乗せようとすると、宗次郎は慌てて歳三の首にしがみついた。
「おい、如何した? 宗次。それじゃ、乗れないだろうが……」
歳三が呆れて、宗次郎の顔を覗き込むが、宗次郎はいやいやと首を振り、離れようとしない。
「怖いのか?」
如何したものかと思いながらも、思いついて問いかければ、宗次郎は小さく首を縦に振った。
如何しようかと思案していた歳三だったが、仕方が無いとばかりに、いったん宗次郎を腕から降ろし、
「ちょっと、待ってろ」
と言って、鞍も置いてないそこへ、ひらりと飛び乗った。それから、宗次郎に手を伸ばし、
「ほら、来い」
と、ぐいっと、引っ張りあげた。
「わっ」
軽い宗次郎の身は、簡単に歳三の前に、抱きかかえられるように、横向きに座らされた。
「如何だ? 宗次」
びっくりして、思わず眼を瞑ってしまっていた宗次郎は、こわごわと目を開けて、まず自分を抱えている歳三の顔を見て、それから周囲に視線を転じた。
「うっわぁ〜〜」
宗次郎は、感嘆の一声を上げたあと、目を見張るように見開いて、自分の体を支えている歳三の腕を無意識にきつく掴んだ。
馬の背から見る世界は、いつもと違いとても高く、背の小さい宗次郎には、見違えるほどだ。歳三の腕に抱えられて見る景色とも違う。
生まれて初めて乗った馬の背は、大好きな歳三と共にいることもあって、宗次郎にとっては忘れ得ないものになりそうだ。
その驚きと喜びを露にした宗次郎の様子に満足し、歳三はゆっくりと馬を操りだした。
「歳さん?」
動き出した馬に驚き、歳三を見上げる宗次郎に、歳三は微笑み、
「せっかくだから、その辺を一回りして来よう」
「うん!」
歳三と共に居られるのが、なにより嬉しい宗次郎は、馬の背に乗っていることを忘れて、歳三に抱きつこうとして、落ちかけて慌てて歳三の腕にしがみついた。
「あはは、馬鹿だな、宗次は。気をつけないと危ないぞ」
「うん、ごめんなさい」
怒られはしなかったが、宗次郎は首を竦めて、小さく謝った。
「しっかり掴まっていろよ」
体に回された歳三の片腕を、宗次郎はしっかりと小さな両手で掴んだ。
その仕草を微笑ましげに見て、歳三は馬を操り、門の外へと出て行った。






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